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〈能力主義〉と〈自己責任〉がもたらす落とし穴──本田由紀『もじれる社会』

「もじれる」というあまり聞き慣れない言葉に本田さんは「よじれる、ねじれるといった意味を持つ。しかし私は、それに加えて、もつれる、もじもじする、こじれる、じれる等々が混ざり合った、悶々とした感覚を言い表すもの」という意味を加えて使っています。(もともと本田さんのブログの名称だったそうですが)

なぜこのような「もじれ」という現象(感覚)が起きているのか、本田さんはまずその原因を「戦後日本型循環モデル」の崩壊に求めています。この循環モデルとはなにか。それは、
「戦後の日本社会は、「家族」「教育」「仕事」の三つの領域が、それぞれ「家族」は「教育」に、「教育」は「仕事」に、「仕事」は「家族」に、人や資源を投入する形で回っていたと考えられます。まず、「家族」の領域では、塾や私学に子どもを行かせるための費用を捻出し、教育ママと呼ばれたような母親が、子どもの勉強をあとおしして、「教育」に力を注いでいました。「教育」の領域では、子どもたちはいい「仕事」につくため、いい学校に進学することを目指して勉強に励んできました」
戦後日本は(少なくとも)高度成長の終わりまで、この三つの領域の循環とでもいったものが有効に(!)作用していました。

といっても
「何のために学ぶのか、何のために、仕事をするのか、何のために人と愛し合って一緒に住むのかという、人間の生涯にとって非常に重要な意味を持つはずの、家族・教育・仕事の本質的な存在意義や価値を、掘り崩すように作用していたのである」
というように、それぞれの領域の持つ意味合いを掘り下げることはなく、循環するツールの一部と化すことでこのモデルは成り立っていたのです。いまや死語と化してきた言葉に〈エコノミック・アニマル〉(現在の中国には生息しているかもしれませんが)というものがありました。日本人はそのアニマル化を受けれることで(経済成長至上主義です)によってあらゆる矛盾を隠し、先送りしながらやってきたのだと思います。

けれど先送りした矛盾は成長の停滞、バブルの崩壊によってさまざまな局面で露呈してましきた。その現れの総体を本田さんは「もじれる社会」という言葉でいっているのだと思います。経済成長を支え、またそれによって成長にドライブを駆けてきた「家族」「教育」「仕事」の三位一体的なこの領域は、それぞれ分断され、(矛盾隠しの共犯的な)プラスの相互補完を喪失し、それぞれの領域自体が保守化(すななわち孤立化、独善化、己至上主義)しているのが現在の日本だと思います。

こんな時に再び、この三つ領域に都合のいい言葉が声高に言われるようになりました。それが〈能力主義〉と〈自己責任論〉というものです。一見、当然に感じられるこの言葉はかつての「戦後日本型循環モデル」以上に矛盾を隠すような(より悪質な)ものとなっているように思えます。
本田さんも
「この「能力発揮」を望む意識が若者の間に広く存在することそのものが、逆説的にも、社会の現状に対する沈黙を生み出している可能性がある」
と警鐘を鳴らし
「「能力発揮」は自分に「能力」がある感じるものに対しては意欲や努力を「加熱」する方向へと、逆に自分には「能力」がないと感じる者に対しては不満を「冷却」する方向へと、異なる作用を同時にもちうる。とりわけ、「能力」が抽象的で人格全体と不可分のもの、個人に本質的に内在しており動かし難いものとして考えられている場合、そのような統治の作用はいっそう有効に働くだろう。現在の日本社会においてはまさにそうした「能力」観が強い」
これは「能力」というものがその人の生活環境から多くの影響を受けていることを捨象し、〈自己責任論〉と相まって「社会の現状や仕事に対する諦念や無力感」を世間にもたらすことになっています。

もちろんこのような社会の中でも生き残る(成功する)人はいます。それを直接、〈能力主義〉と〈自己責任〉の結果がもたらすものだと私たちは簡単に断じていいのでしょうか。実はそれがもたらしているのが富の偏在化という現象なのではないでしょうか。人間が営む社会とはどのようなものなのか、
「現状では若者を呪縛している「能力発揮」という意識を、わかものを力づけ解放する方向へと、社会的作為によって反転させることが、今まさに求められているのである」
本田さんの提言に対してはさまざまな感想を持つ人が多いとは思います。けれどこの「もじれ」を解かない限りは私たちを包む息苦しさから逃れることはできないのではないでしょうか。

書誌: 
書 名 もじれる社会 戦後日本型循環モデルを超えて 
著 者 本田由紀 
出版社 筑摩書房 
初 版 2014年10月10日 
レビュアー近況: 
お土産やら差し入れやら、お菓子を頂戴する機会多い年始、今日はラスクが三種被っております。そら食べ比べと意気込み、お茶入れてばっかで、ちっとも作業能率上がらず、目方のみ急上昇中です。涙。 

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2015.01.14
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3386

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