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読むたびにいつも新たな発見がある物語。夢と希望と純粋さがもたらしたものは……──木下順二『夕鶴』

 民話『鶴の恩返し』は、報恩譚と世界中の神話や聖書などにあるように、見てはいけないものを見てしまい、悲劇(終末)をむかえてしまうという“見るなのタブー”をその民話の根幹としています。この戯曲にもその構造は生かされているけれど、この戯曲の悲劇性はそこだけではありません。

 つう(鶴の化身)と、なかむつまじく暮らす与ひょうにつうはなにも不満はありませんでした。つうが織り上げた布の代金は二人で暮らすには充分なものだったのです。あとはつうが望むようにこの暮らしを続ければいいはずでした。けれどつうの織る布の素晴らしさに目をつけた隣村の村人たちが、より高価な布を織らせるようと、悪だくみをするのです。

 与ひょうに“都”の美しさを教え、その都へ行くにはカネがかかる、でも上等な布が手に入ればそれを都で売ればいいのだと吹き込んだのです。布さえ手に入れば夢のような都へ行くことができるとそそのかすのです。そんな村人の企みに気づかず、都への夢を膨らませる与ひょう。そんな与ひょうを見て心を痛めるつう。与ひょうと静かに暮らしたいという思いと、与ひょうの夢を叶えてあげたいとの二つに心が裂かれるつう。そして「夢を叶えてあげればきっと与ひょうは戻ってくる。それならば」と決心したつうはこれが最後のものだからと布を織ることに決心するのでした。

 悲しみとはかない希望のなかつうは機を織り始める。聞こえてくる機織りの音を聞きつけた村人は狙ったものが織られているか確かめようと機屋をのぞいてしまう、与ひょうも一緒に……。そこには鶴の姿があった。

 つうのいなくなったことを知った与ひょうは雪の野原を一人探し歩く。そして二日後、二枚の布を持ったつうが現れた、見る影もなくやつれた姿で。与ひょうはこれで二人で都へ行けると喜んだのだが、つうはもう人間の世界に残ることができないと告げ、与ひょうの前から飛び去ってしまう。

 与ひょうはなにを間違えたのでしょうか? なにが悲劇をもたらしたのでしょうか? もちろん機を織る姿をのぞいたこともあるでしょう。でもそれ以上に、都への夢を一途に膨らませた与ひょうの純朴さにもあるのではないでしょうか。

 邪さは確かに間違いを犯します、けれどだからといって純朴さが間違わないという保証はどこにもにないのだと作者は言っているように思えてならないのです。

書誌:
書 名 夕鶴
著 者 木下順二
出版社 未来社
初 版 1987年5月
レビュアー近況:昨夕は、プロ野球ドラフト会議中継をダラダラ観てました。気になったのは選択選手の所属社名。色んな会社が合併やらで一緒になってて、どれもこれも長い。ただそんな状況でも、企業チームを存続させていることに野中は敬意を表します。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.10.24
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3182

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