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しなやかで、つよい言葉、「逆転しない正義は献身と愛です」この言葉一筋に生きたやなせさんの見事な一生!──やなせたかし『わたしが正義について語るなら』

 ひらがなで〈せいぎ〉という文字が頭に浮かんできました。やなせさんのメッセージはわかりやすく、しなやかで、つよいものです。この〈せいぎ〉に込めた思いをアンパンマンのキャラに託したやなせさんの思いがこの本のいたるところから、ヒシヒシと伝わってきます。そしてそれを生むまでのやなせさんの人生がここにあります。

「正義はある日突然逆転する。逆転しない正義は献身と愛です」
 ここにはやなせさんの戦争体験があります。昨日まで正義として教え込まれてきたものが少しも正義ではなく、ある日(敗戦の日)をさかいに百八十度変わってしまった……。
「戦争に行った当時は「天に代わりて不義を討つ」と歌う軍歌がありました。「この戦争は聖戦だ」と勇ましく歌う歌です。ぼくも兵隊になった時は、日本は中国を助けなくてはいけない、正義のために戦うのだと思って戦争に行ったのです」

 敗戦によってがらりと風向きが変わった日本。昨日まではなんだったのか、いったい正義とはなんだったのだろうか、それがやなせさんが正義について考えを深めるきっかけになったのです。もちろん戦争に聖も俗もありません。
「正義のための戦いなんてどこにもないのです」

 やなせさんはアンパンマンを始め、ばいきんまん、ドキンちゃん、メロンパンナ、ロールパンナたち、数多くのキャラクターを生み出しました。このキャラクター背景には、やなせさんが、ずっと正義とはなにか、悪とはなにか、善とはなにかを考え続けてきた思いがあったのです。

 やなせさん自身によるキャラクターの分析はこの本の魅力のひとつでもあります。光と影といったように、相反するもののように思えたものがひとつ(一人)の中にある。一方的に悪であったり、善であったりすることはない……。その背景には若い頃に読んだ『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリーが1818年に書いた小説)と『青い鳥』(モーリス・メーテルリンクが1908年に書いた童話劇)があったそうです。とりわけ『フランケンシュタイン』に登場する怪物の心の優しさや孤独はずっとのやなせさんの心に残っていたのでしょう。それを手放さなかったからこそ、やなせさんのキャラクターはある種の深みを感じさせるのです。それはまた、大人たちよりもむしろ子どもたちのほうが敏感に感じとれるものでもあるように思えます。

 あの戦争がやなせさんに突きつけたのは正義だけではありません。それは、餓えというもののつらさでした。
「どこかの国で戦争が起きると、戦争している国同士は両方正義だ、悪い奴をやっつけると正義が勝ったのだと言って戦っているけれど、子どもたちのことは見てやらない。そうして子どもたちは次々に死んでいきますね。だからぼくが何かをやるとしたら、まず餓えた子どもを助けることが大事だと思った」

 だからこそ自分を犠牲にしても子どもたちを餓えさせてはいけない。これはそのままアンパンマンです。やなせさんの思想の集大成がアンパンマンだったのです。

 この本の後半ではなぜこのような考えを持つようになったのかをひとつひとつ思い出すようにやなせさんが語っています。複雑だった幼少年期、高知から上京して触れた東京の空気。不安を押し殺して独立した頃……。
 そんな頃、やなせさんは一人の女性と出会います。
「すべての人が師です。でも、一人選ぶとすれば宮城まり子かもしれません」
 彼女からはエンターテインメントの素晴らしさを教わりました。そして手塚治虫さんとのアニメーションの仕事(虫プロの『千夜一夜物語』です)をする中で、今度はやなせ流のキャラクターの作り方を見つけていくのでした。そして作り上げたアンパンマンの世界、最初のアンパンマンはなかなか受け入れられませんでした。大人には受け入れられなかったアンパンマンの魅力を発見してくれたのは子どもたちでした。アンパンマンのおもしろさは子どもたちが見つけてくれたのです。そしてそこから大きく広がっていたのです。

「人生なんて夢だけど、夢の中にも夢がある。悪夢よりは楽しい夢がいい。すべての人に優しくして、最後は焼き場の薄けむり。誰でもみんな同じだから焦ってみても仕方がない」
 この一節に続けて「正義に込めたい思い」として「アンパンマンのマーチ」の歌詞が紹介されています。やなせさんのこの本の末尾にはやはりこの歌詞がふさわしいとつくづく思いました。
「ひとつはっきり言えるのは、戦争は良くないということ」
 誰もが思いながらまだこの世界に戦争はなくなっていません。やなせさんの夢見た世界をいつ、どのようにして私たちは実現できるのでしょうか。それを目指していきていかなければいけない、そんな思いを抱かせる本でした。(井伏鱒二さんと太宰治さんの文章に詩心を感じ、特に井伏さんの文体をまねてみたりしたそうです。なにか分かるような気がします)

書誌:
書 名 わたしが正義について語るなら
著 者 やなせたかし
出版社 ポプラ社 
初 版 2013年11月6日
レビュアー近況:東京音羽は台風一過、澄んだ青空です。台風が湿った空気を吸い込んで行く為、空気が乾燥します。少しずつ深まる秋、乾燥肌の野中はオーガニックのハンドクリームが手放せないシーズンです(塗り忘れて、既に静電気バチバチ)。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.10.14
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3144

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