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靖国を考えるなら、少なくともここに提起された問いに正面から答える必要があるのではないでしょうか──内田雅敏『靖国参拝の何が問題か』

「本来、追悼、慰霊は、故人の親族、故人と面識のあった友人たちなど、故人をよく知る者のみがなしうる、すぐれて個人的な営みである」
 といった至極まっとうなことが、こと靖国神社が間に入るとひどく奇妙なことになる。それは戦死者だからなのでしょうか。

 毎年必ず問題になる首相や閣僚の靖国神社参拝というものをどう考えればいいのか、この本はそのよい参考になるものだと思います。内田さんは、はっきりと首相や閣僚の靖国神社参拝反対という立場で靖国の諸問題を取り上げています。その論旨への諾否はあるとは思いますが、少なくとも内田さんの問いは無視できないものなのではないかと思います。

 もともと靖国神社はどのようにして作られたのでしょうか。
「靖国神社は、最初は幕末、明治の戊辰戦争で亡くなった兵士、それも朝廷(官軍)側の死者だけを祀るために一八六九(明治二)年に作られた東京招魂社を起源とし一八七九(明治一二)年に靖国神社と改称し現在に至っている。神社、仏閣等他の宗教団体の所管は内務省であったのに対し、靖国神社は陸・海軍省の所管にあった。靖国神社は国家神道にもとづく軍事施設であったのである」

 官軍の死者を祀るということで奇妙なことが起きています。幕末史にくわしい人はご存じでしょうが、官軍・賊軍は何度か入れ替わっているのです。ある時は会津、薩摩、幕府が官軍であり長州が賊軍でした。ところが時を経ずにこの態勢が大きく変わります。長州、薩摩が官軍、会津に代表される幕府、奥羽列藩同盟の諸藩が賊軍とされてしまします。
 その結果、はじめは会津藩等の賊軍(もちろん幕府)の戦死者は祀られていませんでした。薩摩でも西南戦争の首魁と目された西郷隆盛も祀られていなかったそうです。そのゆえのあってか「靖国が「長州神社」といわれる」こともあったといいます。「その後、原敬らによる働きかけもあって、創建五〇周年の一九一五年になってやっと「朝廷側」であった会津藩の戦死者も祀られるようになった」 のです。
 そして「靖国神社の祭神は、その後さらに遡り、倒幕のために闘い、明治維新を見ずに斃れた幕末期の「勤王の志士」たちも祀るように」なりました。

 おそらく、この時すでに死者の鎮魂・追悼という姿勢だけでなく、祀ることのなかに死者の顕彰ということが芽生えていたのではないでしょうか。そしてこの顕彰ということが膨れあがっていきます。
「日本が対外的に膨張政策をとり、アジアに対する植民地支配と侵略戦争を遂行する過程で、この神社の役割は追悼から顕彰へ大きく舵をきられ、戦死者(戦病死者も含む)の顕彰を通じての「英霊」の再生産を目的とする精神的なよりどころとなった。これを支えたのが「英霊」に対する天皇親拝であった」

 国家のために命を失った人への鎮魂、という行為を否定することはありません。けれど少し立ち止まって考える必要はあると思うのです。
 戦争は政治の延長である以上、その戦争を肯定することは、その当時の政治を肯定することになります。そして、現在の日本は、その当時の政治(戦争)を否定している上に成り立っているものは確かです。
 ですから、否定している政治によって強いられた戦死者という人びとを「国家のために命を捧げた」といって追悼するには、その前に考えなければならないことがあると思います。それは、戦死を強いた国家と今の日本国家との関連です。多くの死者を生んだ太平洋戦争の敗北の上に現在の日本は生まれました。だからといって、その痛ましい戦死者が直接的に現在の日本を作ったことになるのでしょうか。
 それを「国家のために尊い命を捧げた」という言い方ではあたかも、戦前戦後の国家が一貫しているように思われても仕方がないと思います。明確な戦前・戦後の違いを言明することが先に必要なのではないかと思います。そしてこのことを靖国神社は認めているのでしょうか。そこに疑問が湧きます。その試金石となったのがA級戦犯の合祀問題です。東京裁判については勝者の裁判云々ということがしばしばいわれています。確かにそうだと思います。が内田さんのいうように、「日本人自らが戦争責任を追及することができただろうか」という疑問です。(日本人自らの戦争責任の追及が単なる行政処分であったことも内田さんはこの本で取り上げています)

「靖国神社は、今や一宗教法人に過ぎない存在になっていたにもかかわらず、戦前と同じように戦死者のための特別な存在であるかのような虚構が形成された。靖国神社の存在基盤である戦死者の魂の独占という虚構を維持するために天皇の兵士については、一人の戦死者も逃がさないことが必要となってくる。本来、死者の追悼等の宗教的行為は、死者もしくはその遺族と当該宗教団体との入信、信仰等の合意に基づいて行われるものである。にもかかわらず靖国神社が、本人、あるいはその遺族の合意を得ることもなく、無断で合祀をする理由はここにある。この《無断合祀による戦死者の魂独占の虚構》こそが、靖国神社の生命線である」

 このようなことが確かならば、少なくとも靖国神社が戦前・戦後を通じて国家(政治)は一貫していると考えているように思われても仕方がないのではないでしょうか。

 戦死ということにも、もっと私たちは考える必要があると思います。戦死者は戦闘中の死よりも餓死や疫病による死者の多いのではなかったかという指摘です。日本軍の現地調達という考えられない兵站思想は単なる軍事思想だったのでしょうか。当時の日本の政治思想でもあったのではないでしょうか。戦死者は敵国だけに殺されたのではありません。自国の政治によって殺されたのでもあるのだと思います。だからこそ私たちは、そのような死を強いられた人たちを追悼し哀悼の意を表するのではないでしょうか。

 戦後日本の出発点になったサンフランシスコ講和条約にこういう一条があります。
「日本国は、極東軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が科した刑を執行するものとする」 
 これは国際条約です。
「講和条約でそれ(東京裁判)を認めた以上、一番大事なのは誠実に遵守することでしょう。(略)確かに中国や韓国に言われて、決める問題ではない。条約を順守するか、しないのか、という問題だ。条約をきちんと守って、国際社会から信頼を得られる国家として生きてゆくかどうかということでしょう。これを「内政の問題であり、中国が干渉するのはけしからん」という人がいるがそれは誤りもはなはだしいと思う」(内田さんが引用した後藤田正晴さんの著書『リベラルからの反撃』より)

 死者を追悼するということは、死ななければならなかった状況を作り出さないこと、そのような状況を生み出す政治を行わないことが、まず必要なのではないでしょうか。無断合祀の持っている問題などを含めて、靖国問題がはらんでいる事柄を一眸できる一冊だと思います。

書誌:
書 名 靖国参拝の何が問題か
著 者 内田雅敏
出版社 平凡社
初 版 2014年8月12日
レビュアー近況:『軍師官兵衛』も佳境ですが、CSで『マンザイ太閤記』を観ました。ぼんちおさむの秀吉以下、仁鶴、三枝、やすきよ、紳助にさんまと、高畑勲『じゃりン子チエ』並みに錚々たる芸人さんたちが声優で出演しているアニメ映画。ただキャラクターは芸人本人に似せているので、誰が誰やら最後まで皆目わかりませんでした(面白かったですが)。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.11.26
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3270

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