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時間は人を癒やすことが本当にできるのだろうか……──門田隆将『記者たちは海に向かった』

 東日本大震災とそれに続く原発事故に直面した福島、その福島で発行されている新聞、福島民友新聞の記者たちの姿を主軸としたノンフィクションです。あの災害と事故の中で自分たちの使命を果たそうとした人々の姿とあの日を丁寧に重層的に描き出しています。

 門田さんは
「哀しみは「時」が癒やすというが、本当にそうだろうか。東日本大震災で亡くなった一万八千人を超える人々と、それを見送った人々の哀しみが癒えることが果たしてあるのだろうか」
「世の中の出来事には、「時」を経なければ語ることができないものがある」
 という、この2つの「時」へ向き合ってこの本を書いたのだと思います。

 3・11の2日前に撮られた1枚の写真からこの本は始まります。そこに撮っているのは津波で消失した奇岩だけではありません。取材の中で津波に襲われ命を失った一人の記者・熊田由貴生さんの姿も撮されています。

 2011年3月11日午後2時46分、激しい揺れにみまわれた福島、余震の続く中、福島民友新聞社の記者たちはそれぞれ、現地の被害状況を少しでも早く知り、伝えようと動き出します、自動車で、バイクで、時には自らの足で……。そして、記者たちの脳裏に浮かんだ「津波」の予感。その姿をとらえようと彼らは海に向かいました。

 その一方で福島民友新聞社は地震の被害と電源の喪失の中で新聞発行が不可能という事態に見舞われました。それは「紙齢」をつなぐことができなくなるということを意味しています。「「紙齢」とは、新聞が創刊号以来、出しつづけている通算の号数を表すものであり(略)これをつなぐということは、新聞人の使命とも言うべきもの」なのです。それは「報道し続ける」という新聞社の使命のあらわれでもあるのです。

 現地取材に向かった記者たちはこのような本社の状況を知るよしもありませんでした。つながらない電話。記者たちとすれ違うように避難する人々。声を限りに避難を訴える警官や放送の声。そのなかで記者たちは自分の判断だけをたよりに取材活動を続けます。なにが間違いのない行動だったか、誰もわからないなかで記者たちは新聞人としての使命感にしたがい取材活動を続けたのです。そして押し寄せてきた津波……。

 津波への警戒と避難を呼びかける人のなかにひとりの記者がいました。
「新聞記者らしい人が避難の誘導をしていた、という話も、避難所であったようです」
 その記者が冒頭の写真に写っている熊田記者でした。この誘導の最中に彼は津波に巻き込まれたのです。
 また、同じような取材活動を試みながら取材が果たせず、押し寄せる津波から、からくも一命をとりとめた記者たちもいました。けれどそれは彼らにある重い思いを残すことになったのです。
「彼らは、大地震発生と同時に津波を撮るべく、「海」へ向かった。それは、新聞記者の“本能”とも言うべきものだった。そして、何人かは熊田記者と同じような生命の危機に瀕し、しかし、かろうじて命を拾った」
「熊田が死んで、俺が生き残った……」
 という思いを記者それぞれの胸に残しながら……。

 一方、福島民友新聞社の本社での新聞発行への苦闘は続きます。読売新聞社の力を借り、それでも独自の記事を作ろうとギリギリまで紙面作りと格闘するスタッフの姿。福島、東京、郡山の3ヵ所で、十分な連絡が取れないなかでの紙面作りと印刷業務が続けられていきます。

 なんとか刷り上り届けられた福島民友新聞、そして自分たちの家にも被害が及んだにもかかわらず、この新聞を配達しようと集まった人々……。
 そして夜が明けます。津波から逃れた記者の目に映ったものは
「目の前に、びっくりするほど大きな朝日が昇ってきたのである。それは、海といわず、陸といわず、一帯すべてに光を浴びせ、あたかも陸上まで「海」になったかのようにキラキラと照らし出した。人々が苦楽を刻んだ思い出の家々は、悉く舐め尽くされていた。(略)それは、“地獄絵図”にしては、あまりに美し過ぎた」
 と思えるような町の姿でした。すべてをのみこんだ世界が広がっていたのです。 
 
 夜明けとともに、津波被害の取材に記者たちは再び活動を開始します。原発へも向かいました。しかし近づくことはできません。彼らを襲ったのは原発事故という新たな災害だったのです。それは安全神話が崩れた瞬間でした。身ひとつで避難を強いられる人たち。立ち入り禁止地区に指定されたなかには災害の翌日に福島民友新聞を配達した新聞配達所もありました……。

「二○一一年三月十一日。その日、記者たちは海に向かった。ある者は命を落とし、そして、ある者は生き残った。明暗分かれたいお男たちには、負い目とトラウマが残った」
 この本は町の人々と密接につながっている新聞、福島民友新聞の記者、スタッフの目を通して描きなおした3.11の記録だと思います。おそってくる津波の警戒と避難を呼びかけるなかで命を失った熊田記者。もちろんなんとか無事であった記者にも辛い記憶を残すことになった3.11だったのです。この記者たちの話はこの本でぜひ確かめてください。使命感とはなにか、報道とはなにか、そして生きるということの意味を私たちに考えさせてくれると思います。

書誌:
書 名 記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞
著 者 門田隆将
出版社 角川書店
初 版 2014年3月11日
レビュアー近況:野中両名が足繁く通う東京・音羽のパン屋さん。豪雨の中、昼晩兼食のサンドウィッチを買いに昨夕も。「袋、二重にしましょうか?」と、店主お心遣い。至近なので過剰包装甚だしいのですが、貧乏性の野中、貰えるものは有り難く。とはいえチョットしたことで校了渦中の心を豊かにしてくれる、此れぞ江戸、否、東京、否、音羽しぐさかと(大層)。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.09.11
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3052

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