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いまどこに政治家と呼べる人たちがいるのだろうか──御厨貴・芹川洋一『日本政治 ひざ打ち問答』

 テレビの「時事放談」でおなじみの御厨貴さんですが、この本は政治のニュースの裏側にあるもの、政治家という人間の生身の姿を語り尽くしているものです。「政権論」「政党論」「メディア論」等に分かれて語り合っていますが、根底にあるのは政治(権力)というものが徹底的に人間のドラマだということなのだと思います。

 安倍首相を論じて御厨貴さんは
「で彼の最大の弱点は (略)これまで一回も、いわゆる普通の各省を統括する大臣をやっていないということです。彼は官房長官と総理大臣しか経験していない。党でも幹事長だけ」
「官僚と一緒に汗を流したり、国対にいる人たちと汗を流したりして、法案を通したという実感がない人ですから」
 と断じ〈リアリティ〉のない政治家と評しています。そういわれてもその人を総理にしているのですから……と困惑してしまうのですが……。なぜそのような人が総理になれたかを事実に即して解き明かしています。(詳細は本書をご覧になってください、とても読みやすいですから)

 御厨貴さんは〈オーラル・ヒストリー〉を自分の政治学の方法にもちいているだけに岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、竹下登等の歴代の首相の〈つぶやき〉ともいえる声を取り上げ、それがどのように政治(政局)動かし、また後続の政治家をつくり出していったか、そのメカニズム(!)を明らかにしています。

 では、そのメカニズムはどこで不調になったのでしょうか。お二人はその原因を小泉純一郎首相の誕生とその手法に求めています。小泉元首相は自ら「自民党をぶっ壊す」と宣言していましたが、まさにその通りのことが起きてしまい、古い自民党は変質(解体?)されました、政治家を育てるメカニズムもあるいはともに解体したのかもしれません。

 御厨貴さんは政党政治を守るためにある派閥ありようの再認識を提言します。
「宏池会には、何となく、豊かな人が政治をやっているというところがある(略)あの派閥にあって、最終的にはどんどん削られていく部分というものを再現しておかないと、この国の政治がもうちょっと豊かであったという側面は出てこないんです」
 派閥というものの実態とその意味をもう一度考えなければならないのかもしれません。それが
「「官高党低」となって、党が政策の追認機関に向かっているのではないか」(芹川洋一さん)ということの持っている危うさを避ける道なのかもしれません。(「官高党低」は、ややもすると「行政高・立法低」になりかねません)

 今の政治家たちがその豊かさをもっているのかというと、いささか心配になります。
「テレビ出演が、1つの成果になってしまっている。(略)テレビに出ていることで「政治をやっている」というふうにだんだん勘違いしてくる」
 政治家が多いというのも確かに感じられます。このような政治家のテレビ等の露出(発言)の仕方への着目と注文は、ご自身がメディアで活躍している御厨貴さんだからいえることなのでしょう。出演の際の政治家の裏話(?)には苦笑させられます。

 裏話といえば小沢一郎さんの『日本改造計画』を書いた人を明かしたり、中曽根元首相の回顧録癖(!)への苦言など行動派を自認する御厨貴さんならではの大胆な発言も各所に見られます。放談というように思えるほどに自在に語り合っているお二人ですが、やはり政治には人間としての豊かさが必要だというところを外さずに語り合ってことを見逃してはいけないのではないかと思いました。

書誌:
書 名 日本政治 ひざ打ち問答
著 者 御厨貴・芹川洋一
出版社 日本経済新聞出版社
初 版 2014年4月9日
レビュアー近況:今日は海外の方々のスチール撮影立ち会い。「スマイル」って指示出さなくても笑顔溢れる撮影で、頗る順調でした。こういう雰囲気作り、日本人も享受すべきですね。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.09.19
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3076

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