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力業ともいえる言葉の分析から浮かび上がった怪物の姿!──高田博行『ヒトラー演説』

 ヒトラーの演説というと、おおぶりなジェスチャー、絶叫している甲高い声、おおげさな舞台等が撮されたドキュメントフィルムでのヒトラーの姿がまずは浮かんできます。でも、それは私たちがヒトラーに〈大衆煽動者〉というレッテルを貼ることで、その中身を充分に検討することなく遠ざけさせていたのかもしれません。これは、それを気づかせる本でした。

 高田さんは、まずはそのような先入観を排除し、ヒトラーの演説に使われた言葉と修辞法の分析を行うために「ヒトラー演説150万語データ」を作りました。コンピューター時代だからこそできた作業とはいえ、その力業にまずは脱帽してしまいます。そしてそれを駆使して彼の演説の分析に取りかかります。言葉とその使われ方、いつ、誰に向かって、何のために使われたのかと……。

 高田さんによれば
「演説文の構成と表現法に関して言うならば(略)遅くとも一九二五年頃には完成の域に達していた。(略)演説はすでに、序論―陳述―論証―結論という配列の面でも、対比法、平行法、交差法、メタファー、誇張法、仮定表現等の修辞の面でも、弁論術の理論にかなったものであった」
 もし演説を武器にたとえるならば、設計図はできたのだから、あとは実弾(=言葉)とそれを込める道具(拡声装置や飛行機、ときには写真などの映像等)を作ればいいということになります。

 オーストリア人であり、なんら政権基盤を持っていなかった男がこの武器をどのように使いこなして権力の頂点に上り詰めたのか。そしてその武器が、無効になったとき(言葉を失ったとき、言葉がとどかなくなったとき)に彼は失墜していきます。その全過程を、高田さんは言葉(=実弾)の分析から私たちの前に明らかにしてみせたのです。

 たとえば〈平和〉という言葉の頻出度でいえば、ザール返還とラインラント進駐をめぐる時期とポーランド侵攻が行われた時期に多くなっています。これは戦闘の大義を国民に印象づけるためにおこなったのでしょう。高田さんはそれを
「開戦が「平和」目的であることを主張する必要と和平交渉のゆえである」
 と分析しています。

 このような言葉の使用例の統計的分析は目を見張るものがあります。まず一見の価値があると思います。また演説の目的(政治目標)によってどのようなテクニックを使ったのかを詳細に追っています。ヒトラーが参考にした本やオペラ歌手から学んだ発声法とジェスチャー等とその効果、初めてのラジオ演説でのヒトラーの失敗をも取り上げて、高田さんはヒトラー演説の効果と影響力の実態を正面から詳細に追求していきます。

「ヒトラーの演説が聴衆を熱狂させたとすれば、熱狂させた秘密はどこにあったのであろうか。演説文の表現のどこにどんなことばの仕掛けがあり、ヒトラーがどのような音調で語り、どの箇所でどのようなジェスチャーを用いたからであろうか。また、どのような政治的・歴史的状況のなかで聴衆の心を捉えたのだろうか」
 これは今の私たちに突きつけられたきわめて現実的な問いなのではないでしょうか。ヒトラーは確かに見事に武器を使いこなし大衆(国民)の心を射貫いたのです。それはただの煽情的なものではありません。射貫かれた心(受け手の心情)のありようがどうだったのか、どのような情況におかれていたのかを考える必要があるのではないでしょうか。

「ドイツ国民の復活はなにもしないでもひとりでに始まるなどと、私はみなさんに約束するつもりはない。われわれはこれから仕事をなしていきたいと思うが、ドイツ国民の手助けなしにはできない。自由、幸福、そして生がなにもせずに突如として天からもらい受けられるなどとけっして考えてはならない。すべての根本は、まさに自らの意思、自らの仕事にあるのだ」
 これに類する言葉を私たちは幾度も聞かされてきたように思います。この言葉に虚偽があるとは感じにくいものではないでしょうか。けれどこのような言葉の後ろに権力者の強い意志が隠されているということもしばしば見られることではないでしょうか。

 政治の世界は言葉によって作られる(始められる)。ときにそれは私たちに錯誤や欺瞞をもたらすこともあります。けれども言葉(演説)だけで終わる世界では決してありません。戦況が悪化する中である女性が語った言葉(!)が記されています。
「いつになったら、演説をやめて行動を起こすのだろうか。何千もの人が毎日亡くなるのを傍観していられない」
 政治の言葉とはどのようなものなのか、それに対して私たちはどのように対すべきなのかそれをあらためて考えさせる本でした。それが政治学者や歴史家でなくドイツ語史学者の高田さんが教えてくれているというあたりにも、なにか私たちを覆う政治家、学者、メディアにひそむ言説のゆがみを明らかにしているようにも思えてなりません。(チャップリンの映画『独裁者』だけがこの政治の世界全体を相対化できたのかもしれません。そんなことも思わせるものでした)

書誌:
書 名 ヒトラー演説  熱狂の真実
著 者 高田博行 
出版社 中央公論新社
初 版 2014年6月24日

レビュアー近況:夕べは友人夫婦と横浜スタジアムで野球観戦。日頃、血眼で声を枯らす虎党の野中、真剣勝負のベイスターズにもドラゴンズにも申し訳ナイですが贔屓チーム外の対戦、こんなに穏やかな気持ちで球を観たのは久々でした。奢ってもらった崎陽軒のお弁当も、美味しかったです。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.09.17
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3068

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