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「無名にひとしい人たちへの紙碑」それは私たちが「忘れてはならない日本人」の姿なのです──宮本常一『忘れられた日本人』|レビュアー=野中幸宏

「土佐源氏」という章がありますが、これは源平合戦の源氏ではなく、源氏物語の源氏です。といっても「いとやむことなききはにはあらぬか」どころではなく、まったく無名の馬喰の激しいといってもいいような女性遍歴と放浪生活のさまがその本人から聞き取られているものです。
 この本は日本中を旅してこの「土佐源氏」ように聞き取りを行ってきた民俗学者、宮本常一さんの代表作です。初めて発表されたのは1960年、もはや半世紀以上も前、オリンピックも高度成長もまだ始まっていない日本の地方の老人の聞き取りを集めたものなのです。

 その時代ですから、古老の聞き取りでは、戦争は長州戦争(長州征伐)ですし、騒動は西南戦争、奇兵隊に入隊した話や百姓が武士の姿をまねて山道の追いはぎからからくも助かった話などずいぶんと時代を感じさせるものがあります。殺伐とした話だけでなく、仲間につい意地をはった(強がってしまった)いきがかりからフグの毒など怖くないとフグを大食いしたけれど、毒にあたらず長生きした男の話、格好の良い武士からいきなり船を出せと強要されていうとおりにしたら、乗り込んできたのはなんと徳川慶喜だった(!)などというユーモアあふれる逸話も多く聞き取られています。

 ある村では、たった一つの文書を宮本さんに見せるだけなのに、全村を巻き込むような寄り合いがもたれたりと、かつての日本の村落がどのように意志決定をしていたのかなどなかなか興味深いことも綴られています。

 また目が着くのは宮本さんのいう「エロ話」が各所で聞き取られていることがあります。
たとえば対馬の巡礼者と村の若者の「歌合戦」……、
「節のよさ文句のうまさで勝敗をあらそうが、最後はいろいろのものを賭けて争う。すると男は女にそのからだをかけさせる」
 とか、「女の世間」では田植えでの「エロ話」が紹介されてます。これにはなんら価値判断ははいっていません。宮本さんは、話してくれた彼女たちの言葉をそのまま収録しているのです。そこには話されている事柄に興味本位で接するのではなく、彼女たちの持っている活気や生き生き感があふれているように思えます。ですから、
「エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである」
 ということは、なんら不思議なことではないのです。

 彼女たちがエロを語ろうとそれを聞き取る宮本さんの姿勢に一貫して
「これらの文章ははじめ、伝承者としての老人の姿を描いて見たいと思って書きはじめたのであるが、途中から、いま老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境の中をどのように生きて来たかを描いて見ようと思うようになった。それは単なる回顧としてでなく、現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えて見たくなったからである」
 ということがあるからでしょう。

「土佐源氏」という章もそうです。この源氏とは、源平合戦の源氏ではなく、源氏物語の源氏です。といっても「いとやむことなききはにはあらぬか」どころではなく、まったく無名の馬喰の激しいといってもいいような女性遍歴と放浪生活のさまがその本人から聞き取られているものです。発表当時、創作では、といわれたそうですが、それくらい物語性あふれる優れたものだと思います。数多くの女性遍歴はあったにせよ、それを語る老人(盲目で乞食同然の暮らしをしていたそうですが)の芯には私たちが耳を傾けてもいいなにかがあるように思えるのです。もちろんこの本は性に開放的といわれたかつて日本人の姿を追ったものではありません。(風習としてあったということですから、それはそういうことがあったということを意味しているだけです)

 村人の生活というとつい閉鎖的なものを想像しがちな私たちですが「世間師」といわれる人たちもいて……
「日本の村々をあるいていて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師だといっている」
 彼らは若いときの種々の体験話(聞いてきた話も入っていると思いますが)を村々へ持ち帰ってきていたのではないでしょうか。そして、たとえば、寄り合いや、田植えなどの日常生活の中で村人たちに共有されてきていたこともあったでしょう。
「村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人は頑固だと言って片付けている」
 いくら村から出ることなく生活をしているような村人であっても無知な村人というものは、都会人の頭の中にしか存在しないのです。
「世間話はあまり持たぬ人だったが、その生涯がそのまま民話といっていいような人であった」
 と宮本さんはご自身の祖父のことを評していますが、それが「忘れられた日本人」そのもの姿なのではないでしょうか。

 重い病に冒された老女を寂れた山道で行き会った宮本さんは彼女から
「こういう業病で、人の歩くまともな道はあるけず、人里も通ることができないのでこうした山道ばかり歩いてきたのだ」
 という言葉を聞き出します。これは〈排除の論理〉なのでしょうか。それだけではないように感じました。それもまたおそらくは「忘れられた日本人」の中で生きた一人の「忘れられた日本人女性」の姿なのです。

「やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようでごいす」
 と語る〈人間〉に私たちはなっているのでしょうか。この古老の言葉の前でいたずらに人間の終焉とか、現代との時代の差異をいうべきではないと思います。「忘れられた日本人」を単に古きよき時代の人と懐かしむことでもなく(それは標本化です)、ましてや忘却の彼方へ追いやることでもなくすることが大切なのではないでしょうか。

「無名にひとしい人たちへの紙碑の一つができるのはうれしい」
 と結ばれた宮本さんのこの一書は、私たちが年月とともに耳を傾けることが増え続けるものなのだと思います。

書誌:
書 名 忘れられた日本人
著 者 宮本常一
出版社 岩波書店
初 版 1984年5月16日
レビュアー近況:ポールを安く調達出来たので、週末、ノルディック・ウォーキングに初挑戦。ポールを使ってのウォーキングなのですが、「身体の90%を使用する」といわれる全身運動。毎度チンタラ走ったり歩いたりしている野中のワークアウトとは一変、1km超えたトコロで既に上半身カッカ熱く、復路の銭湯とビールしか考えられなくなりました(毎度です)。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.11.17
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3248

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