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ChatGPTと人間の違い―AI所見くん余話

 AI研究者によると、「ChatGPTは、次の単語を予想して選んでいるだけ。言ってみれば、連想ゲームをしているようなもので、思考しているわけではない。」ということらしい。
 AI研究者が言うのだから、間違いではないのだろう。しかし、通知表用の原稿を自動生成してくれる「AI所見くん」のようなツールを試してみて思うのは、「人間がしていることは、ChatGPTの“連想ゲーム” といったいどこが違うのだろうか?」ということである。
 われわれ人間が発話をしたり文章をつづったりする際にも、相手からの働きかけや周囲の状況を読み取り、最も適切だと思われる言葉を選び、自分が選び取った言葉につづく発話としてあり得るフレーズをそのつど探りながら、次々に言葉を繰り出していく。

ChatGPTが文を生成する際の流れは、人間と基本的には同じ?

 たとえば、イベントで予告なく挨拶を求められて言葉を繰り出す時、われわれ人間はそのイベントの文脈にふさわしい言葉をこれまでに体験した既知のフレーズの中から探り出し、「ご紹介いただきました◯✕です。」のようなフレーズから始まる「連想ゲーム」で言葉を継ぎ足していく。
 ChatGPTと基本的に同じであるし、発話を支える既知のフレーズのデータ量においては、圧倒的な差をつけられている。

 その証拠に、テレビやYouTubeなどでコメントを求められるAI研究者の発話は、まるでChatGPTがつくったかのような、どこかで聞いたフレーズの切り貼りに過ぎない。

 ChatGPTの出現について伝えるワイドショーのレポートを受けて、教育評論家が番組の最後にコメントを求められた場合、こんなことを言い出すことは十分にあり得る。

AIには限界があり、教育現場では人間が持つ専門知識や人間性を活かした教育が求められます。生徒たちが直面する個別の問題に対応したアドバイスや、人間同士の関係性やコミュニケーションなど、AIがまだ模倣できない部分があります。教育においては、AIが教育を補完するツールとして利用されるべきです。

ChatGPTで作成

 どうだろうか。こうしたコメントをする専門家は、けっして珍しくない。というよりも、こうしたコメントをしておけば、ひとまず番組は成立する。ことほどさように、連想ゲームと人間の「思考」や「判断」や「オピニオン」は、外形的に類似しているのだ。

 こんなことを思いながら1日を過ごしていると、自分が話していること、自分が書いていることのほとんどが、ほぼほぼChatGPTの「連想ゲーム」の範囲内で展開しているに過ぎないという現実に気づかざるを得ない。

 「そんなことはない」と言えるようなChatGPTを凌駕する言語生活を送ることができている人は、いったいどれくらいいるのだろうか?



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