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学習指導案をつくり上げる達成感―ロイロの授業案、Googleスライドの指導案

 研究授業をするために、膨大な時間をかけて詳細な学習指導案を書き上げるならわしがある。
 働き方改革という観点からは、どう考えても見直しをすべきである。

 少なくとも、児童や生徒が目にすることがない資料に、教材・教具の準備の何倍もの時間をかけるのは、ナンセンスである。

 そういう意味で、ロイロノート・スクールの授業案には魅力を感じる。

 シンキングツールの一つであるプロット図を用いて、「導入→展開1→展開2→まとめ」という具合に、授業で実際に使うカードを配置しながら1時間の流れ、あるいは単元の流れを可視化する。 

ロイロ授業フェス2021の際に作成した授業案

 構成要素は授業で実際に使うカードであるから、授業案づくりのためだけに費やす時間は最小化される。

 児童や生徒たちに手渡すものを作る作業と、授業の流れを確認する作業が、一元的に展開できるわけだ。

 5年ほど前に、全国大学国語教育学会での問題提起のために試作したGoogleスライドによる指導案も、同じ発想でつくったものだ。

スピーカーノートに「単元の目標」「指導上の留意点」「評価の方法」などを書き込んである。

 学習指導案がそんなに重要で、作成することに意味があるものであるなら、児童生徒と共有すべきだろう。

 どのような目標のもとに、どのような活動をし、どのように評価がなされるのかという情報を、教員と児童生徒があらかじめ共有して授業を展開するのだ。

 そういう試みをしている実践者はすでにいるわけで、やってできないことはないはずだ。

 究極的には、個別最適化した学びを実現するための授業計画を、児童生徒が主体となり、協働的に作成して授業を展開することができれば、理想的なのかもしれない。

 詳細な学習指導案をつくりあげ、見事な板書を書き上げた者が授業時間を通じて最も豊かに学んでいる。
 一方で、言われたままに活動して黒板を視写することに大半の時間を費やす子どもたちは、学びから疎外されるがちである。
 教員だけが台本を知悉していて、台本なき時間を過ごす児童生徒たちは、ノートを無事に写し終えた達成感だけを手にしてチャイムが鳴るのを聞くことになる。
 そのことに気付くことを邪魔しているのは、もしかしたら教師の達成感なのかもしれない。



               未


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