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永縁まちづくり構想 Vol.2

↓一年前の長井旅録

1年ぶりに長井に行ってきた

長井再訪のきっかけ

 8月末に長井を初めて訪れてから1年。時が経つのは本当に早い。余韻に浸っている間に銀杏並木が黄金色になり、雪が降り始めたと思えばいつのまにか年を越していて、一息ついたころには桜が散って、気づけば銀杏並木は青々と茂っていた。そんな感じだ。
 昨年私に長井を案内して下さり、4月から長井の地域おこし協力隊となった森さんと連絡は取りつつも、慌ただしい毎日の中で長井に思いを巡らす余裕はあまりなかった。今年の9月から海外長期滞在を予定しており、サークルやらボランティアやら引っ越しやら研究やらに追われながら、アルバイトに明け暮れていた。8月ごろにまた北海道から長井に学生を呼びたいという話は聞いていたが、時間的にも金銭的にも、自分には今年長井を訪れる余裕はないと思っていた。
 8月28日から31日の3泊4日で再び長井を訪れることができたのは、渋り続ける私に森さんが何度も直接連絡を下さり、柔軟に計画を提案してくださったおかげである。

私の第2弾長井旅

 おそらく一生好きになれない深夜バスに揺られて6時間、山形に到着したのは早朝5時45分。昨年もお世話になった長井の滞在先、SENNに到着してから昼まで仮眠を取り、1年ぶりの長井旅が始まった。
 
今回の大まかなスケジュール

初日
 長井周辺散策
2日目
 午前:長井周辺散策
 午後:地域の方とご飯会
3日目
 午前:地元の小学生とぶどう園見学
 午後:高校の探求授業に乱入
4日目
 午前:3日間の振り返り
 午後:のんびり

 初日のハイライトはお昼ごはん。念願だった池田屋さんの紅天むぎきり。めちゃめちゃおいしかった、のは言うまでもない。お店の池田さんとは昨年一度お会いしていたが、時間の都合でお店に伺うことができず、いつか絶対と思っていた。一年前に一度お会いしただけの池田さんは、話した内容まで含めて私のことを覚えてくれていた。驚いたと同時に、離れていてもちゃんと長井と繋がっていた気がして、「帰ってきた」気がして、とても嬉しかった。


 2日目午前中までかけての長井周辺散策は森さんが案内してくださった。ダム、酒店、駅、神社、ラーメン屋、、、昨年訪れた場所も、訪れたかったが訪れられなかった場所も、昨年は存在していなかった場所も、それぞれ面白かった。私の好みに合わせて場所を選んでくださる森さんのおかげだ。町についても私についても知っている案内人がいるというのは素晴らしいことである。



 2日目午後と3日目は、地域の方々と交流する機会をたくさん頂いた。農家、起業家、地域おこし協力隊員、長井出身者、移住者、一度長井を出てから戻ってきたUターン者、職業も年代もバックグラウンドも様々な地域のみなさんに共通していたのは、「長井愛」。形の違う思いが集まって集まって地域というものがが出来上がっていることがすごく目に見えて、興味深かった。地域って奇跡だなあ、やっぱりいいなあ、と感じる一方、地域を勉強しているはずの自分は、自分自身の出身地や居住地と向き合えているだろうかと、考えさせられた。

 3日目午後には、現地の公立高校にお邪魔した。見せていただいたのは、「探求」の授業。高校生が自ら計画立てて実験や研究を大学生として助言をすることになっていたが、これがかなり難しかった。自分自身まだまだ研究を練習中の身で、いい助言ができないというのも一つだが、探求の授業がなにを目指しているのかがわからないというのが大きかった。高校教育の目標は、おそらく「より良い研究者を育てること」ではないはず。だから、私が高校生に与えるべき情報は多分、質の良い研究のノウハウではない。じゃあ、高校教育は、探求の授業を通して、生徒にどんな能力を身につけさせたいんだ?私は高校生たちになにを言えば良いんだ?
と、考えている間に、とくに良いアドバイスもできないまま時間が過ぎてしまった。
答えのない問いに取り組ませるという体裁の探求の授業は、本当に「探求」になっているのだろうか。自分が受けていた探求を思い返しても、「高校生が行う研究」の典型に則って、「正しい方法で」研究をすることを教えられていただけな気がする。多くの高校の探求の授業は、答えのない問いへの「正しい取り組み方」という「答え」を、生徒に強いる形になっているのではないか、なんて、わけがわからないことを考え続けている。

関係人口の再考

「1年越し」がくれたもの

 ざっと思い返しただけでもこれだけ学びが多く濃い4日間だったが、今回の長井旅で最も興味深かったのは、「1年越し」に「同じ場所」を訪れるという経験だ。
 前回長井に来たのは8月26日だったらしく、本当にちょうど1年前だ。今年の方がやや暑いような気はするものの、気温も天気も、夏休み明けの雰囲気も、昨年とそっくり。広葉樹、田園風景、蝉の鳴き声、ああ本州の田舎だ!という第一印象まで同じだった。

 第一印象までも同じだった。まち自体は変わらないはず。なのに、昨年と同じように長井を散策して感じたことは、まるで違っていた。昨年さらっと通り過ぎたライダーの聖地が妙に気になった。真っ黒なトンボが目についた。米の栽培方法を知りたいと思った。車間距離の狭さにびびった。外来種の少なさに感動した。栽培されているぶどうが食用かワイン用か気になった。おいしい日本酒に惹かれた。

 昨年は興味のかけらもなかった場所、気づきもしなかった存在、浮かばなかった疑問、、、1年ぶりに長井を訪れた私が発見したのは、「まちの変化」よりも、「私の変化」だった。

 ライダーの聖地が気になったのは、4月に入居したシェアハウスでバイク好きと出会ったから。トンボが目に付いたのは、ここ半年研究のために通っていた水田では見たことがない種類だったから。米の栽培方法を知りたいと思ったのは研究内容のせい。車間距離の狭さにびびったのは、2月に免許を取得して運転がわかるようになったからだし、外来種の少なさに感動したのは1年間の生態学の勉強の成果。20歳になった今年だから、お酒のことは気になっちゃうし、3月末に働き始めた居酒屋のおかげで今となっては日本酒に目がない。

 昨年は気づかなかった、見えなかった、考えなかった何かが、1年たった今では当たり前に自分に降ってくるのが、面白くてしょうがなかった。1年間の経験が、同じ景色に対して抱く感情をこんなにも変えるのかと感動した。1年越しに同じ場所を訪れることで、自分の変化がまちのいたるところから浮かび上がってくるなんて、思いもしなかった。1年間の自分の軌跡を数日間でこんなにたくさん発見できることって、他にないのでは。なんだこれ面白すぎないか。

まちと関わり続けるということ

住んでいる場所とは違うまちと、関わる理由は様々だと思う。家族がいるとか、行事が好きとか、綺麗な景色が観れるとか、「変わらずそこにあるもの」はもちろん、自分の変化やまちの変化など、「行くたびに変わるもの」も、まちと関わり続ける大きな楽しみの一つなのだと、今回の旅を通して実感した。
 
今の私は、来年も長井を訪れる気満々である。長井に会えない間に私が何を感じてどんな価値観を得てどんなふうに変わるのか、来年はどんな景色が見えるのか、気になっちゃってしょうがない。
たくさん私と向き合って、磨いて、成長して、長井と再会できますように。


去年も今年も、関わってくださった全ての方々に感謝申し上げます。

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