見出し画像

小説「フライ・息子・トゥー・ザ・ムーン」2024/04/04


 私は、ゆっくりと、深呼吸をした。

 五年に亘る懲役の間、七七八九〇番と呼ばれていたが、それもこの正午で終焉(おしまい)。私は、岐阜刑務所を後にした。
 家族・親族との縁はとっくに切れている。私がバスで戻るのは、加茂郡の安いアパートだ。もし売れっ子のアパートだったら、直ぐ様立ち退きで、本人不在でも家具は売り飛ばすぐらいの勢いだっただろうが、幸い襤褸アパートだったので、五年前の当時の部屋がそのまま残っている──ここでいう、幸い、というのは私にとってのものであって、では大家さんにとって幸か不幸かどうかというのは明言を避けようと思う。

 時間をかけて帰宅し、自らの牙城へと戻ってきたら、意外と部屋の中は(若干下水道のような臭いや腐臭はあったものの)とんでもなく臭い、ということはなかった。おそらく……私が不在となりブレーカーがOFFになって少し経った後に、近隣住民が異臭に耐え兼ねて、クレームを入れたのだろう。そして、大家さんか管理会社かその他の機関が、腐った野菜や肉や飲むヨーグルト等を処分したのだろう。尚、電気や水道は、刑務所が管理会社へ連絡しておいてくれたみたいだ。瓦斯(ガス)は止まっているが、大した問題ではない。

 日没。

 近隣のスーパーへ行ってきた。……目が眩むようだ。──自由! 自由! 自由! 刑務作業無しで……自由に、買い物をさせて頂いた。
 ──と言っても、手元及び通帳の金銭は少ないことこの上無い。七割引きののり弁当と、安売りの水出し可能なお茶パックを購った。

 帰宅し、最高の晩餐を催した。家にテレビは無く、無音だが、私の感涙が時折、音へと化けて空間を彩った。

 「オービス」や「鼠捕り機」等の通称で知られる、速度違反自動取締装置の開発やメンテナンスを行う会社に勤めていた。一般道や自動車道路や高速道路でスピードを測り、或る一定の速度を違反した者を撮影する機器だ。
 勿論、一km/hオーバーの違反で即アウト、即撮影というわけではない。警察の指示により、場所によって異なるが、一般道では三〇km/h以上オーバー、自動車道路や高速道路では四〇km/h以上オーバーで作動し、お縄と判断することが多い。勿論、その場で檻や吸盤付きの触手か何かが降りてきて、車を捕らえるわけではなく、あくまで撮影だ。ナンバープレートも顔も高画質でクッキリと撮影される。その証拠写真は警察に送られ、違反者が忘れた一~三ヶ月後に電話と郵送で出頭を命ぜられるわけだ。
(なお、私は檻や吸盤付き触手が出てくる大掛かりな装置を開発しようとして、止められたことがある。あの時既に三十路を少し超えていたように思う。)

 で!

 仕様が固まってからの量産自体は別の工場でやるが、仕様が固まるまでの開発や故障した取締装置を、私が五年前まで勤務していた株式会社中美濃土田開発(かぶしきがいしゃなかみのつちだかいはつ)で開発していた訳だが──私は別に、クビだ、と言われた訳ではない。土田開発(専らそう略される)とて、屹度私を求めていることだろう。土田開発のみんなは、五年前に私を突如失った被害者だ……。

 私は、出所前からずっと考えていた。復帰時に手土産として、新取締装置の試作品を持って行こう、と。

 私を慕っている若い二人の部下を、それで、喜ばせられる筈だ!
 ──正直なところ、服役中はずーっと、二人の部下のことを考えていた。

 新取締装置の試作品を作るとなると、本当に生活費が無くなる。生活費というか、食費。一週間しか持たない。
 一週間以内に試作品を完成させ、土田開発へ持って行き、そこで給料の前借りなんかをすれば、全ては解決するだろう。

 私は翌日から、試作品作りに着手した。先ずは叩き台となる設計図、そして、材料リストだ。金が無いのだから、材料の買い漏らしは許されない。二人の部下を想い乍ら、私は、気合いの塊となっていた。

 日が二、三回没して、更にまた落ちようとしている頃、私は気がついた。これは、材料が、どう考えても足りない。当たり前だ。工具なんかは古いのが家にあるが、基板もリレーも高い。これは、昔のように、中身の開発は会社に復帰してからの方が良さそうだ。そうでないと、飢え死にもしてしまおうというもの。

 私は、機器の筐体のみを完成させ、中身は会社で完成させることにした。よし、今から土田開発へ向かおう!
 ──やっと、二人の部下に、会える! その他の社員のみんなとの邂逅も、また、喜ばしく感動的なものであるだろう……。

 出所から、四または五日目、或いは六日目のことだった。……日の数はあまり覚えていないが、それはまあ問題ではない。

 株式会社中美濃土田開発は、夜間の発光試験等を行う都合上、勤務時間が〇三:三〇~一二:三〇だ。途中に休憩を計一時間挟む。午前三時半始業というのは、最初こそ慣れなかったものの、わりとすぐに慣れた。

 今は日没直後。
 一眠りしてから行こう。
 
 
 
 
 
 
 

 寝過ごしたか!?

 ……いや、まだ、日の出前だ。

 午前四時を少し回ったところだった。丁度良い頃合いじゃないか、出発しよう。
 私は試作品を担いで、アパートを出た。以前は原付で通っていたが、どうやら五年前に没収されたようだ。無いものを強請(ねだ)っても仕方が無い。土田開発は同じ加茂郡だ、歩いて行ける。



 下弦の月が、綺麗だった。



 途中、通勤路で唯一のコンビニエンスストアに寄った。背負っている試作品の筐体はコントラバスと同じぐらい大きいので、外に置いておいた。放尿はそこらへんですればよいし、水は公園で無料で飲むとして、ならばコンビニエンスストアで何をしたかと言ったら、少し、暖を取った。私はそこで、今日が四月一日であることを知った。

 何だかんだで飲尿、じゃなかった、放尿と飲水を店内で行い、コンビニエンスストアを出た。試作品の筐体を再び背負い、闇の中を、歩く。

 アパートを出てからは結局、一時間と少し、歩いただろうか。
 
 
 

 空が、白んできた。
 

 遂に、土田開発へ到着した。


 私を慕っている若い部下が、二人いた、と述べた筈だが、彼女らに五年振りに会えると思うと、嬉しくて仕方が無い。二十代後半になっている筈だ。


 白んできた空が、未だに暗い乍らも、赤く染まりつつ、ある。



 社の敷地に入る。

「……ひぎ、うわああああああ!」

 玄関の前辺りにて、私を見つけた、新入社員と思(おぼ)しき一人が悲鳴を上げた、失礼な奴だ。まあ、薄暗い中で人影を見たのだ、熊や霊、または、熊の霊にでも間違えたのだろう。

 社員は四十人前後の筈で、毎年新入社員を取るような会社では無い筈だが、何やら新入社員と思(おぼ)しき人物男女計七名が、玄関付近で物を運んでいた。スーツだから、すぐ分かる。

 そして……おお!



「いくみちゃああああああん!」

 私は野太く低いダンディーでかっこいい声を、上げた。

 新入社員と共に物を運んでいた、ツナギ姿の土田 生心(つちだ いくみ)が、ビクンと跳ね上がり此方を見る。



 十秒、目が合った。

 ──おお、嬉しさのあまりか、表情が歪んで、涙が溢れている。彼女は小動物の中でも頂点に君臨するのではないかという程の愛苦しさだ。背が小さくて、やや巨乳だが、尻や太ももの肉付きが県内屈指の良さで、非常に可愛い。私の愛しの部下だ。緑為す黒髪を後ろで二つに縛っている。低身長と童顔のせいか、二十代後半だなんて、とてもとても見えない。女子高生、下手したら女子中学生といったところではないか。しかし、再度申し上げるが、やや巨乳だ。

 
 彼女は一旦空中へと取り落とした機器を、高価な物だと思い出したのか、ハッ……と今一度確保に向かう。間一髪で地面へ機器が落下する前にキャッチした彼女は、そのまま機器をその場へ起き、肩で息をし始めた。



 そして。


「ひとみさあああああああああああああああああああああああああん!」


 靴を脱ぎ飛ばして、玄関から社内へと入り、二階へと駆け上がっていった。……おお、喜びのあまり……人実を呼びに行ったか……そうよな……そうよ喃(のう)……。

 今、土田 生心(つちだ いくみ)が呼びに行ったのは、大宮 人実(おおみや ひとみ)だろう。私の、もう一人の、愛しの部下。


 生心は社長の娘だったが、技術面でも経営面でも弱いようだった。営業も、まあ、気の弱さが祟ってか、あまり出来そうになかった。
(勿論、愛くるしいので、そんなのは問題ではないし、更に言えば、私と結婚すれば仕事なんかはどうでもいいだろう。)

 そんな生心の一歳下に、天才美女・人実がいる。何をやらせても超一流。技術、経営、営業は無論、資材調達、価格交渉、厄介な書類の整理、経理の問題点の指摘……社長からも一目置かれていた、どころではない。入社一年目からエースだった。
 クールビューティーで背が高い彼女は、貧乳であったが、しかし、社内外の老若男女の全員から好かれていた。あまりにも天才だと、嫉妬する気すら起こらない、というのに加えて、クール乍らも決して冷酷ではなく、キチンとお土産やら残業代行やら、いろんな気配りに長けていた。
 短髪で鋭い目がクールな印象を他人に感じさせるのかもしれないが、いやいや、彼女は情熱的な人だ。

 嘗て、あ、いや、別に盗み聞きをしようとしてしたわけではないが、人実と生心が二人っきりで倉庫の奥で話していたのを盗聴器越しに聞いた。

 人前では苗字に〝さん〟付けで敬語で話している二人だったが、二人きりだとタメ口だ。ただ、土田生心が、一歳年下である大宮人実に対して「人実さん」と言っているのに対し、大宮人実は一歳年上でかつ社長の娘で入社時から専務の肩書きを持っている土田生心に対して「生心」と呼び捨てにしているのには、勃起した。

 そして、二人は、愛し合っているようだった。逢い引き──と言っても、いつもいつも体を重ねているわけではないが──を盗聴したのは、生心に一年遅れて二十二歳の人実が入社してから二百回や三百回では無い為、詳細は省くが、どうやら生心は自分には仕事の才能が一歳無いことを物凄く悩んでいるようだった。クールな人実は、声を押し殺してはいるものの、情熱的に、


  ・仮に仕事の能力の欠如が事実だとしても、生心の魅力は衰えないこと。
  ・慣れていなかったり、専門分野では無かったりするだけで、生心は決して仕事が出来ない人ではないこと。その証拠に、予習や復習、報告・連絡・相談はキッチリ出来ているし、作業も丁寧、怠惰でも無し、つまりは何の問題も無いこと。


を伝えていた。一方で生心は、人実に社長をやってほしい、そして……同性ではあるけれども、どうか、自分と結婚してほしい、それが法的に適わないのであればせめて、自分を内縁の妻にしてほしいと、訴えていた。

 彼女達のディープキスの音声を盗聴して射精したのは、最早、数えられる回数ではないのだ。



 ああ、3Pしたいよなあ。
 すべきだよなあ。


 私が生心と結婚し、生心と会社を頂戴し、人実も同棲するから万事解決だ。そう、早く、彼女達に伝えたい!

 ああ、何も知らぬスーツの新入社員達が、ざわついている。



 そして。



 程無くして、綺麗な人実と可愛い生心が階段を駆け降りてきた。二人とも、白梅鼠(しらうめねずみ)のツナギ姿。白梅鼠とは、浅く浅く明るい、白に近い灰色だ。凸凹アベックという感じがして、愛くるしい。人実は流石にクール乍らも苦労人、ツナギが黒や茶に、かなり汚れていた。作業をしていたのだろう。股間の部分にも汚れが到達しており、かなり興奮する容姿だ。人実の乳首や小陰唇は、かなり黒いのではないかと私は攷(かんが)えている。
 

 おお!


 彼女達の美しさに、私は涙を流していた。


 二人は急いで靴を履き(生心は脱ぎ捨てた靴を丁寧に整えてから履いた、可愛い。)、玄関を出て、結構まだ距離はあるが、私と対峙した。


 人実はバールを構え、生心は少し後ろで消火器を構えた。


 ん?



 人実が明瞭な滑舌で、叫(おら)ぶ。

「社員のみんな、下がって! 離れて! この人物はここの元社員。新入社員のみんなでもニュースで知っているんじゃないかな? 五年前のセクハラ事件の犯人よ。出所した頃だとは思っていたけど……すぐに来るなんて。」

 私は、声を発した。

「おいおい、どうしたんだいそんなに興奮して! 人実ィ~……。また、綺麗になったね。愛おしいよ。」

 新入社員達が、ざわざわ。

「……みんなに説明しとくけどね、」

 人実がハッキリした、アナウンサーのような美声で叫(さけ)ぶ。

「この男は今年五十歳ぐらいになる、一川 物児(ひとかわ ものじ)という技術者よ! 確かにストロボなんかには詳しいからこの会社に入社したんだけど、ね! 変な発明ごっこみたいなものを繰り返して、五年前、」
「発明ごっことは何だ!」

 私は反駁した。

「人実、それはないだろう。五年前、」

 そこへ、人実が大声を被せる。

「みんな聞いて! この一川は五年前、私と生心に、……土田専務に、蛍光の反射シートで創られたパンティーを履かせて高速道路でスピードガンを持って、速度計測をさせようとしたのよ!」

 新入社員が、どよめく。

「おいおい。……まあ、事実だ。確かに私は、夜光パンティー作戦を立案した。併し、人実、そして生心、」
「生心の名をお前が呼ぶな!」

 何故か人実が激昂したが、私は続けた。

「私は考えたよ。獄(ひとや)の中で考えたんだ。──どうかしてたよ、男性だけが喜ぶパンティーを夜光にしようなんて。勿論、君達の煌めくパンティーを見て速度を落とす者が続出する筈(はず)だったから、名案だったわけだけど……。今思えば、この男女共同参画社会の世で、そんな不平等が罷り通ってたまるかってんだ。そう云いたいんだよね? ……ほら、これ。まだ、外側(がわた)だけだけど、立派だろう。良筐体(りょうきょうたい)だ、ほら。」

 背負っていた試作品を、降ろして、彼女らが見えるように立てる。先述の通り、コントラバスを少し上回る大きさ。軽いそれを横で支えながら、私は言った。

「これで女性の皆様を喜ばすのが先決だった。な?」
 
 
 
 
 
 

 巨大夜光ちんぽ。
 
 
  

  

 
 
 

 新入社員達が、絶叫し始めた。



 私は叫ぶ。

「生心! 結婚しよう! 会社は、任せろ! 人実も同棲するから万事解決だぞ! 君達レズの未来は明るい!」

 新入社員達がざわつく。心做しか(?)、レズ、という言葉に反応したようだ。

 生心が消火器を取り落とす。カラン、カラン……。危うく足の甲の上に落ちるところだったじゃないか、危ないなあ。──おお、嬉しさのあまり泣き崩れたと見える。

「捕まえて下さい!!!!!!!!!! 早く!!!!!!!!!!」

 人実の絶叫だった。

 急に位置エネルギーだか運動エネルギーだかよく分からないものが、私に襲って来た。
 背後に激痛。
 地球が、世界が、回る、回る。


 

 どうやら、岐阜県警察の数名が、私を縛したようだった。




 お縄。





 

「おい、これは何ういうことだい!?」

 私は、叫んだ。取り押さえの痛みに涙が出てきた。

「……ああ、そうか、今日はエイプリルフールだから、」
「大人しくしろ!!!!!」

 岐阜県警の中でも巨軀(きょく)の大男が、私を怒鳴りつけた。

 何(ど)うして、斯(こ)うなるの!?

 何とかして匍匐前進(ほふくぜんしん)の真似事のような動きを以て、首の向きを変えると、どうやら泣きながらお漏らしをしている生心を、人実が抱き締めて慰めている。淡き色のツナギに放尿はよく映える。背にしているから見えないが、日が昇ったようだ。眼福に、感謝。

 私は直(す)ぐ様(さま)、床オナを開始した。この場合は、床オナというより、岐阜オナ、地球オナである。






「「「「「「「「「「ガガーリン!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」





 烏だ! 大量の烏が……舞って……何だ……おお、ギリギリ視界の端っこに屹(そばだ)っていた、巨大夜光ちんぽが、烏に啄まれ、咥えられ……空へ! 未だに月が沈み残る、西の空へ! 朝焼けを背に、どんどんと高度を増し、私達の元を去ってゆく! 浄土へ! 浄土へ!

 私は、唯只管(ただひたすら)に、泣いた。





  明時(あかとき)に八咫烏(やたのからす)の陽(ひ)を受けて曜(ひか)る陰茎(むすこ)ぞ月へ翔びける

                  一川 物児(ひとかわ ものじ)



 一一〇七二一番である私は、他の服役者と共に、名も知らぬ白身魚のフライを囓っていた。私語は厳禁。どんな宗教施設よりも、神聖な空間で、真摯な行為をしていると、我乍ら思う。この敬虔(けいけん)さが何(ど)う報われるのか、はたまた報われないのかは、今は、考えないことにしている。

 この白身魚のフライは、心做しか、一物(いちもつ)の──陰茎(むすこ)の形に、見えた。

 泪が自然と溢(あふ)れた。

 私はこの生殖器を、食(は)み果(おお)せねばならぬ。
 おお!
 あの美(は)しき二輪の百合(ゆり)はその後、どうなったのだろうか。今度出所したら、レズバレした二人を、色んな意味で、慰めてやろうと思う。

 この世の全てに、感謝。

 ところで、いつ出所出来るんだっけか?
 な~んか無期懲役みたいなことを聞いたような気もするが、実際には無期と言っても、三十五年程度だろう。或いは、十年ぐらいで仮釈放されるかもしれない。まあ、攷(かんが)えても仕方が無い。今はこの、咀嚼中の男根に集中しよう。


 美味い。


 味噌汁(おみおつけ)を啜る。
 良い味噌だ。
 味噌汁(おみおつけ)の湯気が、む~ん、と立ち上った。
 眼鏡が曇り、目は、温かく優しい蒸気を以て、今一時(いまひととき)の、憩いを得た。

 私は、ゆっくりと、深呼吸をした。


                  〈了〉

非おむろ「フライ・息子・トゥー・ザ・ムーン」
2024/04/04(木) ── 7256文字


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?