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使い古しの言葉

例えば愛の言葉。

大人になればなるほど、好きになった人や大切な人がいればいただけ、愛を伝えたことがあるかもしれない。

伝える手段の多くは言葉だから、愛の言葉を使って伝えるだろう。「君のことが好きなんだ」と。


そうしたら、その愛の言葉は何度も使われていく。表現は少しずつ違うかもしれないけれど、人のメンタリティなどすぐには変わらないから、きっと似たような言葉になるだろう。

対象は違う。

でも同じような愛の言葉。


じゃあその愛の言葉って、使い古しになる?誰かに向けた愛のお古ってこと?


大人になっていくにつれて、愛の言葉は鮮度が落ちていくのかもしれない、とふと思った。


「気持ちは出来るだけ早く、熱いうちに伝えなさい。そうしないと伝えられなくなってしまうから。」

ということをよく聞いた。そうなんだなと思ってきた。でもふと立ち止まって考えたとき、それって難しいことに気がついた。わたしは生まれた気持ちに合う言葉を探すのに時間がかかる。本当にその言葉で合っているか、もっと違う気持ちが含まれていないか、よく吟味したい。より本当の言葉を届けたい。その言葉が腐ってふかふかの腐葉土になって、温い温度を持ったら、それを伝えたい。わたしの最速はその時だ。


受け取る時もそのくらい時間が欲しい。じんわり広がってあったまるまで待ちたい。やっぱりこの言葉は大切なんだ、と何度も反芻したい。即時性のないコミュニケーションで、わたしは生き返ることができるのだと思う。



言葉は使い古しかもしれない。何度も使えば慣れてきて、新鮮ではないかもしれない。だけれど、その言葉の中にきっと温度があったのだと確信があれば、じんわりと半紙に滲むみたいに言葉は広がっていくと思う。


大人になるって、届けたい気持ちを新鮮には渡せなくなることなのかもしれない。それはなんとなく悲しい気がするけれど、使い込んだ言葉にその人にだけ向けた温度を乗せて、届けられたらいいのになと思う。



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