友達がいないけど不幸ではない

足取りが重いことも、60分を超す公共交通機関での移動が億劫なことも、Bruno Marsは全部吹き飛ばす。浜松町から大門に乗り換える狭間の7分間の徒歩移動、A5出口を経由して階段を降りながら都営大江戸線に乗るまで。頭上の標識を眺めながら歩く私の潜在的な意識はBEYOONSのデビュー曲について考えているけれど、脳裏のメロディーはRunaway Babyに支配されている。怒涛の連続東京ドーム公演は、浪費だったか、ギャンブルだったか、何かしらの理由でとてつもない借金を負ったからだそうだが、大スターも資本形成でバカをやったという事実すらグルービーに感じさせるシャウトは、鬱屈としか自分の精神的な調子の悪さを表現できない私の自身の語彙不足への苛立ちを振り払う。音楽は大事だ。鬱にならないための第一歩は整理整頓された部屋だと思っていたが、やっぱり音楽かもしれない。離婚手続きも、九段下と渋谷の3往復も、ジムの後の筋肉痛も、良質なプレイリストが全てかき消してくれる。生憎、本家よりもPitch Perfectのカバーが好きなんだけどね。

最近考えていることは主に友達いねえな〜、ぐらい?後はスタッフ教育どうしよう、、とか、就活やりたくないなーーやるつもりないけど人生どうなるんだろうな〜ぐらいのことぐらいです。

大人になると利害関係のある友達ばっかになるんだよね。まあ、20歳になったので、もう10代の甘酸っぱい青春だけではいられないよ、ということでしょうか。しかもその利害、とやらは誰も世間の人々は言語化しないんですよ。それが末恐ろしい。

それなりに公的な場所にはドンドン容姿が悪く、何のステータスもない人間はよばれなくなっていく。顔が悪けりゃ、代わりの何かの権威性が必要になる。誰を呼ぶか、が当人の評価に直結するから。友達になるにも、友達をお互いを呼び合うにも認証バッジがいる。2500円のランチを食べる時にわざわざ「高いね」と口に出さない大人は、そういう大人同士で連むから、お友達とのランチに町中華を選ぶセンスのあるメンズとはどんどん出会わなくなっていく。富裕層だというよりかは、上流界隈に足を突っ込んでいる同士だよね、という連帯意識?帰属意識?を特に強く感じたがっている、そういう人たちがいる。

一回飲んだだけでその人の素性も実家の親の挙動も本当の収入も努力も、わからなくても、「目を見ればわかるんですよ」という陳腐なフレーズで全部チャラになる。ただ飯を適当に食べて、何も得るものなんてないんだけど、映画を見る友達の数は減っていく、過去の思い出を懐古する以外の未来の話をできる友達は、もう地元にはいなくなっていく。それって私だけ?

俺らって大丈夫だよね、いけてるよね、騒いでても様になっているよね、という同調圧力のための友達はいらないので、別にいいんだけど。友達いないので、離婚届の証人を探すの、大変だった。うちは大学が山の中で遠いから、という文言を度々言い訳にしているけれど、私には大学に友達が3人しかいない。現金を原生で保管してある自宅に呼べる信頼があって、一緒に自炊して、適当にコンビニで買った安いレモンサワーを飲みながらApple Musicのランダムプレイリストの古い曲を叫んで深夜3時に盛り上がる友達は、3人しかいない。でも本当に離婚届に2人も証人が必要なのを忘れていて、相当に面倒だった。住所書いてもらわないとダメだから、行きつけの美容院のスタッフさんに頼もうかと思ったけど、キチガイだと思われたくなかったので、辞めた。

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