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三遊間。

いつからか三遊間の仕事を自分から取りにいかなくなってしまった。

入社当初はもう少しできていたはず。

仕事でもプライベートでも、
三遊間を取りにいったらそれがいつの間にか
私の"しないといけないこと"になってて、
それが何度も何度も重なって、
そのうちに自分が疲弊してしまった。

(野球でもともとは私の守備範囲じゃないのに
一度ファインプレーでボール取ったら
次からそこのボール取れなかったら私のミス、
「何やってるんだ!ちゃんとやれ!」ってヤジが飛んでくるような、そんな感じ。

最初から手を挙げなければいいんだ。
やる気を出したらつけこまれる。

そんな風に思ってしまう。
自分が軽視されてる感覚。

最初はたしかに自分からやりたいと思って、
やろうと思ってやったことなのに。

恋人ともそうだった。
私の家が過ごしにくいとか色々あったんだろうけど、いつしか私が彼の家に通うっていうのが当たり前になって、
ありがとうもなくなってしまったのが悲しかった。

でも私も人のそんなやさしさに気づいていないのかもしれない。

恋人はいつも部屋を掃除して待っていてくれたし、
私の好きなきのこをたくさん盛りつけて鍋の準備してくれてた。
一緒に食べようってスイカ買ってくれてた。
毎回布団乾燥機かけてくれてたのも一緒に寝るの楽しみにしててくれたのが伝わってきてすごくきゅんとした。

私、ありがとうってちゃんと言えてたっけ。

仕事だって、
私が参加してる打ち合わせ、誰が企画してくれたんだっけ。
誰が資料にまとめてくれてるんだっけ。

それって彼らのやらなきゃいけない仕事なのかな。

きっと違う。
会社っていう大きな目でみてよりよくなるように
自分の守備範囲めいっぱい広げてやってくれてるんだ。

全然見えてなかった。
自分は見えてるつもりで、みんなはなんで私のやってることに気づいてくれないのって思ってた。

自分の価値観でしか、
自分の見ているものしか見ていなかった。

みんなそれぞれがこうしたらよくなるかな、
どうしたら相手が喜んでくれるかなって考えてる。
それがきっとその人らしさだ。

そして見てくれてる人がいなくても、
誰からもありがとうって言われなくても、
誰かのために行動してるんだ。

もちろん業務効率化とか言われてるこの時代、
すごく難しい。
私が引き受けてしまったら、来年の後輩の仕事まで増やしてしまうかもしれない。
他の部署がやった方がいいなら
しっかりそう主張した方がいいかもしれない。

無駄に雑務を引き受けたいわけじゃない。
そんな余裕はない。

でも。
私がやれることなら
私でもやれそうだな、やってみようって思うことなら
私が誰かのためにやりたいと思うことなら
やっていこう。

誰も見てなくても、私が見てる。
だからいいんだ。
(しんどくなったらマイルール。
今世で徳を積んだら来世は猫になれるかも。)

そして私が見えてなかった人に、ことに、
ちゃんとありがとうって伝えていこう。

人間急には変われないけど、
気づかないと一生変われない。

ちょっとずつでもいいから、
明日からやるぞ。

さぁこーい。

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