音MDM天が終わって
前書き
皆さんご無沙汰しております。埜村武です。
今回『音MAD DREAM MATCH -天-』の本放送ディレクターとして運営に参加させていただきました。
企画に参加するまでの経緯と本放送までの流れを、自分の視点から見た所感でつらつらと書いていこうと思います。
遡ること5年前
面倒くさいんで以降『音MDM天』って書きますが、遡ること5年前の2018年に1回目の『音MDM』が開催されました。
『音MDM天』と同じく放送はものすごく盛り上がり、今の音MAD作品にも影響を与えるような作品が多く公開され、また企画自体も音MAD界隈のイベントが多く開催される大きなキッカケになったのも事実でした。
自分もすでに音MAD作者として活動をしていた身ではあったのですが、当時の『音MDM』に関しては、参加はおろか、関係者でもなく、当日の生放送も見ていませんでした。
後日、そのすごい盛り上がりがあったことを聞き、陰ながら拝見はしていたのですが、当時の界隈における『音MDM』の盛り上がりには何故かついていくことが出来ませんでした。
脚光を浴びていた『音MDM』に対して、自身の状況と比較したときに、音MAD作者としての焦りや劣等感など負の感情を勝手ながら感じざるを得ない状況に当時置かれていました。
今でこそ、音MAD界隈において様々な企画に参加しているので音MAD作者として貢献できる部分はありますが、当時の自分は他の音MAD作者とのつながりは持たず、自分が面白いと思った作品をコソコソと作って作品を通じて共感してもらえたら十分だと考えていました。
ただお分かりの通り『音MDM』の影響はすさまじく、同年の10選でも多くの作品が上位に入るなど、音MAD界隈における『音MDM』は話題の中心になっていることは確かでした。
『音MDM』の影響力が計り知れないものと気づくと同時に、対比して音MAD作者である埜村武がこの界隈では何も残せないのではないかと勝手に落ち込んでしまうことが多くありました。
そして、界隈において自分は需要が無いと勝手に思い込み引退まで考えました。また、引退するぐらいなら”音MAD界隈の中心となっていた音MDM関係者”を敵視し、すべて壊してやろうという悪い感情になっていきました。
そんな音MDMで盛り上がっている音MAD作者全員を敵として、誹謗中傷や攻撃をしようとしましたが、自分にはそんな肝っ玉は持っておらず、勝手に泣き寝入りすることしかできませんでした。
焦りや不安が一方的にたまっていき、音MAD作者として限界を迎えようとしたとき一旦冷静になろうと考えました。この悪い負の感情を溜めるのではなく、作品に落とし込んで作品で音MAD界隈を攻撃してやろうと考えました。
そこで今までの活動はリセットして、2019年に入って干されてもいいからこの音MAD界隈を作品で荒らしてから地獄へ行こうと決意しました。
音MDMと音MAD界隈をぶっ壊す
そんな動機から生まれたのが、『ウソップ』『2段・3段脚立_月』です。特に『2段・3段脚立_月』は同年の10選でも上位に入り、初めて埜村武がこういった動画を作るという認識を界隈に広めることが出来たと思っています。
2019年で自分の作風が安定してきて、加えて音MADに対する情熱もいい方向で再燃してきた矢先、東京で音MADリアルイベントの『nerdtronics』の1回目が開催されることを聞きました。ぜひ参加するしかないと思ったのですが、今まで音MAD作者とのつながりはほぼ皆無といっても過言ではなく、当日何を話せばいいのかすごい不安でいっぱいでした。
そんな中、イベントに出向き今では仲良くさせてもらっている作者さんの多くにお会いしました。内心では(コイツらが今の音MAD界隈を引っ張っている連中だな・・・)シメシメと悪い感情が見え隠れしたのですが、純粋に『nerdtronics』が楽しくてその時には負の感情はフツーに忘れていました。
興奮冷めやらぬ中、2次会にも参加して、その解散間際にコサンジさんに「埜村武さんですよね?少しお話いいですか?」と急に声を掛けられました。その先には数人の作者さんがいて、「合作を企画しているんですが埜村さんも参加しませんか?」と合作のお誘いを受けました。内心(俺に声かけるんだから大した合作じゃないんだろうなぁ)と思っていましたが、箱を開けてみるとその合作は『OTOMAD TRIBUTE』だったんですね。
お誘いを受けたときは事の重大さにあまり気づかなかったんですが、後々振り返るととんでもない状況だったんだなと振り返ります。また、後々聞いたんですが「なんで僕をこの合作にお誘いしたんですか?」と聞いたところ「『2段・3段脚立_月』を見て衝撃を受けて是非お誘いしたいと思ったんです」とうれしいお言葉をいただきました。
まさか音MAD界隈を壊してやろうという動機で作った『2段・3段脚立_月』が音MAD界隈をけん引する人たちに評価されるとは夢にも思わず、加えてそのような人たちと一緒に作品を作れるとは思ってもいませんでした。
『OTOMAD TRIBUTE』を通じて初めて多くの作者さんと本格的に交流が多くなり、今後の活動のキッカケにもなるような出来事だったと思います。
やれることはやってしまえ
『2段・3段脚立_月』で作者として自信が付き、また作者さんとの交流が多くなり、よりアグレッシブに活動していこうと考えていました。
そんな中2020年に入り、世の中はコロナ禍で家にいることが今より強制的だったのが記憶に新しいですが、音MAD界隈はそれを逆手に取りより多くのイベントや合作が開催されていきました。
『超音MAD晒しイベント』が開催されるということで未来の音MADを募集していると聞き、たまたま宣伝用に制作した動画を提出することになりました。
それが『あらびき音MAD』の宣伝動画なのですが、まさか自分でもあんなにウケるとは思わずイベントもそこそこ盛り上がったのも覚えています。
本当はああいった特殊な動画はこの界隈ではウケないと思っていましたが、まさか受け入れらるとは思ってもいなかったのでそこで大きな発見を得ることができました。
その発見が「自分が面白いと思ったことは全力でやれば受け入れてくれる」。音MAD界隈にはその器の大きさがあると確信しました。
その発見を利用して次に企画したのが『音MAD作者格付けチェック』です。
今までの音MADイベントに共通する複数の作品をセトリで組んで生放送で公開するのではなく、音MAD自体を一度分解してバラエティ番組にしてしまおうという試みはまたしても受け入れられたのはすごく痛快でした。
『あらびき音MAD』『音MAD作者格付けチェック』は、元はといえば同じ音MADイベントである『音MDM』に対する逆張り精神から生まれたイベントなのですが、同じくして音MAD界隈に受け入れてくれたのは2018年の自分からすればありえないことだと思いました。
加えて、そんな企画でも受け入れてくれた音MAD界隈というのはまだまだ可能性があるということに気づけたのはものすごくうれしかったです。
そして、音MDM天につながる
音MAD界隈において、有難いことに様々な挑戦をすることが出来た中、水面下であるプロジェクトが動こうとしていました。
ゴムーン氏が”前回の音MDMから5年もたったのでもう1度するならどういった作者が参加するか”という放送をしたことをキッカケに、今回の『音MDM天』運営の一部メンバーが那須ピーマン氏にやるのかと問い詰めたそうです。
結果としてやることになったのですが、運営メンバーを増やす際に当日の放送の管轄を誰に任せるかという話になり「あらびきや格付けで実績のある埜村さんに参加してもらおう」となったらしいです。
そしてお分かりの通り自分は『音MDM天』の放送ディレクターとして参加することになりました。
今振り返るとまさか『音MDM』を中心とする音MAD界隈をぶっ壊してやろうとして始まった動機から5年後。その破壊対象だった人たちから自分の実績を認めてもらい、そして一緒に企画を進め、放送当日に同じ空間にいれたことはすごく不思議な出来事だと思います。
音MDM天の放送ディレクターとして
『あらびき音MAD』『音MAD作者格付けチェック』で培った放送のノウハウを『音MDM天』に存分につぎ込みできるだけのことはしたと思っています。
ただこの企画はあくまでも”出場者作品”がメインであり、自分はそのバックアップをするという立ち回りです。出来るだけ”出場者作品”が輝けるように構成や演出は考え、また放送当日の流れに不備が無いように心がけました。
今も興奮冷めやらぬ状況ですが、結果としておそらく問題なく放送できたと思っています。また、関係者の方々と同じ方向を向き突き進んだことは一生忘れないと思います。
5年前の悪い動機がもし人を傷つけるものになっていたとしたら、こんな光景はなかったと思うとものすごく恐ろしいことでした。
動機をエネルギーにして創作に落とし込めたのは、埜村武という音MAD作者の最後の意地だったのかもしれません。その意地がこうして報われたのは、感慨深いものがあります。
最後に
長々と書きましたが、僕は伝えたいのは「創作は裏切らない」ということです。自分が面白いと思ったものは全力で形にしてみてください。すると絶対に誰かが評価してくれるはずです。
ただ創作は、楽しいことばかりではなく辛いこともあるのは自分も経験してきました。でも絶対に安直にその悪い感情を人の足を引っ張るようなことには使わないでください。誰も得はしません。
逆にその悪い感情をエネルギーにして、創作に落とし込めばより強大な作品が出来るはずです。そして大きな影響を絶対に与えられるはずです。
作っているあなたも人間で、受け取る側も人間で、必ず共感してくれるところはあるはずです。そんな人間同士信じてみて作品を作ってみると面白いかもしれませんよ。
そんな面白いことを一生懸命無償で考えている連中が音MAD界隈にはまだまだいっぱいいるでしょう。まだまだこの界隈も捨てたもんじゃないと思います。
今後自分は大きな企画に携わることはないと思います。昔みたく好きな時に作品を投稿して、時には鼻ほじりながらみんなの動画をニヤニヤしながら見るおじさんになります。
これからこの界隈はどうなるかは知りませんが、やったもん勝ちです。一生に一度の人生ですからやりたいことは後悔する前にやってみてください。楽しいですよ!
そんなこんなで自分の音MAD作者としての区切りがついたのですが、楽しかったです!本当にありがとうございました!
最後に、また4回目のあらびき音MADでお会いしましょう!またね!