#1-9 東京かたばみ会
皆さん、こんにちは。野村です。
前回は、レノファ東京PVがきっかけで参加することになった、東京で宇部にゆかりのある方が集まる宇部政経研究会について記しました。
今回は、その宇部政経研究会のメンバーから後押しがあり、東京で行われた高校の同窓会に参加したことを記録します。
今年3月、宇部政経研究会の会合に初参加した私。メンバーの皆さんの中に私の出身高校である山口県立宇部高等学校(以下、宇部高)の先輩や後輩も多くいました。
そして、宇部高の先輩方、皆さんから共通して聞かれることが。
「何年卒?」
「今、何歳?」
「誰が幹事?」
高校を卒業後、一度も同窓会に参加したことがなかった私は、自分が高校を平成何年に卒業したかなど、全く意識しておらず。
あと、卒業年ごとに東京の同窓会幹事が決まっているらしく、私の代は、当時野球部だったOくん(たぶん卒業以来会っておらず連絡先も不明)とのこと。
宇部高には「かたばみ会」という同窓会組織があり、年に一回、宇部で開催されるかたばみ会総会の他、東京かたばみ会、関西かたばみ会、九州かたばみ会と、全国各地でも会合が開催されています。
「かたばみ会という同窓会組織があって、東京でも集まっているらしい」ということは、ぼんやりと知ってしましたが、宇部政経研に参加するまで実態を知らず。
話を聞いていると、どうやら40歳を迎える年に宇部の同窓会幹事、50歳を迎える年に東京の同窓会幹事が年次で順番に回ってくるシステムなんだそうです。
おおよそ、幹事年の前年ぐらいに慌てて同級生に声をかけて集まるようになり、幹事としてのお勤めを果たしていく、という伝統行事らしいのです。
聞けば聞くほど、古臭い仕組みで面倒そうだなと感じたのが、最初の正直な感想でした。
高校時代の友人とは、卒業後ほとんど連絡を取っておらず、辛うじて同じバンドをやっていた友人と、小学校から高校まで一緒だった友人数名の連絡先が分かる程度でした。
どうしようかな?と悩んでいた時、先輩方から後押しがありました。
「とりあえず行ってみようよ。俺は最初、いきなり全く知らない先輩から電話が掛かってきて、自分の年代は周りに誰もいない中でかたばみ会に行ったけど、気づいたら知り合いが増えていた。心配ないよ。」
「私も行くから大丈夫。去年は、ふらっと菅直人が来ていたよ笑」
あまり人とつるむのが得意ではなく、限られたコミュニティの中で過ごしてきたのは今に始まったことではなく、高校時代もそうでした。卒業後はどこかで勝手に蓋をして、振り返らないようにしていたようです。
でも、せっかく勇気を出してレノファがきっかけで人脈が増えてきたのに、また蓋を閉じちゃうのかい?と自分に問いかけ、菅直人さんは私の中で参加の決め手になりませんでしたが、蓋は閉じずに、思い切って東京かたばみ会の会合に申し込むことを決めました。
ちなみにユーピーアール酒田社長も宇部高の卒業生ですが、会合当日はホーム山口の秋田戦とバッティングのため、かたばみ会は欠席されていました。(同窓会<レノファで、さすがだと思いました)
自主的な組織運営で代々受け継がれており、運営ノウハウの蓄積が難しいのかもしれません。
申し込みは専用フォームに氏名や卒業年等をインプットして送信し、銀行口座へ会費を振り込む方式でした。
専用フォームの送信後も、銀行口座への振込後も、「受付が完了しました」的なリプライが一切なく、あれ?本当に申し込みできているの?とステータスが不明瞭に。
かなりふわふわした状況のまま、2023年7月22日、東京かたばみ会会場のホテル椿山荘(ちんざんそう)へ向かいました。
会場に到着し、卒業年次別に設けられた受付へ。私の名前があり、無事に申し込みはできていたようです。
次に、参加名簿見て同級生がいるか確認。同級生なし!というか30歳〜40歳の間がほぼいない!
バンケットホールの中に入り、これも年次別に固められたテーブルへ。まだ私のテーブルには誰もいない。
辺りを見渡すと、想像通りですがご高齢の方がかなり多い中、卒業からそこまで年数が経過したいない20代の方も若干数いました。
私のテーブルにもようやく人が来たと思ったら、あれ?見覚えのある顔が。
なんと、私の一つ上の代で、同じ器楽部(軽音学部)で、バンドは別でしたが、よく一緒にライブに出演していた先輩と、約20年ぶりに再会したのです。
数少ない知り合いと東京で20年ぶりに再会できるとは、大変驚きました。
会は、現在の校長から近況報告があったり、篠崎宇部市長からのビデオメッセージが流れたり。その他イベントが少々。あとは歓談ののち、校歌を歌って終了。
そういえば、菅直人さんも、噂通り来られていて、写真を一緒に撮っている方が多くいましたね。(私は遠目から見るだけ)
その後、ホテル内で二次会がありまして、私は二次会終了後に帰宅。三次会以降もあったようですが、私は育児もあり断念。
この日、私の参加を後押ししてくれた宇部政経研究会の先輩方が、かたばみ会に参加していた若い方たちに「今度一緒にレノファのPVいこうぜ!」と声をかけていてくれていて、実際に次のPVに、若者を一緒に誘って来てくれたことが、大変嬉しかったです。
私はというと、初参加のかたばみ会で最初から最後まで落ち着かず。ほとんどレノファ東京PVのアピールができませんでした。
一度足を踏み入れてしまうと、不思議と抵抗感がなくなるもので、来年以降も貴重な交流の機会ですので、同級生にいつ会えるか分かりませんが、東京かたばみ会に継続して参加してみたいと思っています。
来年は、レノファのユニフォームを着ていこうかな。
尚、最初のほうに書きましたが、宇部で開催されるかたばみ会総会は、40歳の代に幹事が回ってきます。私の代は2025年に宇部の幹事の予定です。
先日「2025年かたばみ会実行委員会」なるLINEグループから招待を受けました。
私は転勤や転職の可能性がゼロではないものの、東京(千葉)が今の仕事と家庭のベースになっていることを考えると、2年後に宇部のかたばみ会幹事として動くとか、実際に宇部で行われる会に参加するのは難しいかもしれませんが、できる限りの協力をしたいなと思っています。
蓋は開けたまま。
さて、次回は、今年2023年シーズン中、レノファ山口の監督交代によって起こった、ジェフ千葉サポとの奇妙な交流「エスナイデル監督トートバッグ完全移籍加入」について記すことにします。
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