久高島に行ってきた。(1)

 勤務初日が終わった後に呑んでいるとき、話の流れで、沖縄県文化振興会PDの杉浦さんから、久高島行ってきたら、と言われたので、行ってきました。

 那覇の旭橋のバスターミナルからバスで1時間、安座真港から高速船で15分(フェリーで25分)で、島の南側にある徳仁港まで行けます。周囲8kmというサイズでレンタサイクルを借りれば、ゆっくり2時間で一巡りできる。何かいろいろ感じて、たっっくさんもらって帰ってきた。
 全部を筋立てて書くと時間がかかってしまうので、メモ、という感じでつれづれに書きなぐります。説明も不十分になりますがググってもらえたらと思います。

 久高島は沖縄本島の東にある、「沖縄の原郷」の聖地とされてきた島。レンタサイクルで一巡りした後、フェリーまで時間があったので久高島宿泊交流館に寄ってみたら、そこに史料館があったので観覧。置いてあったDVDのうち、「女が男を守るクニ」と「イザイホー(1966年)」を観た。
 前者は、久高島の集落の祭祀と生活の結びつきのありようがよくわかる映像。年間約40ほどの儀式があり、そのほとんどを女性が中心となって行う。子どもから高齢者まで、ある年齢になったとき経験する儀式がある。「神様」というのが生きている実際の島人に被されるのが、町内会の「役」のようでもある(実際「役」とも言っていたように思う)。いくつもの年中行事をふさわしく行っていくことで、海に囲まれた小さな島の生活の「かたち」が浮かび上がってくる。それぞれの行事に、一年や人生の節目としての意味があるのを感じた。

 個人的に「沖縄の人は何かというとカチャーシーを踊る」というようなイメージがあって、その動機というか、なんでそういうことをしないといけないのか(気がすまないのか)、なんとなく腑に落ちない感じをもっていたのだけど、久高島のサイクルの中にあるカチャーシーを観て、なんとなく「こういうことだったか」と腑に落ちる感じがした。久高島のその映像は大概、生活全体や人生全体に関わる、グッと力をいれないとこたえられないような、超越的ななにかに対峙するような儀式、の後、カチャーシーを踊ることが、溜め込んだエネルギーを吐き出して、集落の人と人の間で、お互いに浴びせ合うようなものに見えた、から。吸って吐く、呼吸の「吐く」ほうの開放感の共有みたいなことに、カチャーシーはとってもいいんだな。こういうことだと考えるとわかるような気がする。
 またその、踊っている様がとても力強くて、ふつうに踊りとして惹きつけられた。

 次に観た1966年の「イザイホー」には、かなり衝撃を受けた。怖い。狂気を感じる。刻まれた。
 島に生まれ育った女性はみんな神様になり、年中、様々な儀式を行う。というわけで、12年に一度、新しく31歳以上になった女性を神女にするために儀式が行われる。女性たちが白い装束を身にまとい、三日三晩篭って一連の祭祀を行う。中にはまるで軍隊みたいに感じる、極めて激しいものもある。

 この映像は、僕が観た映像(18分)と同じ素材、1966年のイザイホー。小屋から出てくるシーンがあるが、あれを出たり入ったり延々繰り返して、その後全員小屋の中に入って、外から小屋の戸をはめる。小屋に篭もるらしい。

 帰りの道々思い出していたのは、去年と一昨年に訪れた新宮(和歌山)のことだった。去年の2月6日、神倉神社の「お燈祭り」に参加させてもらったとき。この初夏に参加した新国立劇場『十九歳のジェイコブ』の取材の一環で、新宮出身の演劇プロデューサー・仲村和生さんが厚意でコーディネートしてくださった。

 「イザイホー」は女性ばかりが白装束に身を包んで行う、男子禁制の祭祀。一方「お燈祭り」は男ばかりが白装束に身を包んで行う女人禁制の祭祀。どちらも古代以前からの自然と信仰が入り混じった何かを宿し、何か(生命に?)直にくる感じのする荒々しさをもっている。そして白装束を身にまとう。文化人類学的、あるいは民俗学的な分析がどこかにあるのだと思うが知らない。
 対照的で似ているように思えるとはいえ根はまた全然違うようにも思えて、なんだかとても不思議だった。

 イザイホーや久高島の生活文化に関しては、この1966年、岡本太郎が風葬されていた死体を撮影して週刊誌に発表したために、風葬の習慣がとだえることとなったという話がある。本で知っていたような気がするが、今回訪れて改めて考えさせられる事だなと思った。
 杉浦さんの薦めがあったから掴んだきっかけではあったけど、最初の週末に久高島に行くってことが自分にとって大事なんじゃないかと思った、のは、ある意味「やっぱり根っこが違うよね」という感じを持っているので、それをなにか感触として自分のなかに取り入れておきたいと思った、という面があるから、でもあるから。

(続く)