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見える孤独をあじわいたい 05

year 1

八王子へ

2006年の秋に告白し、好きではないが付き合うことになったふたりは、喧嘩をよくしていた。言い合いは一度もない。一方的にぼくがポツポツと延々と吐露する、彼との関係の不安と不満を、という陰湿な喧嘩を当初はループするように繰り返していた。出口がないような感覚もあった。相性が悪いふたりのようであったと今は思うが、客観的に関係を眺める余裕はなく、終わりにしたいとは一度も思わず、とにかく前だけを、その場その場だけを見てきた私であった。彼がどうその関係世界を見ていたのかは知らない。案外聞いてもこなかった。ものすごく自己中なのである、私は。それは人間としては幼く未成熟なのかもしれないが、その無知無謀みたいな自分だからこそ別れることにならなかったのかもしれない。今はそういう体力はおそらくない。ネチネチ喧嘩などしていられないからか、その機会はゼロに近い。ある種の達観性みたいな性質がこの関係にのみ自分の中に培われ育まれたのかもしれない。彼からもし別れたいと言われたらどうするのだろうか。それは別に考えない。言われていないから。そのifは今日の自分になんの力ももたらさないので無用。

この今の安定のような関係に八王子は大きく役立ってくれた。八王子あってのわたしたちと言ってもいいくらいの存在である。その八王子には2008年、8の数字を与えられたその年に居を構えた。家はあった。家はたしか昭和30年代くらいからある。引っ越し当初は今よりも廃墟感がだいぶ強い家で敷地で、ちょっとお化け屋敷のようだったかもしれない。内見に来た日は梅雨だった記憶。前の住人のOくんは、どうしてだか外も湿っぽいのに部屋を加湿していて、ものすごく独特な空間だったという印象がある(いい加減な記憶力なので実際は違うかもしれない)。Mさんに紹介されて、この家にきた。「かわいい家が今度空くから行ってみたら?」と言われ、その時代のぼくはMさんに服従ではないが、ほとんど師事みたいな関係であったためNoとできなかった。乗り気ではないがその家に行き、失礼だがそれほど魅力は感じ取れなかったが安かったから借りることにした。その時代もまだお金はよく稼いでいて、稼ぎつづけていけると信じきっていたのでその数万円はそれほどの負担と思わなかったから借りた。「借りてみた」というそれくらいの感じ、いわゆるノリと勢いで。そして車を買った。車はラシーンというものにした。色はペールグレーだったか、曖昧なグレー色がすてきで、町田あたりの中古屋さんで試乗したとて良し悪しの判断などできないが試乗して決めた。30数万円くらいだったか。その車はほどなくして故障し、わりと大事な部分を数万円かけてすぐに取り替えることになった。今だったらと考えると、今と圧倒的に違うのは彼の存在感。

かつてはワンマンで、お金を出すのは自分だしという自負もあったし、年上だしという見栄? 年齢の呪縛? により、自分がこの関係のリーダーであることを相談もなく決めていて、中古車選びについても彼の意見を尊重した気がしない(このあたりのことの事実? に興味があるので彼に確認をしてみることにする)。もし今日車を試乗しに行くとしたら、自分の中では「彼に乗ってもらって判断してもらおう」というもはや依存レベルの向き合い方が想像できる。この想像はほぼ現実で、彼に「どう思う?」と尋ねても「そうなりそう」と言いそうと思う。年月をかけてこのふたりのパワーバランスというのか、凹凸はすっかりと変わった。良し悪しということはないが、自分は今のバランスのほうを気に入っている。今のぼくは彼をものすごく頼りにしている。あの頃のぼくは彼にまったく頼っていなかった。頼るという発想すらなかった。それは彼に限定したことではなく、何名か付き合うことになったどの彼氏にもぼくは頼るということをしなかったはず。そのように相手をみなかった。ただ好きだから付き合う。その好きの成分としては「やりたい」がかなりを占めていて、だから長続きはしなかったのかもしれない。いつまでも好きでやりたい相手であることが理想だが、それは理想というか幻想みたいなものなのかもと思う。付き合いたてのようにときめいていたら生活は快適ではない。彼にドキドキしていたら排便を放屁をゲップをできない。ちょっと買い物行ってくるねと行って直近のドラッグストアへ駆け込んで音や匂いのつよそうな予感の排便時は、そのようなことをしかねない。寝化粧みたいなことをし続けるロマンティックさ、その関係もひとつだが、ぼくの望みはそこではなかった。好きで付き合って別れつづけていた自覚なきパートナーシップ時代から振り返れば一貫してぼくはそういう距離感を理想としていなかった。高級な店とかバカンスとかいわゆるデート的なことよりも、生活を共にしたかった。安らぎの場をふたりでつくりたかったのだとわかる。それはあとになって、それを手に入れて、ああ、そうだったのか、と知った。デート場所の第一希望はいつも家。わが家。相手の家でゆっくりしたいという発想もなかった。人の家でくつろげないところが昔からある。家しか無理。家でしか安心できない。外には7人の敵がいる、という言葉があるが、そのように外の世界とは防御必須の時間であり空間、時空間であった。今もそれは変わらないが、彼といると彼との場所となり、安心度が格段に高まりありがたい。何かしてもらうだけでなく、存在自体に頼っている、依存している自分になってしまった。

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