コンプレックスだった身長を茶化されてファッションショーに出た話
『いや〜あのモデル事務所、本当にショボかったよな〜。。』
数年前、モデルのアンミカさんがパリコレデビュー志願者にむけてモデルレッスンをしている番組があり、アンミカさんの本格的なプロの指導をみながら思わずそう呟いたのでありました。
10代の頃、ほんの少しの間だけお世話になった
大阪の小さなモデル事務所のことを思い出していたのです。
ショボかったというからには、それなりのショボエピソードがいくつもあったわけですが、そんな記憶も思い出も、番組コーナー終了とともに
私の脳内からはすっかり消え去っておりました。
…なのですが。
いま現在の私は、専業主婦だった当時の思考とはガラリと変わり、そしてある事がきっかけで再びそのモデル事務所での出来事を思いだしていたところ、ふと数々のことに気づかされる事となったのです。
今日はそんなお話を書きたいと思います。
ですがその前に…なぜこの私がモデル事務所に入ることになったのか。
まずはそこからお付き合い下さいませ。
とりあえずモデルやれば?攻撃
私は子供の頃から背が高く、幼稚園の頃は
みんなより大きいからという理由だけで仲間外れにされ、小学校高学年の頃には同級生と行った市民プールで自分だけが小人料金を疑われ
さらには当時のオバさん担任からは、私のほうがスラっとしていたが故に何かにつけて嫌味を言われ、その他諸々
勝手にリーダー扱いされたり代表で怒られたり、みんなと全く同じことをしていても自分だけが目立ってやっぱり怒られたりと
背が高いことで嫌な思いをすることは沢山あれど、良いことなんぞひとつもなく
とにかく自分のデカい身長が大大大嫌いでした。
そして そんな身長コンプレックスが超絶MAXだったのは、軽く遡ることウン十年前…
高校生の頃です。
当時の私はインディーズ系ロックバンドのLIVEへ頻繁に通う、ロック少女(いわゆるバンギャル)でした。
地元関西の小さなLIVEハウスでは、他校の同世代の子たちとの交流があり、そこで出会う子たちは
せめて普通サイズの者はいないのかね!?
と言いたくなるくらい、こぞって小柄な可愛らしい女子ばかりだったのです。
そんな状況だったので
出会った子たちとの最初の会話は
「かなちゃんて、めっちゃ背高いね〜!
何センチ?」
…からの
「えー!すごーーい!羨ましぃ〜!」
…からの
「モデルでもやればいいのにぃ〜〜!」
といった流れになることが多く
私はこのいかにも、背の高いヤツにはとりあえずコレ言っとけ的な定番セリフに辟易しながら苦笑いで返すしかすべがなく
さらにこの〝モデルやればいいのに〟のあとには「もったいなーい!」と勝手に勿体ながるところまでがセットになっており
まるで私が身長のムダ遣いをしているかのような非省エネ扱いまで受けるという理不尽さにも、ウンザリだったのでありました。
いつも猫背気味で目立たぬように生きてきた当時の私は、ただただ クソがぁあ〜〜〜っ! とひたすら悔しがっているだけの日々。
そんなある日、こんな私のメンタルに火をつけるような珍事件が起きたのです。
それはとあるLIVEの日。
集合場所へ行くと、そこにはある子が持ってきたホール型のケーキがありました。そしてみんなでケーキを人数分にカットしたのですが、切り方がヘタクソで1切れだけデカくなってしまい、そのデカいケーキは誰が食べるかという話し合いになったのです。
すると、一人の子がこう言い放ちました。
「かなちゃんがこのデカいの食べーや。
かなちゃんもデカいから!!」
…ドッと笑いが起き
「あー!たしかにーー!」
「デカいし、かなちゃん用やわ〜!」
「てかホンマ、背高いよなぁ!」
「モデルでもやればいいのにぃー!」
「ホンマやで〜、もったいないっ!」
好き勝手 口ぐちに盛り上がる連中をよそに
ただ一人、怒髪天を衝くほどの怒りをこらえる私…
ムー
カー
ツー
クーーーーーッ!!!!!!
もー怒ったぞ!
背の高いヤツはモデルになりゃ良いんだな?!
ほんなら、なったろ〜やないかいっ
モデルとやらに!!
というわけで、この日から私は
本当にモデルになってコヤツらをギャフンと言わせてやるのだ!!
という、ただの仕返し目的でモデルを志すことになったのでした。
(ちなみにこの時のケーキは、しっかり食べた。)
女社長との出会い
翌日。
怒りが冷めやらぬ私は早速本屋さんへ行き、まずはオーディション雑誌を数冊購入。
鼻息荒くページをめくりながら、血眼でモデル事務所を探しはじめました。
やるならトップモデル目指すぜっ!
…って思ったけど、いきなり大きな事務所に入っても ついて行けるか自信がないので、まずは小さめの事務所で慣らしましょっと。。(←こういうところ、昔から冷静)
がしかし、ここで問題勃発。
肝心のモデル事務所が見つからない…
あるのは東京の事務所ばかりで私の住む大阪にはほとんどなく、あってもせいぜい芸能養成所のモデル部門とかで、登録料やレッスン代が高すぎて10代の私にはとても払える金額ではありませんでした。
当時は今のようにスマホでサクッと探せる時代ではなかったため、出だしからかなり困難を極めることに。それでも毎日、新聞や地域の冊子などもくまなくチェックし、ついに大阪市内にあるモデル事務所を発見!
さっそく自分の写真を郵送すると
「ぜひ、面談に来てください」との連絡が。
「事務所のビルの入口が分かりにくいので、もし迷ったら近くの公衆電話から連絡ください、迎えに行きます」
とのことでした。
そして当日。わりと呆気なく入口は見つかり、エレベーターに乗って事務所の扉前まで来たところでふと、我に返ったのです。
ナオミ・キャンベルみたいな人がいっぱいいたら、どうしよう…
こ、怖い…
まだ弱冠17歳。勢いでここまで来てしまった私は急に怖気づき、どうしても一人で入る勇気がなく思わずUターン。
エレベーターを降りて公衆電話へ直行し「やっぱり入口が分かりまてん☆」ということにして、事務所の人にむかえに来てもらうことに。
しばらくすると、私より遥かに背の高い中年女性が笑顔で颯爽と現れました。
「こんにちは〜!モデルのお電話くれた方かな?
私が代表の○○です」
めっちゃ背高いけどお腹出てるな…
それが社長の第一印象でした。
社長に連れられ 事務所に入ると、そこには意外とフツーの大学生や社会人の人たちがウォーキングの練習をしていました。
(…ナオミ・キャンベルはいなかった)
改めて社長から名刺を渡され
「ちなみにこの人は私の旦那。普段は他の仕事をしてるけど、一応ここの副社長です」
見ると、商談スペースの傍らで作業をしていたハゲ頭のおっちゃんが、無愛想にチラッとこちらを見て軽く会釈…。
社長からレッスン内容や仕事内容、ギャラなどの説明が一通りされ、最後に所属のモデルさん達の写真集を見せてもらっていると
突如、裸の写真が出てきてのけ反りました。
ヌ、、ヌードォォォ!?(ヒィ〜っ!)
すると無愛想なハゲ頭のおっちゃんがボソッと
「それ…ちゃんと説明してあげて」
と社長に言い
「あぁ!ヌードのお仕事もあるけどね、あなたはまだ未成年だし、やらなくてもいいからねっ」
と言われてホッ。(おっちゃん優しいな。2回もハゲとか言ってごめんなさい)
「それじゃあ、来週からレッスンに来て下さい」
さてさて
こうして無事、モデル事務所が決まった私。
これでやっと〝とりま、モデルやればマン〟達を黙らせることができるぜ!!
と思いきや…なかなかどうして想定外な展開が待ち受けているのでありました。
KANA&ASKA誕生
「おもてたんとちがうっっ!!」
事務所に所属して数ヶ月。
早々に私は不満が募っていたのです。
当然ながら事務所に入ったくらいではすぐに仕事などなく、ウォーキングやポージングの練習ばかり。そして一番嫌だったのは、否応なしに色んなオーディションを受けに行かされることでした。
しかもこのオーディションというのが、モデルとは全く関係のない〝ミスなんちゃら〟みたいなやつばかりで、何だかよく分からないまま受けに行っては撃沈するの繰り返し。
ちなみに一番悲惨だったオーディションでは、こんな感じでした。(ダイジェスト版でどうぞ↓)
この時はあまりにも不服で、もっと事前にオーディションの詳細を教えてほしい!と後日、社長に文句を言ったところ…
「そんなことはね、こっちは分からないの!
そういうことは、ちゃんと自分で調べてから行くものなのよ!!
しかも立食パーティーなら、自分から審査員に話しかけに行ってアピールするチャンスもあったのに、どうせ何もしないで食べてるだけだったんでしょう!(←当たってる)」
自分で調べろって…
まだネットの普及もそこそこだった時代。
一体、どうやって調べろと?
そもそも勝手にオーディションへ送り込んでおいて何のバックアップもなく、放任的な対応に私は憤慨していました。
そんな状況が続くなか、今度はレースクィーンのオーディションがあり 事務所の先輩たちと4名でエントリーすることになったのですが
毎回毎回、誰ひとりとて選考を突破する者がいなかったため
「今回4人も出るから、誰かひとりでも受かってくれないかしら〜!」
と社長が気合いを入れており、オーディションにも同行することになったのでした。
そして社長から突然、こんなことを言われました。
「かな。あなたの芸名を考えておくから、今回はその名前でオーディションを受けなさい」
先輩たちは本名のままでも華がある名前だけど、私の名前はパッとしない(悪かったな)ということで、社長が命名してくれることになったのです。
そしてオーディション当日。
社長から発表された、驚愕の芸名がこちらです。
カナ アスカ
…意味が分からない。
なぜ私の下の名を、苗字へ持ってきたのでしょーか。そして、由来元が不明の〝アスカ〟は一体どこからきたのであろう。
アスカといえば
中学の同級生で、部活動の前に焼きそばパンとカツサンドとメロンパンとクリームパンを食べてたところをクラスの男子に目撃されて
「だからお前はデブなんだよ!!」と、思いっきりブタ呼ばわりされていた水泳部員の子が同じ名前だったな〜。。という、どうでもいい思い出とチャゲ&アスカが頭をよぎりました。
全然、SAY YES じゃないんですけど…泣
突如 名づけられたヘンテコな芸名を引っさげ、オーディション会場へ。プロフィールシートを提出し、順番を待っていると
「カナ アスカさーん、お入り下さい」
スタッフの女性から、全然しっくりこない自分の名を呼ばれて カナ アスカ 入室。
男性2名との面談でしたが、プロフィールシートを見て名前を確認するやいなや
「えーと…か?カナ…アスカさん??
カナで…アスカ???」
…ええ。
カナだけどアスカでチャゲではなくカナなんです
このあと色んな質疑応答があったはずなんですが
どっちも下の名前みたいな意味不明なフルネームに混乱していた審査員のオジサンのリアクションしか記憶に残っておりません。
そして社長の願いも虚しく、全員 見事に落ちました。
メンズモデルがやってきた!
薄々、気がついてはいたものの
KANA&ASKA事件のあたりから、私の中でこの事務所、ショボいかも疑惑が浮上していました。
そもそも、まず案件が少ない。
数年前から所属している先輩ですら、あまりたいした活動はしておらず、メインの仕事といえば、提携先である京都の着物館でのショーと、謎の「撮影会」のみ。しかも 撮影会にいたっては、先輩たちにインチキ撮影会と言われていたくらい、ショボそうなものでした。
社長からはこんなお仕事あるよ〜!とか、こんな案件入ってきたよ〜!とか、聞かされるわりにはいつの間にか消えており
そーいえば、あの話ってどうなったんだ…? と、先輩たちがボヤいてることもしょっちゅうでした。
ついでに言うと、社長の経歴も謎でした。
元モデルのわりには実際どんな仕事をしていたのかは一切不明。
「もっと痩せなさい」というわりには具体的なダイエット指導もなく、自身はポッコリおなかを継続中。(本人曰く、出産してから戻らなくなっちまったらしい)
ネーミングセンスのみならず、ファッションセンス、美的センス、さらには肝心なモデル指導までもが微妙で全てにおいて説得力ゼロでした。
そんなある日、社長のテンションが爆上がりする出来事がおきました。
事務所には1名だけ唯一のメンズモデルがいたのですが、その彼が専属モデルとして採用されていた某メンズ雑誌(…といっても事務所の力ではなく、彼個人が営業に行きゲットした)に、事務所のモデル募集記事が掲載され、雑誌の専属モデルがいる事務所ということで応募が殺到したのです。
連日のように応募書類が届き、連日のようにメンズたちが面談にやってきて、その中から5〜6名が一気に入所。
所属人数が増えてホクホクだった社長は、中でもお気に入りのメンズに対し「○○くんを売り出しに、東京へ連れて行く!」などと言って意気込んでいました。(←結局、行ってない)
きっと〝自分たちも雑誌に載れる〟と期待を膨らませてやって来たであろうメンズたち…
ご愁傷様です。。
思わず、数ヶ月後の彼らの心情を想像してお悔やみ申しあげたくなっていたところ、なんと今度はファッションショーの話しが舞い込んできたのでした。
突然の初仕事
社長の知り合いのデザイナーらしく、事務所単独での企画でした。
選出されたモデルは、古株の先輩たちと社長のお気に入りのメンズが2名。そして女子の新人枠からは、私が出ることになりました。
事務所に入って数ヶ月目での初仕事。本来なら喜ばしいことですが、私のテンションはここからさらにダダ下がりになってゆくのでした。
ファッションショー開催が決まった数日後。
デザイナーさんのアトリエへ出向き、全員で衣装合わせが行われました。このとき社長から、スニーカー以外の持っている靴を全て持参するようにと言われており、この時点で何となく嫌な予感はしていたけども、予感は的中。
まず肝心の衣装が、40〜50代のちょっとお金持ちなマダムが着るような、明らかに選出ミスってる衣装だったのです。20代の先輩たちはまだ何とかなりそうでしたが、10代の私にはとても似合いそうにありませんでした。
プロのモデルであれば、年齢に関係なくどんな衣装でも格好よく着こなせるのでしょうが、生憎そのような技量は持ち合わせていなかったため、完全に服が私を着ている状態でした。
それでも、まだ着れそうな衣装を何着か当てがわれ、そして各衣装に自分で持参した靴を合わせていくと、衣装はマダムで靴だけヤングという、さらにワケの分からないことになりました。
そしてもう一つ、私を驚愕させたことがあったのです。それは会場となるファッションショーの開催場所。
ファッションショーなんて言うので、てっきり都心でやるのかと思いきや、都会でもなければ田舎でもない、とくにコレといった特徴のない普通の街…そして何を隠そう、そこは私のTHE・地元なのでした。
実際にリハーサルも兼ねて下見に行ったら、さらに驚愕。何がどうなってこんな場所でやることになったのか知りませんが、住んでいる私ですら行ったことがない辺鄙なところにあり、場末の廃れた小劇場みたいな会場でした。
ランウェイとなるステージは板で出来てて歩くとミシミシ鳴る始末。
こんなところ、お客さん来んのかな…
そんなことを思っていると、社長が言いました。
「かな。あなた近所なんだし、友達とかにも声かけて宣伝しなさい」
なぜ、そーなる!?
ジョーダンじゃない。
こんなところでやるファッションショー、カッコ悪すぎて親にすら見られたくないわ!
「友達、いません」←即答。
本番が終わったら ここへ来ることはおろか、前を通りがかることすら今世ではもうないだろう。
自分の地元でありながら、わずか17歳でそう確信したのでありました。
全員、やる気なし
ファッションショーに向けての準備が着々と進むなか、早くも不穏な空気が事務所内に漂い始めていました。
この頃には、目を輝かせて入所してきたメンズ君たちも能面のような表情に変わり果て、すでにレッスンに来なくなっている人までチラホラ出現…
そんな雰囲気の中、まったく空気が読めていない人物が外部からやって来たのです。
ヒッピー系のやたら陽気なお兄さん…ファッションショーの音楽を担当してくれる人でした。
お兄さんは勢いよく大量のCDをバッグから取り出して、「一発目はこんな感じでどうっすか〜!」とラジカセで流し始めました。
この日は一日、お兄さんチョイスのセットリストに合わせて練習が行われたのですが、無の境地にいる我々を相手にお兄さんはずっとハイテンションのまま
「いや〜、いいっすねぇ!ファッションショー!
みんなで頑張ってファッションショー成功させましょうよっ!」
一同、シーーーン。
…みたいになってて、ちょっとだけ可哀想でした。
さぁどうなる?!ファッションショー!
そして ついに本番を迎えたファッションショー。
当日は社長の知り合いの美容師さんがやって来て全員にヘアメイクが施されました。
当時、流行っていたモード系メイク…といえば聞こえは良いですが、目元だけほぼパンダというくらい目のまわりをこれでもかと黒塗りされ、そしてその顔でマダムの衣装を着るわけで、このショーのコンセプトは一体どうなっているんだろうと思いました。
何から何まで、安定のミスマッチ。
むしろもう驚くことは何もなく、諦念の思いで楽屋で待機していると、突然 社長が慌てた様子でこう言い出しました。
「お客さんが全然来ない!!」
・・・でしょーね。
開演まであと1時間ほどでしたが、社長は
「もうっ、かな!あなた地元なんだから家族くらい呼べたでしょーに!」(←知らんがな)
とブツブツ言いながら、駅前までチラシを配りに行っていました。
結局、お客さんが入っているのかよく分からないまま時間になり、いよいよファッションショー、スタート。
一着目の衣装を着て歩き出し、まずは気になる客席をチラッと見ると、社長の呼び込みの甲斐あってか、数名ほど人が座っていました。
ステージの前方には照明とカメラ。
誰が撮影してるんだろ〜?と思いながら歩いていると、照明の陰からピカりと光る頭を発見。
あ…副社長だ。
ステージを捌けたら、すぐさま次の衣装に着替え、また出て捌けてすぐ脱いでまた着るを繰り返し、リハーサル通り淡々と進んでいきました。
ショーは2回行われ、どちらの回もパラパラとお客さんは入っているようでした。お世辞かどうかは分かりませんが、見終わったお客さんたちは「とても良かったです」と言ってくれていたらしく、それなりに好評だったそうです。
こうして学芸会のような、なんちゃってファッションショーは無事、幕を閉じたのでした。
仕返し終了
ファッションショーが終わって、ひと段落がついた頃。事務所のチャラいメンズ君から「女子高生、紹介してけろ」と言われ、ライブ友達を連れて合コンを行いました。
この時点では、モデルのことはまだ誰にも話していなかったのですが、チャラいメンズ君が
「オレ今、モデルやっててェ〜(←やってない。事務所に所属してるだけ)
あっ、かなチャンと同じ事務所なんだけどォ〜
この前、かなチャンがファッションショー出ててェ〜
オレその日 楽屋裏の手伝い行ってたんだけどォ〜
かなチャン、目のまわり真っ黒になるくらいメイクされちゃっててェ〜
なんか超〜〜〜〜〜ッ
スッゲェかったんだよねェ〜〜〜!!」
…と、いい感じにペラペラとくっちゃべってくれたおかげで、その場にいた友達から
「かなちゃん、ファッションショー出たんっ!?
すごーーーい!!」
と羨ましがられ、そして「かなちゃんがファッションショーに出たらしい」という噂はまたたく間に広がっていったのでした。
こうして
「モデルでもやればいいのにぃ〜」
(苦笑い…)
から
「ファッションショー出たってホンマなん!?」
「うん、まぁね…」(悦ッ)
…となり、大変満足した私はこれを区切りにあっけなくモデル事務所をやめたのでした。
めでたし、めでたし。
…と思ったら、物語はまだ続く
さて、ずっとずっと大昔のエピソードでしたが、実は本当に書きたかった本来のお話はここからなのでした。(前置き長っ!)
私は今、ヨガ講師をしています。
といっても、どこかのスタジオで雇われているのではなく、個人で活動しているヨガ講師です。
個人開催なので、集客、宣伝、場所の確保、企画やアイデア、その他諸々の準備を すべて自分でこなさなくてはなりません。
そうなると色んな情報や人脈が重要になってきますし、行動力も必要です。
昨年からヨガ教室をスタートさせて一年間。
色々と苦戦していた私は、このモデル事務所でのことを度々思いだしていたのでした。
私にとって数ある中の黒歴史でしかありませんでしたが、いま思い返すと決してそんなことはなかったのです。
たしかに仕事も少なく、新人が入ってきてはすぐ辞めていき、ショボい事務所ではありました。
ファッションショーだって靴は自前、全員ノーギャラ、ショーには出演しない事務所の子たちも手伝いに駆りだされ、ムダに事務所総出の意味不明なファッションショーでありました。
ですが、たとえそんなファッションショーでも
社長は社長なりに、私たちに経験させてあげようと頑張っていたんだなぁと、経営者とまではいきませんが自分も同じような立場になってみて、初めて気づくことができたのでした。
お腹は出てるわヘンな芸名つけてくるわで 社長としての威厳は皆無でしたが、今にして思えば
ヘアメイクや音楽担当の人など、必要な人脈も社長にはちゃんとあったのです。
(…あの音楽担当のお兄さんも、せっかくファッションショーを盛り上げようと声をかけてくれてたのに、みんなして能面ヅラで無視してしまい 大変申し訳なかったです。。)
事務所のレッスンに通っていた時、私の母が一度だけ社長と電話で話したことがあったのですが、その時 社長はこう言っていたそうです。
「私は質問されたことには答えますし、ちゃんと教えます。でも彼女は何も聞いてきませんよ」
…聞くって何を?という感じでした。
まだ高校生だった私は、友人たちを見返すためにモデル事務所に入るという行動を自ら起こしはしましたが、そこから先は社長に丸投げだったことに気づいていなかったのでした。
オーディションにしても、どうすれば受かるのかを自分で考え 受かる努力 をしていれば、もっと違う結果だったのかもしれません。
何ごとも〝自発的に動く〟〝自分を売り込む力をつける〟という大事なことを社長は伝えてくれていたはずなのに、まだ子供だった私にはまったく響かず、大人になって自分で教室をしだしてから
社長が言っていたことは、こう言うことだったんだなと、理解できたのでした。
そして何より、今回とても残念に思ったこと…
かたくなに親すら呼ばなかったので、ファッションショーの時の写真が一枚もないのです。
唯一、一枚だけ先輩が持参していたカメラでみんなで一緒に撮っていたのですが、結局その写真はもらうことも見ることもなく、幻の一枚となったのでした。(←フィルム時代あるある)
そのようなわけで、家族にくらい 見に来てもらっても良かったなぁ…なんて、今ごろ思いを馳せてる私でありました。
モデルへの道は早々に辞退となりましたが、何十年と経過したのちに全く別のことがきっかけで、こんなに古い記憶が蘇ってくるとは思いもしませんでした。
人生での経験って どこでどのように繋がっていくのか分からないものですね。本当に。
『いや〜あのモデル事務所、けっこう楽しかったよな〜。。』
社長、元気にしてるかな?
アンミカさんに似た、明るい女社長でした。
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