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自分らしさという呪縛

自分らしさって表現、一体誰が作ったんだろう。

考えてみれば、私は幼い頃からこの言葉を信念にしてきた気がする。
だからなのか、人と同じことをすることが好きじゃないし、“普通はさぁ”って言われることがものすごくイヤだった。
“普通ってナニ?皆の普通が一緒なんてありえないでしょ!”と心でいつもつぶやいていた。
そんなことを常々考えては、自分の信念だけを頼りに過ごしてきたもんだから、どんなコミュニティに行っても、なんとなく自分はズレていると感じていた。
そりゃそうだ、自らはみだしものの道を歩んでいるんだから。

しかし、社会はよくできたもんで、そんなこと言ってるとどんなコミュニティにもいられなくなる。
片足はみ出してるつもりが、いつの間にかはじき飛ばされている。
その孤独に耐えられるかどうかが、境界線になるんだろう。
かく言う私は、その孤独に耐えられなくなっている。
なぜなら、何者でもない自分に気づいてしまったから。
“普通”でなくありたいと、己の道を突き進んでいるつもりが、突き抜けられずに右往左往しているのだ。

結局のところ、“自分らしさ”という言葉を盾に、相手のことを共感しようという努力も、自分のことを理解してもらうための努力も怠ってきたということだろう。
コミュニケーションを取らない方が楽だから。
周りの人が居なければ、自分は成り立たない。
そのことに気づくのに、随分時間をかけてしまった。

ありのままの自分が、今の自分として居られることに心の底から感謝できるようになったら、本質的な自分らしさを発揮できるようになるのかもしれない。
私はこの呪いのような鎧を脱げるのだろうか。

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