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逃げずに考えてみる

少しずつ読み進めて先日読み終えたこちらの本。
いろんな考えが少しずつまとまってきたので、整理も兼ねて文章にしてみようと思う。
長くなると思うが、お付き合いいただけるとありがたい。

この本について。

この本は、一橋大学の社会学部佐藤文香ゼミに所属する学生と指導教員である佐藤先生が書いた本だ。
ジェンダーにまつわる身近な質問に対して、HOP STEP JUMPの3段階に分けて丁寧に答えていく。

HOPでは、質問に対して数行で的確に答えている。読者はここでとりあえずの回答を得られすっきりするとともに、「少し物足りん」という気持ちを引き出される。

STEPでは、もう少し丁寧に、背景まで踏まえて理由を説明してくれる。時折難しめの言葉が混じることもあるが、実際の例を挙げながらサクッと読める分量ながら満足できる内容である。

さらにJUMPでは、もう1歩(私の体感的には3歩)踏み込んだ内容の解説が加わる。ここまでくると内容的にはかなり難しいが、HOP・STEPが導入となっているので意外かなするすると読める。ありがたいことに参考文献を質問ごとに書いてくれている。もう少し勉強してみたいな、という気持ちへの配慮が完璧である。

このように各章がしっかりまとまっているため、かなり読みやすい。さらにこの本のすごいところは、質問のフランクさがより読者をノリノリにさせるところだ。

「女子校の意義とは?」「日本はLGBTに寛容だよね?」「逆差別じゃない?」

新聞を読んで、LINEニュースを見て、TwitterのTLを追っている最中に一度は浮かんだであろうこういった疑問に、丁寧に答えてくれる。

…この本めっちゃすごくない?


ジェンダーに興味をもったのは。

そもそも私はどうしてジェンダーに関する課題に興味をもったのだろう。
初めてネット記事を読みあさったのは、高校生の頃だったと思うが、明確なきっかけは思い出せない。

ただひとつはっきりと言えるのは、私が小さい頃から「女の子らしさ」にコンプレックスを持っていたということだ。

どうしてなのか、思い出してみようと思う。

小さいころの私は、とんでもなく負けず嫌いではちゃめちゃに気の強い、親目線で扱いづらい子供だった。体を動かすことが好き、というよりは暴れるのが好きで、多人数VS私みたいなケンカを何回かしたことがある。
特に、小学校6年生の夏が一番男の子っぽかった。おサルさんみたいなショートヘアに、ドライメッシュのTシャツ、半ジャージを身に着けて、自転車で地元を徘徊していた。

こんな調子だから、他の人からの扱いも周りの女の子たちとはちょっと違った。仲いい子は女の子よりも男の子が多かった。
今でも忘れられない同級生の言葉がある。
「このクラスの性別は、男子女子と、のもとやな!」

このころから私の内面はあまり変わっていない。
当時から本を読むのが好きだったし、家族が忙しかったので晩ご飯をしょっちゅう作っていた。細々としたものを作るのが好きで、家族に自分が縫ったものをプレゼントしていた。踊ることが好きで、当時はやっていたAKBの踊りを完コピしようと必死だった。

こういった私の趣味は、周りから見たら外見とちぐはぐだったみたいで、「のもとっぽくない」とか「女の子みたいやん」とかよく言われた。

そんな私も中学進学時には「女の子っぽく」なった。制服がスカートだったのだ。また、男女合同の水泳部に入ったことで、日常的に「女子側」として扱われるようになった。

「女子だから」入れてもらえない話がある、「女子のくせに」そんなんするんと言われる。
段々私は周りの空気を読みむようになっていった。
女の子らしいことをして、望まれる役割をやっていた方が、ひどいことを言われない。しんどい気持ちにはならないと気付いたのだ。

ここで空気を読んでしまったことを、私はずっと後悔している。
自分がどうしたいか、どんなことをしているのが自然なのか、それらに自信を持つことができなくなってしまったからだ。

…若干私の今のコンプレックスに話が寄ってしまった。

高校に入るころには、「男子とも女子とも仲いい私」を気楽な立ち位置と思うようになれたが、それでもたまに言われるちょっとしたからかいに傷ついてしまう自分がいた。
それは多分、小学生のころから言われてきた「(女の子っぽいのは)のもとらしくない」に対しての小さなトラウマだったと思う。

こういったことから、女性らしさ・男性らしさに興味を持ち、詳しく学びたいと思うようになっていった。
のだったはず。ちょっと自信がない。


ジェンダーについての勉強

興味を持ってからの私がどんなことをしたかを書いておこうと思う。
(たいしたことはしていない)

まず、ネットで記事を読みまくった。
私はなにかに興味を持った際、こうやってネット任せにしてしまう癖がある。
関連記事とか気になったキーワードをさらに検索するとかを繰り返していくと、どんどん新しいことに触れていくことができる。

ただネットの情報は正確かどうかを判断するのが難しい。
脳死状態ですべてを受け入れるのではなく、「ふーん」と思う程度に留めておくことをいつも意識している。

次に、大学の授業を受けてみた。
私の通っている大学では、1回生のときに少人数ゼミに参加することができる。
運よく第一志望のジェンダー系の授業を履修することができた。

この授業で教えてもらったことは、おおむね興味深いことが多かった。
心理学の立場から、生物学の立場から、生態学の立場から、ジェンダーについて考えることができ、大学ではこんな勉強ができるのか!と学費を払った意義を感じたものである。
(私が自分で払ったわけではなく親が出してくれています。ありがたい。)

ただ1つ苦い思い出になっているエピソードがある。
少々脱線するが、成仏させたいので吐き出しておこうと思う。

フィールドワークメインで、様々な人に話を聞いているジェンダー学者の教授の授業の最後で、講義90分の感想を言うように求められた。
その授業は、実際に体を売っている風俗嬢に聞いた話を元に、先生の持論を解説してくださるというものだった。
私は、感想として、

風俗で今働いている人が、自分のやりたいことをやれるような社会構造になっていないことが問題だと思う。
受け皿として性産業が担っている役割は大きいが、それで本当によいのだろうか。

といったことを言った。
それに対して教授は、

君はプライドを持って働いている風俗嬢を否定するのか。
本人の意見も聞かずに、状況だけを見て、彼女たちの仕事を奪う気か。

と言われた。
そして反論する間も与えられず、次の人が当てられた。

私の考えは、
今はプライドを持っているかもしれないが、その風俗嬢たちは自分から望んで働いているのか?
例えば、生活に必要なお金を稼げる仕事に就いていても、転職して風俗嬢になりたいと思うのか?
実際自分がそういう状況になったことがないし身近に買春でお金をもらう人がいないから断言はできないが、多くの人は仕事が大好きで働いているわけではないのじゃないかと思っている。
だからこそ、女性が体を売ることがセーフティネットになるような社会にしたのは私たちひとりひとりみんなのせいだという認識をもって、そうしなくても生きていけるような社会にしていかなくてはならない。
である。

最後まで話聞けよクソオヤジ!
私はこの意見を聞いてもらって意見もらって議論を深めたかったんだよ!!!

…少しお見苦しいところをお見せしました。

さて、私の勉強の話に戻ろう。
この授業以外にも大人数の(いわゆる一般教養の)授業でもジェンダー論を取っていた。
正確には、取ろうとしたら抽選に落ちて履修できなかったので、勝手に授業に潜り込んでいた。

当たり前だけど、同じ内容を扱う学問でも、扱う人によって切り口も捉え方も違うから、ゼミと重なる内容の回も楽しく受講することができた。

今は授業を取っていないので情報収集先はセミナーや本がメインだ。
このご時世なのでセミナーがZoomやYouTubeで開催されることが多くありがたい。
関西なのに関東のものにも参加できる。

改めてまとめてみたら、意外と勉強してるのかもしれない。


この本から学んだこと。

さて、やっと本の話に戻ってきた。
長かったね。ちょっと書きすぎたなって自分でも思う。

私がこの本を読んで思ったこと、もし全部書き上げていったら、それこそあと2本くらい記事が必要になっちゃうから、全体を通して学んだことに焦点を当ててみたいと思う。

どの章を読み終わったときも、どの質問を読み終わったときも、決まって

これって他の人のことに口出しするのはやめようってことだよね?

という感想を抱いた。

これまでの社会はみんながみんな自分事すぎたんじゃないかと私は思う。
社会問題に対しての自分事さは足りてないけど、身近な人に対しての自分事さが鬱陶しいを2周まわっちゃうくらいありあまっていたんだと思う。

だからデリカシーのないこと言っちゃうし、聞いちゃうし、しちゃうし、うざって思われるし、訴えられるんじゃないかな。

でもそれってよくないよね、本当はやめてほしいよねって声を上げた人がたくさんいたから、もうちょっと人との間に距離を作ろうっていう流れになってきてるんだと思う。
お互いから距離を詰めるのは全然問題ないけど、一方的に詰めるのはよくないよねっていう考え方が浸透していっているんだと思う。

この考え方は、すでに近いスタイルでずっとやってきてる人からしたらすごく窮屈に感じるんだと思う。
だけど、しんどいからやだ!っていうんじゃなくて、これまでしんどい思いさせてごめんね。って思える人が多い優しい社会だといいな。

他の人のことに口出さないだけじゃなくて、嫌だったって言われて素直に受け止める人が多い社会だったら暮らしやすくなりそうだね。

でもこう考えてる私だって人にやな思いさせてるかもしれないし、踏み込み過ぎてるところがあるかもしれないし、人間関係って難しいな。
だから私からでも私の周りの社会を変えていけるように、意識し続けようと思う。

ごちゃごちゃまとまりのない文章だけど、読んでくれてありがとう。


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