無理をせずにはいられない
無理は最低限必要な努力
最低限必要な努力だと思ってがんばっていたら、実は身体や心にとっては「無理」だったことは、少なからずあると思う。
少し熱があるけれど休むほどのだるさではないな、とか、泣きそうだけれどまだ笑顔が作れるから大丈夫かな、とか。そういった「無理」の積み重ねが、人をダメにしていくんだと思った。
「無理」をして、その結果うまくいってしまったら。なぁんだ、やっぱりできたじゃん、全然無理なんかじゃなかったな。そうやって「無理」のハードルが上がっていく。自分を許す基準が厳しくなっていく。
だんだんと、無理は最低限必要な努力になってしまう。自分の中で、無理をすることは当たり前になる。
無理しないで、なんて言わないで
だって無理してるつもりないんだから。大丈夫じゃないときに大丈夫?って聞かれて大丈夫!って答えちゃうみたいに、無理しないでねなんて言われたって、ありがとう〜くらいしか返せない。
「無理」しなきゃ評価されないじゃん、といつも思う。がんばることは人並みで、それ以上を見せないとがんばっているとは見なされなかった。「無理」をしないと、がんばってることにならない。他人の評価を気にして、「無理」せざるをえなかった。
なんにも大丈夫なんかじゃない
ちょっとずつ自分を苦しめてきた、積み重ねの結果だから、一朝一夕で「無理」のハードルを下げることはとても難しい。できるかもしれないけれど、「無理」をしない自分はきっと、無力感とか他人への罪悪感とかで、余計に苦しい思いをすると思う。
私は今、「無理」のハードルを下げるために無理をしている。無力感も罪悪感も引き受けて、でも自分を苦しめるのをやめたくて、無理なことを無理と言えるように。
まず手始めに、大丈夫じゃないときに大丈夫と言うのをやめようとしている。
大丈夫?って聞かれたら、全然大丈夫じゃない!でもなんとか生きてる〜!って答えるように。
最初は、こんな言い方をしたら相手を困らせないかな、なんて考えて悩んでいた。それは本意ではなかったから。
大抵、みんな笑ってくれる。
そっか〜どうしようもなくなる前に声かけてね!と返してくれる。
大丈夫。
自分に言い聞かせて、大丈夫じゃないものを大丈夫に見せかけていた。暗示のように、大丈夫という言葉で大丈夫にしていた。
大丈夫じゃないって言っていいよ、なんにも大丈夫なんかじゃない、その中でもがいてるあなたも、私も、泥臭くて最高だから。
こうやって少しづつ、がんばらない自分を受け入れて、無理しない自分を受け入れられるように。
昨日のあなたは無理してませんでしたか?
今日のあなたは大丈夫ですか?
私はちゃんと、大丈夫じゃないです。
でもなんとか生きてます。