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死はいつもモノクロで顔は無く、

死はいつもモノクロで顔は無く、誰にでも平等に訪れるものなのだろう。
そんなことを思ったのは、茅ヶ崎市美術館にて開催されていた「浜田知明 アイロニーとユーモア」展を観たからだ。

茅ヶ崎市美術館「浜田知明 アイロニーとユーモア」

先の「フィリア— 今道子」と同じく、こちらもまたFASHION PRESSでの告知を受けて興味を持った展覧会である。
して、今さん同様やはり浜田知明(はまだ・ちめい)氏も存じ上げなかったわけなのだが、作品をひと目見て、「ああ、これは見ねば」と思わされた。
浜田知明氏は、戦争を経験した版画・彫刻家だという。戦争の不条理さや人間の心理などを、ブラックユーモアを孕みながら昇華させた作品を発表している。
その雰囲気をどうにも生で観てみたいと思ったのだ。

茅ヶ崎の寒空の下、もう梅の咲く時期かと心内でひとりごちながら美術館へと向かった。

茅ヶ崎の梅の花
本展覧会のチケット


作品は二つのフロアに分かれて展示されており、1フロア目は初期の作品、2フロア目は後期の作品といった風に分けられていた。
初期の作品は主に、浜田知明氏の代表作と言われる『初年兵哀歌』シリーズなど、戦争の壮絶さを表現したものたちだ。エッチング(腐食銅版画)の技法で描かれたそれらは、冷たく、鋭く、色も香りもない。
浜田氏曰く「(中略)訴えたいものだけを画面に残すために、他の一切を切り捨て〜」とのことだけあって、このフロアの画角の中には戦争がもたらす悲壮さと恐ろしさだけが在った。
だだ広い荒野に一人の男が吊るされ、四本の墓標のようなものが立ち並ぶ『刑場(A)』を目にした際は、その寒々しさと無情さに涙が込み上げてきた。

だが奇妙なことに、それほどまでにゾクッとさせる反面でデフォルメ感やキャッチーさを感じたのも事実であった。
暗然たる海から浮かび上がる軍艦に、勲章を着けた司令官の顔が貼り付いている『よみがえる亡霊』などは、その最たる例だと感じた。
この作品は、沈んだはずの軍艦が指揮を取る人間の顔をして再び現れるという、戦争の再来を予感させるものとして描かれている。
戦争の再来——それは確実なる脅威・恐怖であるはずなのだが。
エッチングで繊細に表現された線は、つげ義春などの細やかな筆致の漫画を思わせる。或いはエドワード・ゴーリーの絵本のような。
重いテーマにも関わらず、スッと心に入ってくるのはそのタッチのためなのかもしれない。
展示のサブタイトルにある「アイロニーとユーモア」の通り、皮肉と諧謔の絶妙なバランスにより、重苦しさを受けないのだろう。

しかし浜田知明氏の作品は、その軽妙なタッチを楽しむだけでは終わらない。
『初年兵哀歌(歩哨)』をはじめとする戦争をモチーフとした作品に描かれた人物には、皆等しく顔がない。
『初年兵哀歌(歩哨)』は、自らに向けた銃の引鉄を今にも引こうとする初年兵の画だが、その顔は涙を流しながらも骸骨のように空虚なものだ。
顔のない人物描写は、この画に限らない。
戦争に囚われ芋虫のように動けない者、布をかぶせられ表情の見えない者、死体となり顔の見えない者……。

そうだ、死には顔がない。
死した者は単なる肉の塊となる。誰かを殺す時には、そこに他者を慮る気持ちはなく、相手の顔は見えない。
そして戦争という大きな流れに飲まれた者たちは相手の顔もわからずとも、とにかく人を殺さねばならなかったのだろう。
殺すべき相手に、自分と同じ“顔”があると認識するのは恐ろしいだろう。
そうして心を殺し、自らの顔をなくし、生活に耐えていたのだろう。
生き残っていても、心の死は生命の死と何ら変わりない。だからこそ戦争モチーフの作品群が展示された1フロアは、絶望と退廃の気配が立ち込めていたのだと感じる。

しかして2フロア目はまたガラリと違う。
こちらは戦争にまつわるモチーフから離れ、自信の内面や人間の感情の混沌、面白さを表現した版画や後期に取り組んだ彫刻の展示がなされていた。
少しの外連味と、全面に溢れ出るユーモア。そんな印象を受けた。

(※1974年『アレレ・・・』など)

そしてこちらのフロアの作品たちには“顔がある”。
戦争から離れた浜田知明氏が、人間や己の中に顔を取り戻していったのかと思うと、このたった二つのフロアの中にも人生を感じた。

鑑賞を終えて外に出ると、予想外に雪が降り始めていた。

外には思いがけず雪が

改めて天気予報を見ると、事前に確認した情報とは変わり雪だるまのマークが付いている。
重く立ち込める雲と冷たい風と雪。寒くはあるが、この展覧会に相応しい天気のように思えてなんだか心地がよかった。

死はエッチングの銅版画のようにモノクロで、死にまつわるものには顔がない。
平和の世には忘れがちだが、今日を生きるのは当たり前ではないほどに死はいつもそばにあり、理不尽にも平等に訪れる。
ならば今日をどう迎え過ごすのか。
100歳まで、自身の経験を総て作品にフィードバックし続けた浜田知明氏。
『浜田知明 アイロニーとユーモア』は、その生き様に自身を問われるような展覧会だったと言える。

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