体験の重要さ

興味深い。。

私は、子供の頃の機会の不平等はないほうがいい、つらい経験は無駄じゃないけど、幸せへの遠回りはないほうがいい、って思ってたんだけど、、その考えが最近少し揺らいでいる。

その状態でのこの記事な。つい読んでしまった。

悲惨な経験がいいってわけじゃないけど、こういう側面もあるよ、と。
プラスに変えることができれば、それは常人離れしたクリエイティビティにもなりうる、と。それは確かに自分のまわりの色んな人を見てても感じる。絵や音楽を好きでやってる人ってどっか孤独を抱えてる率高いというか。

最近考えていたのは、もし皆が自己肯定感を十分に育みながら多様性を受け入れて育った場合、過去の理不尽な歴史を深く理解することが出来るのかな?と。皆がやりたいことを実現できるインフラが整い、将来の不安もなく、人を思いやる余裕も持てた時。一見ポジティブな要素で社会が満たされた時。
例えば過去の凄惨な話、ドロドロした話なんかを聞いたり読んだりして、それに共感できるのか?と。今の私達だって、戦争で身近な人たちが国のために死ぬ悲しみや、犯罪せざるを得ない状況や、死と隣り合わせな毎日を送る苦しみを知らない人が殆ど。話には聞いてもそこから学ぶことって、実感に乏しいものになる。

そう考えると、手放しに今の時代の変化を喜べないというか。

人にとって、実際、何が良くて、何が良くないのか。

改めて考え直したい気持ちになった。

その一つの仮説は、命。つまり、生きていること。
大事なのはそこなのかもしれない。
生きてさえいれば。生き方は様々でいい。
幸も、不幸も、実は結局全ての人にあるのかもしれない。
お金持ちだから幸せ、愛されてるから幸せ、見捨てられたから不幸、独裁者に思想と行動を制限されたから不幸、とは決まらないと、気づくこと。視野を広げること。色んな観点から自分の状況を見ること。

もちろん、強烈なトラウマにプラスの解釈を見出すのは簡単じゃない。相当に長い年月がかかるだろうし、様々な経験をした後に得られるのかもしれない。でも、その気付きは、その苦しみや悲しみの分、とても大きいものになる、、と、信じたい。てか私は、そう信じている。一方大した苦労なく育てば、楽しい一方で、得られる喜びも想定の範囲内になるのかも。。うーん。。私の経験が乏しく、うまく言葉にできない、考えられないけれど。

とにかく、どういう人生がいいか悪いかなんて、比べられるものでは無く。
人生って、大事な何かに気づくための旅路なのかもしれない。

今の時代の変化がそういう気づきを皆にもたらしやすくなるのだと考えれば、それはとても喜ばしいことだなぁ。

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