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祝?勤続20年

2000年8月16日にサイボウズへ初出勤しました。
なので今日でちょうど勤続20周年です。
今どき永年勤続なんて自慢にもならないし、誰も祝ってくれないので自分で祝います。

わーい!!

当時のオフィスは、水道橋の後楽森ビル。大阪本社時代なので東京オフィスという位置づけでした。

200坪の広大な(今より全然小さいけど)空間にわずか7人くらいしかおらず、最初の仕事は机の組み立てと床下のLAN配線といういかにも駆け出しのITベンチャーらしい感じでした。

初の通勤ラッシュ体験で、乗車率日本一の東西線でおっさんに揉まれて、一日分の気力も体力を使い果たした後、目にも留まらぬ速さでキーボードを打ち続ける同僚達の姿を見て「3日持たないわ、これは…」と思っていたのが、気づけば20年です。当時いた人も、私の後に入った人も、あっという間にほとんどいなくなって、古株になったかと思えば、今度は新しく入ってくる人が激増して1000人にもなって、おまけに会社に行かないものだから、また会ったことない人ばかりです。

その昔、「ブラック企業でした」と言われているサイボウズですが、末端下請け映像プロダクションでワイドショーのカメラマンやらディレクターをしていた身からすると、毎日終電で帰れるんならむしろありがたいといった程度のもので、仕事自体は楽しかったし、いざこざもたまにはありましたが、いわゆる「業界」と比較すれば鼻で笑う程度で、当時は「仕事しまくってデスクの上で死にたい!」とか言っていた青野さん(当時は副社長)もそもそもホワイト気質ですから、むしろ恵まれているわくらいにしか思っていませんでした。

飽き性で、根気なく、IT業界ではスキルもなかった私が20年続けてこられたのは、毎年のようにコロコロ変わる組織とミッションと人と会社自体に乗っかってたおかげで、次々と新しいことに新しい人とチャレンジすることになり、比較的早くにいろんなスキルも付いたし、飽きることもなかったからでしょう。
2週間でショールーム作れとか、1ヶ月で3億円ネット広告だけで使えとか(当時の相場ではビジネス系メディア全部出しても余ります)、ボーナスがいきなりゼロになったり3桁になったり、部長になって平になってまた部長になったり、毎週どころか毎日送別会で忙しかったりとか、普通のサラリーマンだったら人生の一大事みたいなことを何度も味わったおかげでだいたい楽しく暮らせました。

まあ、20人の会社と1000人の会社は同じ会社であって同じ会社ではないですよね。

もちろん自分自身も知らずしらずに変わります。自分が変わらなくても周りの見る目が変わります。
34歳といえばガンダムだと逆シャアのシャア・アズナブルで、銀英伝でのヤン・ウェンリーですが、54歳だともはやレビル将軍とかビュコック提督のほうが近いです。今調べたらヤマトの沖田艦長が2歳年下で、磯野波平と同級生です。それあんまりやわ。

早く成長する環境にいれば、早く成長が止まることもあるわけで、しんどかったのはどっちかというと会社がホワイトになってからの方ですが、それも「40代スペシャリストの生き方」とかで語ってみたら、意外に人気出たり、働き方の自由を最大限活かそうと苦し紛れにオフィスカー作ってみたらコロナがやってきて「憧れのリモートワーカー」と言われたり、サラリーマンになりたくなかったから、変な職業遍歴を選んだのに、「理想のサラリーマン像」と言われてみたり(ちょっと待て、努力の方向を間違えると報われませんよ)、人生わからんもんですね。

勤続20周年ウェーイ!って言ってみたかっただけなので、特にこの文章オチはないですが、自分の手にある自由をぎりぎりまで使い切る努力を続ければ、なんか新しい道が開けるのかなと思います。

もはや勤続年数が長いことは褒められるどころか、疎まれる時代にすらなってしまいましたが、ふと隣を見ればまだまだやることはあります。
全国の中年サラリーマンのみなさん、いっしょにがんばりましょう。

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