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被災者として 支援者として【能登半島地震】

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元旦の能登半島地震で輪島で被災し家は全壊し避難、避難した後は支援者の立場で現地で活動しています。このマガジンでは被災者であり支援者でもある私の複眼の視点で、様々に起きるジレンマや…
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記事一覧

【能登半島地震】寄付先っていろいろあるけど何が違うの?

地震発生から100日が経過しました。壊れた建物はほとんどそのままですが、自然の力は偉大です。 草木が芽吹き、桜も咲き奥能登にも春が来ました。 自分の家はボロボロのままですが、庭にはふきのとうやつくしなど、去年と同じ春の景色が広がるのがなんとも言えない気持ちになります。 桜の木は全く何事もなかったかのように咲き誇り、 被災から変わらなかった風景を彩ってくれます。 去年撮影した私の住む集落の春の写真とだいたい同じ場所から写真を撮ってみました。 今年は仮設住宅の建設ラッシュで

【能登半島地震】3ヶ月経ってやっと山の被害状況を確認

風邪をこじらしてしまい1週間ほどゴミになってました。 体調には気をつけてあまり無理はしてないのですが、ストレスも含めていろんなものが溜まっていくんでしょうね。 というか、単に年齢の問題と言う気もしますが。 そもそも自分の土地に近づくことすらできませんでした 家のほうの被害は、罹災判定で全壊となって決着したのですが、もう一つ被害状況確認していなかったところがあります。 能登町にある私の持ち山です。 2月くらいに補助金の報告書を書くために現地確認をしようと思ったのですが、

結局、もう能登へ来てもいいの?

元旦の地震から3ヶ月が経過しようとしています。まだ水道が出ているところも一部で、道路も本格的な修理は今からと言う感じです。また被災した建物についてはブルーシート以外はほとんどがそのままの状態になっています。 ここ1ヶ月くらい全国のいろんなところの防災に関するイベントでリモートで能登の現状をお話しさせていただいていましたが、必ず来る質問が「もう能登に行っていいんですか?」と言うものです。 結論から言えば 「受け入れ体制は不十分ですがそれでもよければぜひ来てください!」

【能登半島地震】スターリンクは万能か?

元旦の地震発生直後、スマホもすぐ使えなくなりました。 通常なら基地局のバッテリーを稼働させて、半日程度は通信可能な状態にするのが現在の基地局標準なのですが、 今回の地震では大規模な地殻変動があったために山崩れが頻発し、おそらく基地局も倒壊など大きな被害を受けたのでしょう。 BCPのセミナーなどで「半日ぐらいはスマホがつながります」と言っていた過去の私を叱ってやりたい気分です。ごめんなさい。 大切な電話番号は暗記しましょう ドコモはすぐに繋がらなくなり、ソフトバンクもパケ

【能登半島地震】罹災証明が出たら一区切り?とんでもない

地震から2ヶ月近く経ってようやく罹災証明が出ました。罹災証明が出るまで何もできないと言う声をSNSでよく聞きますが、そんな事はありません。被災者は意外と忙しいんですよ。 今日はその辺のことを書いてみようと思います。 何もしなければお金が流れ出てゆく被災者 発災後、倒壊こそしなかったものの、住める状態ではなくなった輪島の我が家。 建物が傾き、梁が折れて、ガラスは外れ、天井が崩れ落ち、屋根瓦が落ち、屋根も抜けて家の中に雪が積もり、屋根の雪が溶ければ雨がしたたり落ちる状態になり

【能登半島地震】強力な助っ人がきて3時間で被災地に水が出た!

奥能登では、地震発生から1ヵ月半以上が経過しても多くの地域で水道の蛇口から水が出ていません。 前々から井戸水を非常用やサブ水源として活用したいと思っていたところなので、今回も井戸の可能性を真っ先に考えました。 そして、山梨大学の先生方と地域の水源調査をしていた矢先、なんと民間ネットワークで井戸掘りのボランティアをしてくださると言う会社が見つかったのです。 なんと、タイムリーな! 女神のようなその助っ人の名前はメーサイさん 大阪のメーサイさん、 連絡をとって数日後には、担当

【能登半島地震】水道の復旧みなさまありがとうございます。そして水の復興に関して思うこと

被災地を走っていると、数キロごとにいろんな自治体の職員の方が水道工事をしています。 多くの方の努力に本当に頭が下がります。 それだけ多くの人が頑張っていてもまだ奥能登のほとんどの地域には水道が戻っていません。 今回の地震はそれだけ被害が大きかったのです。 能登の水道管は地震でどうなったのか? 地震発生後2分もしないうちに風呂の水栓を開いたのですが、すでに水は出ていませんでした。 ちょっと水道管が漏れている程度なら、しばらくの間は水が出るはずなので、おそらく崖崩れや貯水タン

【能登半島地震】DX化してる会社のみなし仮設の契約は超早かった

あなたの待ち順番は40番目です 地震発生から2週間経った頃の話です。日々山のように飛び交うメッセの波をかき分けながら進み、初対面の人たちばっかりなのにいきなりのシリアスな支援プロジェクトがどんどん動く中、そんな中すっかり忘れていたことがありました。自分の新たな住まいの確保です。 支援に懸命になっていて、気がついたら金沢から北にある賃貸物件がキレイさっぱり消えていました。 まだ水道すら復旧していないような地域の物件すら激戦です。問い合わせが殺到していたようです。 遅れ

【能登半島地震】災害関連死はこうやって忍び寄ってくる

テレビカメラマンとして、若い時にブラックの現場にいっぱい放り込まれたので、メンタルは割と強めな方だと思っていますし、 ビジネスでも割りと火中の栗を拾いがちです。 地震があった時も、デスクに隠れながら家が崩れていく様を割と冷静に見ていて、「あと10秒ぐらい揺れ続けたら柱が倒れるかなぁ、そろそろ覚悟しなきゃいけないかなぁ。」と 思っていたくらいなので、ショックには鈍感な方だとも思います。 それでもその日の夜は一睡もできませんでした。寝ないとダメだと思うんですが全く眠くならない

【能登半島地震】被災で知ったこれだけやれば5日は死なない10の備え

輪島市の三井の家で被災して3日ほど避難所で暮らしました。 避難所も最初の2日間くらいはすごい人口密度で、座って寝られればまだラッキーみたいな感じでした。 正月で帰省してきた人や旅行者もいて、食料も避難所にあるものだけでは全く足りず、それぞれが壊れた家から持ち寄って分け合いました。 道路は300mごとくらいにがけ崩れや、倒壊した家、電柱が倒れたりで全く通行不能、金沢と輪島を結ぶ幹線道路の経路にあるうちの集落ですら24時間は孤立した状態でした。 生き残るには家が壊れないだけでは

【能登半島地震】家の耐震についてAbemaTVで言えなかったこと

先日、Abema TVに出演しました。私もリノベ中の古民家が全壊した被災者の立場でお話してきました。 今回の地震では新耐震基準(震度6〜7でも倒壊しないこと)を満たしていても倒壊している家がかなり多いです。鉄筋コンクリート造の建物ですら倒壊しているほどです。 私の古民家はもちろん新耐震基準を満たしていなかったのですが、建物が元郵便局で頑丈な作りだったこともあり倒壊は免れたものの、建物自体は斜めになって天井は落ち、屋根に穴が空き、全壊してしまいました。 今回の地震を受けて

【能登半島地震】被災者はなぜ二次避難しないのか?

地震から20日が経過しました 被災地には、初期の救援物資は行き渡り餓死の心配はなくなりました。 また、道路もかなりのスピードで復旧が進んでおり、金沢から能登半島の先端まで半日あれば行けるところまできています。 しかしインフラ面、特に水道に関しては全く進んでおらず、10万人が住んでいた七尾から北の地域は、いまだに水道の水がほとんど出ないと言う状況が続いています。 今では給水車が来るので飲料水は確保できますが、水が出ないと水洗トイレも使えないし、お風呂にも入れません。

古民家全壊しました…【令和6年能登半島地震】

元郵便局の古民家を改装する話を楽しみに待っていらした皆様へ。 大変残念な話ですが、元旦の能登半島地震で全壊しました。 地震発生時 地震発生時、私はベッドとデスクがある部屋にいました。 1度目の震度5クラスの地震の時はすごく揺れたなぁと感じましたが、震源はどこだろうかとパソコンで確かめようとデスクに座った瞬間に2度目の大地震が来ました。 最初はまた震度5くらいかと思い、とりあえずは足を踏ん張る程度でしたが、5秒もすると、今まで経験したことがない横揺れがやってきました。感覚と