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ウィーンまんぷく日記 22-23/369

 先にサバティカルに行っていた人に、もう三週間も経つのに何の成果も出ない、と話したら「そんなに簡単に成果が出るわけない」と言われた。そりゃあ、そうだよな……。ダイエットを焦る学生みたくなっている私の心だ。
 昨日は、相変わらずジャーナルの論文を読んでいたら、家主さんが早めに戻られて、イースター休暇でこれから数日間ご実家に帰られるというお話だった。よほど私が寂しそうに見えたのか(いや実際に寂しいが)、「ウィーンに友達はいる?」「いつでも誰でも呼んでいいからね」と優しくお声がけいただいた。イースター休暇中でも学校には誰かいるので多分大丈夫だと思います、と答えたが、ありがたかった。
 さらにジャーナルの論文をプリントアウトしようと思って大学に行ったら、もう春で暖かい。夜が寒いからストールを巻いて出るけれど、カーディガンやTシャツでも昼間は十分だったりする。今日の写真はそんないい気候の大学の写真なのですが、さすがにあたたかさまでは分かりませんね。
 論文も(といっても、英語がじょうずに読めないのでそんなに本数を読めるわけではないが)面白かった。社会運動論にもそういうところがないわけではないが、ツーリズム研究は概念や「◯◯ツーリズム」をガンガン生み出していくので、ちょっと読んでて大変だな、使えるところを使ってあくまで社会運動研究とするのがいいのかなと悩む。完成させるにあたって「ここが足りない」というのは分かるのだが、それに該当する先行研究を異分野から見つけ出す難しさよ……。

 版元の左右社さんから、新刊の見本が出来上がったとのことで動画や画像で見せてもらう。つい、嬉しくなってTwitterでもたくさんリツイートしてしまって、ここのところ超うざくて反省。加筆に加筆を重ねたら本が厚くなってしまって、中高生の方々にも手に持ってもらえたらと思って書いたけれど、手にとってもらえるか不安だ。自分自身は伝えたい人に伝わればいいとも思うが、版元さんは商売だろうから当然多くの人に手にとってもらえたほうがいいわけで、申し訳ないし不安だらけだ。そういう感じで憂鬱だった。
 独立独歩で、いわゆる書き物で食べていく生活にも憧れるけれど、そういう憂鬱(勝手に「資本主義憂鬱」と呼んでる)を自分一人で背負い込むのはやりがいもあるが大変なことも多くあるだろう。学校の先生をして、細々とだけど研究をしながら、依頼をもらって本や記事を書いたり、講演をするのが向いているのだとここ数日はつくづく感じた。

 今日は家族と行き違いがあり、少なくとも私にとっては超重要な代理の用事をすっぽかされて、それでずっと凹んでいた。多分、誰に話しても「そんなこと」と言われることが分かっているので、ここでは書かないが……。そのことも悲しいし、自分にとってはそうではないが、他人にとってはおそらく「そんなこと」であろうことで悲しんでいる自分がいると思うとますます悲しいし、家族を憎む気持ちも止まらない。
 どうしようもないのでもう一度眠ってから散歩をして、大学に論文を印刷しに行くと、院生さんがいて、いろいろ話して気が紛れた。日本語の課題について一緒に考えたりしたが、日本語を英語で教えるのって本当に難しいなと今更ながらに思ったりする。
 帰りにパティスリー(コンディトライといいたいが、フランス風のお菓子のお店なのでパティスリーでいいか)に行くが、着いた頃には閉まる直前だったので、いつものカフェでダックワーズを食べる。

 友人がTwitterに新刊の紹介(というか、既に「書評」かも)を書いてくれていたので、帰ってお礼がてら少しおしゃべりして、ちょっと元気が出てきた。和食が恋しかったのか、普段は全然作らない牛肉のそぼろ煮を作って食べる。
 最近は数日前にDLした餓鬼レンジャーとクリーピーナッツの曲(どちらかというとおもしろソング)ばかり聴いていたが、「このまま日本に帰ったら、この曲を聴くたびにウィーンの美しい風景を思い出すことになるのでは。もちろんそれはそれでいいが......」と思い、すこし気になっていた鈴木京香の「水星」(この水星は、もちろんtofubeatsの水星で、藤井隆プロデュースらしい)をDLして聴いた。ポエトリー・リーディングに近い感じがするが、よかった。そろそろ元気も出てきたし、ちょっと遅いけど、論文でも読もうかな。

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