ウィーンまんぷく日記 37-38/369

 いろいろな人に会ったし、勉強になる機会もあったが、研究の方は進まず相変わらず焦っている。しかも相当長い時間寝てしまった。

 家族が体調を崩してしまったので薬を買いに行ったりして、夜は研究科の講演会は、ある地域のデモクラシーのお話なので結構マクロな話かと思っていたのだが、そこに地域共同体におけるコミュニケーションという変数(データ収集の仕方もどちらかといえば人類学的なパースペクティブが強いと思う)が入っていたのが日本研究らしく(というとこれもステレオタイプかもしれないが)、とても興味深い。
 後の食事会では先生方がホワイトアスパラガスを食べていて、私も食べてみたいと思っていたら、家族が調理の仕方を知っているらしく翌日の朝食に食べさせてくれることになり、翌朝食べたが甘くて美味しかった。面白い報告を聞くと自分も研究したくなるが、食事会がかなり夜遅くに終わったのでその日はすぐに眠ってしまう。
 ある先生から「海外に異動するつもりは?」と訊かれたが、博士号も海外で取ったわけではないし、分野のトップとはいえない、自分と関心の似た人が投稿しているような国際誌で何本か論文を出して、日本の中で国際派ぶるくらいが関の山で、その後は難しいというか無理だろう。そういうのは優秀な人達がやることであって、自分はなんというかペーパーを出して、日本でテニュアをとって、それでもう万々歳というか、凡人なりの精一杯だと思う。何か改めて挑戦するには年をとったし、そもそもたとえいまより10歳若かったとしてそんな素養も能力もない。いま、能力や素養のわりにそれなりに良い思いをしていることも自覚していて、なにか高い理想のためにそれを手放す気概もない。

 2日から3日にかけてはやたら良く寝た。なんか長年使っていたスパナかなんかがなくなってしまって(そこが夢のおマヌケなところなのだが)、それで自殺を図る、という素っ頓狂な夢であった。夢そのものよりも、自分がそのときに夢の中で言った言葉が印象的だった。失ったという事実もそうだけど、楽しい思い出も素敵な思い出もたくさんありすぎて、それをどう諦めていいかわからない、身近な人に言ってもきっと、今持っているもので満足しろとか非論理的だと言われるだけだから、言葉にできないまま生きていく、失った事実よりもそのことが辛いのかも、というようなことを言っていた。それは自分の失くしたものやことやひとに対する思いをやたらよく言葉にしている感じがして、たかが夢のこととはいえ一日経ったいまでもよく覚えている。
 家族と合流して、買い物をしたりカフェに行ったりした。髪を巻いてもらったり化粧品を選んでもらったりして楽しかった。昔『溺れるナイフ』という漫画に「服は何の解決にもならないけど楽しい」みたいな台詞があって、これらは何か私の悩んでいることを解決するわけではないが、家族と過ごすのもこういう買い物をするのも楽しくてなにかの慰めになるだろう。

 日本からウィーンに来ている先生方と、昼食と飲み会をご一緒した。自分はあまり自分について話すのが得意じゃないので、いつも聞いているだけだが、先生方のご研究やウィーンのお役立ち情報について聞けてとても楽しかった。こういうところで自分について話せれば楽しいんだろうなと思うが、自分の話はあまりおもしろくないだろうなというのが先に来て、つい聞く側になってしまう。日本語で話すのも自分に合わさせているようで申し訳ないし、あまり簡潔に話すのが得意じゃないので、人の時間を奪っているという罪悪感がある。そういう罪悪感は日本で過ごしているときにもあるが、こういうときにより強く感じる傾向はある。

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