ウィーンまんぷく日記 3/369
ガチで時間がないので朝からゲラのチェックをしている。自分だけでは分かりづらいところなどもあるので日本の友達に助けを求めたりしてすごいことになっている。編集者さんもおまたせしている。しかし、オーストリアの住民登録は3日以内に済ませねばならないのでそれは絶対に行かなくてはならない。
自分の滞在している区は8区で、めちゃくちゃ小さいためなのか、実は8区のなかに区役所がない。それで1区まで行くことになる。15分くらい待つが、住民登録は1分くらいでしてもらった。名前を間違えていたので、「すみません、名前が……」と言ったらすぐに新しいのを出してもらった。Invitation Letterが必要だという話なので慌ててコピー屋さんで印刷したのだが、どうも必要じゃなかった感じがする。パスポートとMeldezettelだけ見せて、と言われて渡した。英語も通じたので特に不便はなかった。1分のためとはいえせっかく中心部に出てきたので、帰りにデメルでビーフグーラッシュとザッハトルテを食べたら結構な金額になって自分で自分にキレそうだった。
つねにゲラを持ち歩いて、合間合間にゲラをチェックした。院生の頃、論文を投稿した時に「彼」の表記を全部「かれ」に直されて、当時の私は正直、意味はわかるものの、ちょっとだけしゃらくさいと思っていた。だが、今ではその気持ちがわからなくもないし、「しゃらくさい」と感じる人の気持ちからは遠ざかってしまった。教員になって、「彼」と簡単に言えない自分もいるし、一方で、「そういう」表現を使うことも躊躇してしまう。学生もそうやって躊躇する私のモノマネをしてくれるから、多分、ためらいだけが伝わっている。そういう葛藤を講義にし、講演で喋っていたら本にしてくれる人がいたので、いまこうして赤を入れている。
その葛藤は本づくりの土壇場でも続く。どの具体例を挙げても、どの表現を選んでも、すべてにおいて公正なんてものはなくて、誰かを傷つけてしまったり、何か社会において弱い立場や課題を論じようとするとき、「自分のことを言っているのでは」と思わせてしまうだろう。それが一番怖いが、どれかを選ばなくては本が書けない。そういう葛藤がずっと続いている。この校正のコメントそのものや、葛藤そのものを本に載せられたらいいのにと思う。
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