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久遠の夢

こんばんは、ミーチャです。
お仕事とプライベートが緩やかに元の日常に戻りつつあります。
合わせて気持ちも随分落ち着いてきましたので、切り替えの意味も含めて書き残しておきます。


私の故郷はプロテスタント系の所謂児童保護施設なのですが、そこを長年管理運営していた義父であり恩人でもある牧師の先生が先日眠りにつきました。
かなりの高齢でしたので、自然の理として悲しまず受け入れるべき事象なのだろうと思います。

主を恨み信仰を捨て去った私に対して『家族なのだからいつでも帰って来なさい』と常に気にかけてくれた真っ直ぐで愛情深いひとでした。

事実、姉の事もあって定期的に帰郷する私をいつでも皆と一緒に温かく迎え入れてくれました。


去年の夏頃だったと思いますが、まだ元気な父に『お前はあの子に似て強情だ。もう跡継ぎは他の者に任せるから、お前には相談役を頼むつもりだよ。子供たちの生活のことはお前が1番詳しいのだからね。』と告げられ、いや無理でしょ私もう部外者なんだから、大体縁起でも無い、先生全然元気じゃんと話半分で聞き流したりしていた頃がなんだか夢のようで、懐かしくさえ感じます。

それ以降、帰郷の際に数回お話しては私が勝手に『このひと(が後継者)かな?』と想像していた40代の男性がおられるのですが、案の定その方でした。
教義に理解が深く、物腰の柔らかい誠実そうな方です。さすが先生は老獪もとい人を見る目があるなと感心しました。

ただ先生は怖いくらい勘が鋭いというか、人間の本質のようなものを見透かすひとでした。それでも懐疑的になるのではなく、物事を自然に委ねながらも『こんなこともあろうかと』的な安全弁を幾重にも用意する聡明な大人でした。

だからこその、今回の私個人宛の遺言なのでしょう。
『愛する○○へ。久遠の先でお前を待っています。時世が移ろえば心も移ろう。共同経営者として、お前は子供達の盾となりなさい。』

正直、眩暈を憶えました。やってくれたなあの不良牧師、と変な笑いが込み上げました。
私に経営の知識や経験はありませんし、何よりも故郷を離れて普通に就職している身です。
しかし同時に、教会や施設の運営は簡単ではない事も何となく知っています。
運営が立ち行かなくなれば、今いる子供達は他の施設などへ離れ離れに移ることになるでしょう。
教会と神学校と施設、優先順位を強いられる日が来るかもしれない。その日の為の『口出し権とそれに伴う責任』を、父は私に預けたのです。

私なんぞを信頼するなんて先生もまだまだだねと、涙が溢れました。
仮に私が後を継いでいたなら、重圧に耐えきれず全てが良くない方へ行っていただろうと思います。
それらも含めて、私では到底及ばない深い愛情を感じました。


そんなこんなで、すぐに生活が変わる訳ではありませんが、少しづつ今と違う私になって行くことでしょう。
いつの時代も子供に罪はありません。在るのは唯々大人の責任です。
故郷の皆が笑顔でいられるように、愛を信じられるように、私のすべてを使えたならと願うばかりです。


今回はいつも以上に至極私個人のお話でした。
それでも最後まで読んで下さったあなたが大好きです。
あなたの日々の幸せを心から祈っていますね。またいつか。

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