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「自分を信じろ」が根性論という誤解

おはようみんなたち。
実はわたしレースゲームが大好きでございまして、つい先日、半年間やっていたレースゲームのユーザーイベント「indiVtubersGTseries」全7戦優勝2回・総合2位で完走しました。
そこで思ったことをつらつらと書いていきますよ。

「自分を信じろ」
よくスポーツ選手が言うことなんだけど、簡単に言えば「これまでのくじけたくなるほどの練習量が体に染み付いているはずだから行けるはず」ということなんだけど、他人がそれを見たら根拠も責任感もない所があって「知らんがな」と反発したくなるのよね。

今回、最終戦を走ってる最中に自分自身に「自分を信じろ」と鼓舞したシーンがあったので、自分を信じるためのコツを伝授したいわけだけど、あまり自己啓発的なのは好きくないのでここは自分らしくメカニズムで考えていきたい。

簡単に信じてしまう人と全く信じられない人

信じろと言われている対象とは「過去の自分」、正確には「過去から現在までの経験」のこと。
経験から「おそらくイケるだろう」となるわけだけど、「自分を信じろ」と自分に言う場面を考えると、判断を間違えたら引き返せなくなるタイミングだったりする。
切羽詰まった状態で思考停止して無謀なチャレンジをして失敗するなんてよくあることだわ。
そして、それとは逆に実力があるのにも関わらずそれを信用できずにチャンスを逃すなんてこともまぁよくある。

つまり実力を見誤っているのだ。

全ては結果論とも言えるけど、その結果へのプロセスには幾重もの判断が積み重なっていて、判断の根拠が弱かったのが結果に結びついてしまっているのもまた事実なのだわ。判断が適当なのに勝ってしまった時は大抵「運が良かった」というものである。

自分に信用されるとは

第三者が挫けそうになっている人に「自分を信じて頑張って!」と言うシーンをよく見るが、過去を振り返るいいきっかけにはなったとしても、結局「自分を信じられるほどの根拠」も用意できていない上、その第三者についても「その人が根拠を持っている」とも思えず「あなたにわたしの何がわかるの?」となることがままある。せいぜい一緒に練習をしてきた仲間や監督、コーチのように「過去の自分」が積み重ねてきた経験を知っている人でない限り言葉に重みが足りないのだ。

「自分を信じろ」があまりに身勝手で無責任に見えるのは「信用される側」が信用されるほどの根拠を示していないということに他ならない。

では、自分に信用されるための根拠はどうやって作っていけばいいのだろうか。

未来の自分は知らない人

実際のところ勝負事での判断なんてものは切羽詰まっていたりアドレナリン出まくっていたりして、その時の状況と過去と照らし合わせて正常な考察をするなんてできなくてもおかしくないのだから、ただ闇雲に経験を重ねるだけでは「未来の自分」を正確に導く事はできない。つまり「未来の自分」が判断、あるいは選択ができるように「過去の自分」から材料を集めておくのが「今の自分」の仕事になる。

とはいっても、過去や今の自分は未来の自分がどういう状況にあるのかわからない。試合の展開もあるだろうし、その時のテンションや体調、人によってはクスリの効き方なんてのもあるだろう。「未来の自分」から「過去の自分」は知ってる人だけど、「今の自分」にとって「未来の自分」は知らない人なのだ。
だから、知らない人に向けて過去の自分を信用してもらえるような資料を作成するということになる。

知らない人へ資料を提示するとは…

そうだね。プレゼンだね。
根拠と考察、結論、そして選択肢の提案。

「今の自分」は「過去の自分」の経験や実績を根拠に「未来の自分」が置かれている状況そしてその未来を考察、多数あるうちの結論から最適解を導き出して、取りうる選択肢の提示を行う。
具体的に言えば、各種データや実測値を元にシミュレーションをして戦略プランを立てるのである。
これをしていないと「未来の自分」は現場で戦いながらバラバラに分散している経験を必死で思い出すハメになるのだ。行き着く先は都合のいい経験が脳に出てくるなら自意識過剰気味・楽観的に無謀なチャレンジに走り、一方で都合の悪い経験ばかりが出てきたらそのまま何も出来ずに終わる。

往々にしてプレゼンなんてものは、ほとんどの人が大部分を聞いていない。重要なところさえわかっていればいいやの気持ち。あるいは寝ている。これは自分自身に対してもだいたい同じことで、事前に「相手がこう来たらこうしよう」などと思ってても「なぜこうするべきなのか」という部分についてはその瞬間にはすっぽりと抜け落ちているし、おおよそ再確認するほどの余裕もない。
だから、「根拠」「考察」「結論」についてはあくまで自分を信用させるための材料でしかないと覚えておき、重要な部分はちゃんと重要だと示す必要がある。

最終的に提案した選択肢を「未来の自分」が選べばいいだけという状況にしておいて、「なぜその選択肢なのか」という疑問は信用を持って抱かせなくて済むようにしてあげるのだわ。「こいつが言っているのだからそうなのだろう」と思えるぐらいの信頼関係を過去の自分と未来の自分の間に作ってあげる必要がある。

わたしはいかにして自分に信用されたのか

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今回参加したindiVtubersGTseriesでは大まかに次のようなルールが設けられている。

規定時間は1時間
タイヤ交換が出来るのは経過時間25分から35分までの間で、これ以外に交換した場合はピットスルーペナルティ(ピットレーンを低速走行しなければならない)を与えられる
予選上位ほどタイムの出ないタイヤでスタートしなければならない

今回わたしは予選1位だったので一番タイムの落ちる「ハードタイヤ」でのスタートとなった。

レースというのは周回を重ねていって、規定の周回数あるいは時間をもって最終的なゴールまでの時間の短さを争う競技である。この周回タイム(ラップ)は使うタイヤの種類や摩耗具合、残り燃料の重量によって変わるので、タイヤ交換のタイミング次第で大きく変わってくる

勝つためには当然練習を行わなければならないが、その流れの中でラップの記録を集めまくる。そして摩耗などが加味されたラップごと・タイヤごとの平均ラップタイムを計上し、多数あるピットタイミングのパターンの内、ピットスルーペナルティを受けることを前提としたものを含めて14種類のシミュレーションを作成、トータルタイムの短いものを洗い出した。

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つまり「過去の自分」が作った実績を元に「未来の自分」の行動パターンをケースごとに分析・比較して最適解を算出、戦略としてプランAそして状況次第で選べるプランBを用意した。

もちろん別のタイヤでスタートするライバルが取りうる選択肢も全てシミュレーションし、自分のプランとの比較、各周回数時点でのタイムギャップの算出も行っている。

ここまでお膳立てすればもう、プランAとプランBの判断基準とピットタイミングさえ覚えておけば「未来の自分」は他のことは全部忘れてもいいのだ。

そうは言っても…

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実際ほぼシミュレーション通りのレース展開となった。
それにも関わらず不安は襲ってくる。

シミュレーション上で「○周の時点ではトップと7秒差のビハインド」と予め分かっていたとしても、実際のプレイ画面で本当に7秒差と出てしまうと同じ7秒でも「本当に後々ひっくり返せるのか」「この先のシミュレーション結果は本当に正しいのか」「そもそもシミュレーション通りに走れるのか」などなど…。
7秒というのは1周コンマ5秒早くても追い付くのに14周かかる時間。力量の近い相手と作るには大きすぎるギャップを前に、シミュレーションで出てくる壁と実際の壁は厚みも高さも大きく違うように感じてしまうのだ。

仮に一時的なタイミングのズレから来るギャップとしても、常に目に飛び込んでくる赤いビハインドのギャップは脳みそに衝撃を起こす。
そして大抵の場合は「もっと良い手段はないのか」とこの期に及んでシミュレーションぶち壊しの悪あがきに走りかけるのだ。
余計な思慮が邪魔をしてプレイを乱し始めたらそれが終わりの合図です。

それも自分

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自分もライバルもシミュレーション通りのラップタイムを重ねていくのを見て、「シミュレーションの根拠になる練習を重ねた自分」とは別に「正確なシミュレーションを作った自分」を信じた。そして「過去の自分」が提示した選択肢を選び遂行した結果、無事に優勝することが出来た。

レースの模様はこちら(1時間あるよ)
https://www.youtube.com/watch?v=OmVYlYWy0qU&t=2210

「未来の自分」と「過去の自分」を信頼関係で結ばんとした「今の自分」もまた、「未来の自分」にとって「過去の自分」なのだね。

シミュレーション上不利になる箇所を認知して、ある程度覚悟をしておいたことが今回勝てた最大の理由だったと総括したい。

何を言いたいのか

1. 自分を信じるためには、信じるに足る根拠を予め用意せよ
2. 人のプレゼンはちゃんと聞け

「自分を信じろ」は可能な限りの準備をした上で、それでもテンパった時に頼る最後のメンタル支え棒。実力の発揮値をフルに引き出せるなら、多少絶対値で負けててもひっくり返せるようになる。それでも負けたら実力が足りなかっただけだと思うんよ。負けた理由がわかるというのは今後につなげるには最も有効なファクターなのだわ。

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