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空想の旅、アラビアントリップ

所用で渋谷へ。

社会人二年目で制作職になったばかりの頃、渋谷営業所に半年間勤務した。

当時いた駅前の雑居ビルは跡形もない。
雑居ビルの一角に、【芥子ゴマそば】という名前の、今でいうタンタンメンがおいしかった中華料理屋さんがあったっけな。

あのお店の人たちは今どうしているんだろうか。

目の前にそびえたつビル、未来都市みたいな、バベルの塔みたいなスクランブルスクエアに呑み込まれるように入り、12階にある、オリエンタルバザールが経営しているアラビアンレストランへ。

入口からは中の様子がわからなかったので入ってから、思いがけず広々としていることに少し驚く。山の中でほら穴に入ったら、思ったよりずっと広くて明るかった、というお話は、なんだったかな。

隣りの席のご夫妻とお店の方とのやりとりで聞こえてきたレバノンという言葉に惹かれ、密かに私も便乗することにした。

レバノンの赤をグラスで。

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子どもの頃に何度も読んだアラビアンナイトの影響か、砂漠を連想させる言葉…レバノンとかアラビアンとかにいつも反応する自分がいる。

目の前に砂漠の景色が広がっていく。

25歳の頃にイスラエルのマサダに行った時に感じた、涙が出そうな、懐かしいような気持ち。

あの時はあの土地に呼ばれていなかったようで、エルサレムの旧市街の入り口で、突然【場違いだ】【お前のことは呼んでない】と言われた感じがした。
一人旅の心細さから来る単なるアウェイ感だったのかもしれないけれど、
ものすごく強烈に拒絶された記憶。

人を惹きつけてやまない嘆きの壁の前で、涙を流し拝んでいる人をみながら、自分とは関係ない感じがしたのは、特定の宗教をもたない人間の、嫉妬心からくる疎外感だったのかもしれないけれど。

呼ばれているとかいないとか・・


いわゆるパワースポットではよく、呼ばれているとか、いないとか、そういう話になる

呼ばれてないとかないですから! パスポートとって、飛行機のチケット買えばいいだけですから!と、いきつけのアーユルヴェーダのセラピストの女性が言ってたことを思い出す。

意味や価値や運命などなど、なにかと自意識が過剰になりがちな心を、ニュートラルに戻してくれるのは、こういうカラッとした意見だと思う。

イスラエルに呼ばれていないと感じた当時の自分の精神状態を思い起こすと、ただの思い込みというか、自分に酔っていただけのような気もする。

そして、今の私と、砂漠地帯との関係性は、いったいどうだろう。そもそもそんなのただの妄想にすぎないようだけれど、

いずれにせよ、身近にないからか、アラビアンナイトの影響が大きいのか、砂漠の風景にはとてもとても憧れる。

そのどこかにやり残した宿題、置き忘れたものがあるような。
でもやっぱり、そう言ってただ自分に陶酔しているだけのような。


このところバラキエフやバルトークの、民族調の音楽を繰り返し聴いていたこともあってハードな土地に旅に出たい気分がむくむく湧いている。

うす暗くオリエンタルな部屋で、レバノンの赤ワインをゆっくり飲みながら、心の中でキャラバンになってみる。

店内を行きかう感染予防のためにマスクをしているスタッフの方々が回教徒の女性の仮面姿に見えてくる。

注文した、アラビアンビーガンプレート。レバノンとトルコから買い付けたという金色の食器にのってやってくる。

ひよこ豆と野菜でできたコロッケみたいなファラフェル、パセリなどのサラダとピタパン。

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デザートはビーガンチーズケーキ。小鍋から注いで飲むアラビックコーヒー。

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真鍮のランプや黒塗りの壁を眺めながらゆっくりゆっくり味わう。

アラビアントリップ。

魔法の絨毯には乗れなかったけれど、なかなか楽しかったな。

陶酔も悪くない。


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