【読んだ本】『百年と一日』/ 柴崎友香
柴崎友香さんの『百年と一日』という本を読んだ。
この本は再読だ。元々は『ゲゲゲの女房』や『嵐電』などで有名な映画監督の鈴木卓爾さんがSNSで紹介していたのをきっかけに数年前に買って読んでいて、最近、文庫化されたということで改めて読み直してみた。
この作品は33篇の短い話を集めた短編集なのだが、
いわゆる普通の「短編集」とはちょっと違った味わいがある。
ほぼすべてが誰かの記憶の話で、それぞれの話に明確なつながりはない。
「各話のタイトルが文章形式でものすごく長い」とかフォーマット的な異色さもあるが、それよりも内容というか読み心地が独特である。
物語というよりは記憶の断片を読んでいるような感覚。
しかも、それが誰か一人の記憶でなく、複数人の記憶が合わさったものだったりするので、場所の記憶(あるいは、街の記憶、地球の記憶)のように感じる。
日記のようだが、日記のように「とある1日」についてまとめたものでなく、例えば、「昨日あった出来事」と「10年前の出来事」のように断続的な時間経過を伴った物語に必ずなっている。
最近、『未解決事件は終わらせないといけないから』というゲームをプレイしたのだが、それも近い感覚だった。
『未解決事件は終わらせないといけないから』は、テキストベースで進行していくゲームで、プレイヤーは過去の未解決事件について調べる人物となって、複数人いる登場人物の「証言」を参照しながら、事件の真実に近づいていく推理アドベンチャーだ。
特徴的なのはそのゲームシステムで、プレイの最初の画面では「一部の登場人物の名称」とランダムで配置された「証言」があるだけ。つまり、「誰が」「いつ」言った証言なのかがわからない状態になっているのだ。プレイヤーは「一人称が“僕”だから男性だろう」「通報したと言っているから被害者だろう」「流れ的にこの証言はあちらの証言の後の発言だろう」というようにセリフの内容からそれらの証言が「誰の」「いつ言った」ものなのかを推理しつつ整理していって、ゲームを進めていく。
説明が長くなってしまったが、
その「断片的な記憶の欠片を読んでいる感じ」が『百年と一日』に近いと思ったのだ。(だから、ゲーム化したら面白いかもしれない。たぶん、されるとしたら映画化だろうけど。『夢十夜』みたいな感じ)
個人的には好きな作品だが、誰にでもおすすめできる類いの作品ではないと思っている。
正確に言うと人を選んですすめる感じだ。
それは、この作品は誰もが気持ちよくなれる「わかりやすい娯楽」ではないと思っているからだ。
これにはたぶん根底に、
「多くの人はわかりやすくて気持ちいいものが好き」
という私の偏見がある。
それは構造の複雑さの話ではない。
「目的」「特徴」「楽しみ方」が明確であるという、意味的なわかりやすさである。
多くの人が、伏線回収のような練られた構造の作品が好きで、設定の斬新さが好きで、感動できるストーリーが好き、だ。
SNSで紹介できるような「新しい大発見」を求めている。
『百年と一日』にそういった大きな驚きや発見はない。
33篇の物語の多くは身近で身に覚えのあるような話ばかりだ。
でも、そんなありふれた日常風景の中に、ちょっとした不思議や驚き、面白み、郷愁、悲しみなど、小さな何かを感じとることができる。
新しい大発見でなく、既知のものへの小さな再発見である。
例えるなら、遊園地でなく、近所の公園でのデートという感じだろうか。
自分はその公園が好きなんだけど
「なんもなくてつまらん!」って言われたら悲しいから
誰にでもすすめられるわけじゃないけれど、
それが共有できた時、普通よりも、ちょっとうれしくなる。
改めて読んでみて、そんな作品だと思った。
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