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【読んだ本】『日本現代うつわ論3』/ ゆめしか出版

『日本現代うつわ論3』という本を読んだ。

「3」と付いている通りシリーズもので、今作で3作目である。
自分は1作目、2作目は読了済みだ。

「日本現代うつわ論」というタイトルを聞くと、哲学書的な、論考が並べられたものをイメージしてしまうが、実際は論考だけでなく(というか論考の割合は少なく)、エッセイ、漫画、詩、短編小説、対談、作家紹介など様々な表現方法で構成されているポンキッキ―のような本である。

3作目である本書は、これまでのうつわ本の中で一番読みやすかった。
対談企画がメインだったからだと思うが、YouTubeの動画を見るようにさらっと読むことができた。また、1作目、2作目の読者からの反応を受けて、「よりわかりやすく」「より読みやすく」というのを意識してアジャストされているようにも感じた。

読みやすさについて「YouTubeの動画を見るように」と言ってしまったが、それは動画視聴とはまったく違う感覚だ。
テキストで読むと、音や映像がなく、動画よりも情報が少ないので、内容が頭の中により入ってくる感じがする。
情報を摂取するスピードも自分で調整できるし、逆に言えば、自分が読み進めなければ勝手に進んではくれないので、「なんとなく通り過ぎてしまう」ということが起こりにくい。
目的によっては、テキストよりも動画の方が効率的なこともあると思うが、「日本現代うつわ論」の場合は、情報を得るための本でなく、読者が自分の中で咀嚼して、色々と考えた方が面白いものだと思うので、この形式がちょうどいいと思った。

内容の話をすると、特によかったのは、大槻香奈と藤川さきの対談だ。

前提として、両名とも言語化が上手である。先入観としては「アーティストは感覚的でわかりづらい話をしそう」というイメージがあるが、実際にはメディア等で発言する機会が多いからか、自分の考えや感覚を的確に言語化する人が多いと思う。また、その応答速度も速い人が多い(例えば、インタビューや質問に対して、それっぽい回答をすぐに出せる人が多い)。

また、個人的に藤川さきの考えに共感できる部分が多かったのと、単純に雑談として面白く楽しむことができた。
中でも好きだった「藤川がSNSアカウントを大量に持っているエピソード」での発言を抜粋して、以下に少し引用してみる。

整理がしやすいっていうのもあるし、元の自分の性格を相手に知られる必要性をあまり感じていなくて。例えば新しくアカウントを作る時に、このジャンルの人たちが見てみたいなと思ったら、名前のない何かのアカウントを作って、その界隈の人たちと話しながらその場所での人格が形成されていくのが好き、みたいな心があるんですよ。元の自分を引っ張ってきて、この私ごと話したいっていうよりは、その土地の空気を味わった中で出来上がっていくもの、自分の何かを見つめながらその場の空気も見るのがすごく好きで。 ~中略~ 観光客気分でアカウントを作るっていうのをすごいやるんですよ。その場所の空気に合ってる自分の形を作って遊ぶっていうのが好きで。言ったらそういう趣味だと思うんですけど。

今33歳なんですけど、子供がいて何をしてるって情報が一回なくなった場所で、私は誰と仲良くなってどんな話ができるんだろう?って思う。自分が持っていた人格の部分で、捨てられる部分と捨てられない部分を見るのが好きっていうのもあるんですよ。

実はSNSのアカウントが30個ぐらいあって。 ~中略~ そこで気付いたのは、世の中みんな自分と他人のラインをすごくしっかり引いた上で、私はこれだからあなたは違うとか、これが正しいとか正しくないとか、自分の中でいろんな選択をして、結構はっきりと良い悪いを分けたがる傾向にあるなってこと。たくさんアカウントがあるとたくさんの人格が生まれてその境界が曖昧になるから、いろんなものに対して断定がしずらくなるんですよ。

「アカウントを作りまくる癖」は、詩人の最果タヒも有名になる前はアカウントころころ変えていたみたいな話をどこかで見たことがある。それがもし偽情報だったとしても、インターネットへの考えや向き合い方が似ている部分がある気がするので、一度、最果タヒと藤川さきの対談も見てみたいと思った。

上記の話が楽しめた人は、他にも面白いエピソードがたくさんあったのでぜひ読んでみてほしい。

自分は展示会のステートメントや本書のようなアーティストの論考が割と好きでついつい見てしまうタイプなのだが、それは作品とつなげて楽しむというよりも、そのテキスト単体が好きで、個別に楽しんでいる感じだ。小説家が書くエッセイのような感覚で読んでいるのだと思う。

「うつわ論」は、制作過程の作家の心境や思惑を詳しく書いていたりするので、それを元に作品を見直してみると、新たな発見があって面白いのだが、逆にそういったものに引っ張られすぎてしまうと、作品の鑑賞時に変な先入観が入って、フラットに作品と対峙できなくなるという懸念もある。

だから、自分としては、「うつわ論」はあくまでも作品と切り離した「面白いテキスト」として楽しみ、作品の鑑賞時には引きずらないように心掛けている。

そもそも、人の考えなんてコロコロ変わっていくので、本を書いた時点で思っていたことを新しい作品を作った時にも思っているとは限らないので、作家や作品に変な先入観を持つことは百害あって一利なしのような気がする。

最後にどうでもいい持論を繰り広げてしまったが、アーティストのエッセイ集として面白いので、「どっかの脳を活性化」したい人は一度読んでみることをおすすめします。

最後の最後に、次回以降への個人的な期待を書くと、アーティスト以外の普通の人の「うつわ論」も見てみたい気がする。
おばあちゃんのうつわ論、専業主婦の母のうつわ論、みたいな、アーティストでない人の中にも「うつわ論」の概念を持っている人はいるんじゃないか?ということ。それが面白いのかはわからないが、一度見てみたいなと思った。ただ、一般人でそんなことを考えている人は少ないかもしれないし、内容が面白くないかもしれないので、やるとしても、募集して面白い人がいたら……となるだろう。

自分なりの「うつわ論」が書きたい人は意外にいるのではないか。

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