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幸せに殺される#47
子どもは、かわいい。
甘い吐息に、思わず笑みのこぼれる愛おしい笑顔。
自分が選んだ可愛い小さな子供服を干しながら、旦那が子どもと戯れる休日。
これ以上の幸せはないなと思う。
一方で、予定なんて何もないのに、自分が一人でしたいことが何もできない、家族で過ごす休日の息苦しさを感じる。
「幸せ」の条件パズルを要領よく集め、家族というパーティーを組み、そのメンバーも最高な今、なぜ私はこっそりとため息をつくのだろうか。
洗濯物を干し終わると、掃除機をかけ、洗い物をし、洗濯物をたたみ、片付け、泣く子をあやしているとあっという間に11時。
子どもが寝たら、子どもが入る保険の相談を夫とし、今年のふるさと納税を何にするか事務的に話す。
各種書類をかたづけていると、「ふぇ、ふえ」と隣の寝室からか細い不安な泣き声がする。
中途半端な事務作業を中断し、お昼ご飯の準備に取り掛かる。
あの本が読みたい。時間がない。
あの服が買いたい。お金がない。
あのヒールを履きたい。履く場所がない。
仕事をしたい。まだあずけられない。
自分の存在意義が欲しい。子どもが必死で求めてくるじゃない。
しあわせな現実が、私の「したい」をおしつぶしていく。
幸せだから、抗えない。
でも、だからこそ、私のアイデンティティは少しづつ死に、自分を鏡で見る時間も、自分のために使うお金も、だんだん減ってくる。
どれも、頑張れば叶う部分もある。
「がんばれば?これ以上?」
そこで思考停止してしまう。
私はどこに行ってしまったのだろう。
たまに、最愛の子どもを抱きながら、幸せの絶頂で思う。
私は、どこにいってしまったの?
叫べない、泣けない、求められない、誰にもそんなこと、話せない。
幸せだから。
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