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平野由記さんと、デザインの力 【SdT_18】

『avec Toi』タイトル文字のデザインにTが見出した切ない希望の物語。(【SdT_16】参照)
他にもたくさんのデザインの力に、このフライヤーは助けられています。

まず、表紙。
スズキトモミチさんのラフ図案は、最初、このnoteでもご紹介しているキービジュアルのように(これと全く同じではありませんが)、横に長いものでした。

そして正直に言うと、Tは、それがフライヤーの表紙やポスター用に、縦長になることに、少しだけ心配というか、残念な思いを抱いていました。

でもそこについては、制作の我々3名で、それからスズキさんや平野さんとも、相談して納得の上で、縦長にしてもらったのですが、やはりどこかで、少し狭くなってしまった感じ、悠久の広さが少し損なわれてしまった感じは、心のうちにありました。

ところが、平野さんが表紙案としてデザインされた、この四辺を囲む、うっすら白い、うねうねしたもの。
平野さん自身は、「朝もや」という表現をされていたかと思いますが(メールが見つからない…)、
Tは、カーテンみたいで、窓から外を眺めているように感じたのです。
その瞬間、外には広い世界が開けている、という感じで一気に広さを感じることができました。
平野さんは、カーテンのつもりではなかったけれど、でも「広がりを感じさせる」という意図は実はあって、それが全く別の形で、見事にTに伝わった(実現された)のが、とても面白かった。
そして更に面白いことに、ショータくんは、これを都井岬から広がる海の波のように感じていました。

幾つもの可能性を感じさせるデザインの、物理的な制約をも解決する力に、Tは感嘆したのでした。

Tは、ビジュアル的なセンスが皆無で、どうしても言葉によって理解を得ようとしてしまう。
(あとは音。でもそれはまた別の話なので。)
どうにも言葉が多くなり、それはnoteでもわかると思いますが、
フライヤーも、かなり文字が多くなってしまったのは、(それで見にくい、ということがあれば、)
それはひとえにTが削れなかったことによるもので、
それでも何とか見やすくなるよう、平野さんのデザインに、かなり助けてもらっている部分があります。

そんなTとフライヤーの関係の中で、ひとつ、不思議なエピソードがあります。

――馬がいて、人がいて、そしたまた馬がいる――

【SdT_7】で書いたとおり、Tにとって、これは瓢箪から出た、本当に大切な言葉。
多くの逡巡や紆余曲折を経て、それでも付せずにはいられなかった、『avec Toi』の長い意訳。

最初、いや、正確に言うと最終案の前の案では、この言葉は、もう少し強くデザインされていました。
そしてTは、それを、変えてほしいと願ったのです。
ルビのような。ほとんど見えなくても良いくらいの。風が吹いたら飛んでしまいそうな。
そんなふうに、してほしいと願いました。

それは、なぜだったのか。…今、なぜか上手く自分でここに書くことができません。
取るに足らない言葉だからとか、そんなことはもちろんなく、ただ、それが良いと思ったから、
…というようなことを書こうとして、妙な違和感があるのです。もっと、何かを言ったはず。

この時は、平野さんと直接でなく、コトリさんを通してお願いをしていました。
その辺りのメールも、なぜか見つからない。検索しても、膨大で複雑なやり取りをしていたせいか、なぜかうまくヒットしない。
だから、Tが具体的にどういうことを言って、それがコトリさんを通して、平野さんにどのように伝わったか、今、自分で確かめることができないでいるのですが。

不思議なのは、それじゃないんです。

結果として、今、皆さんにダウンロードいただけるような、この表紙、このフライヤーが完成し、Tはとても嬉しかった。馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいるは、Tが望んだ以上に素敵な形で、avec Toiと一緒になりました。ありがとう、平野さん。(感涙)

大喜びで、現物が納品される前にnoteにもデータをアップして公開し、続いて、臼太鼓踊りの撮影のため都井へ行く直前に納品された、そのフライヤーをワクワクしながら手に取ると…

ん? なにかがおかしい?

いや、なにもおかしくはない。問題はなにもない。でも、なにかが違う。

…ない! 馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいるが、ない!

なぜなのか、今でもよくわからないのです。もちろんいろいろ調べましたが、わからない。
不思議なのです。普通は、印刷物のミスというのは、我々にとっては大惨事で、
決してそういったことが起きないように、何度も何度もチェックをするのです。

でも、今回は、何も問題はない。言い訳、と思われるかも知れないけど、実質的な問題は本当に何もない。
そして、誰が悪いということも、全く、ない。もちろん、再発防止のための原因究明は必要なことだし、
そういった諸々の最終的な責任はTにあるのだけれど、でも、
言い訳ではなく、本当に、何かそういうのと違うことが起きた、という不思議な感覚。

でも、Tにとっては、たぶん、こう言うと差支えがあるかも知れないけれど、
個人的には、どんな現実的な誤りよりも、痛恨の極みのような感覚もありました。
この言葉を、このフライヤーを手に取る多くの人たちにも、見てもらいたかったな…。

でも、それが、不思議と、自然に受けいれられる感覚もまた、あるのです。

なんというか、風に吹かれて、飛んで行ってしまったんだな…、という感覚。

言葉の多すぎるTの、長い長い、逡巡の果ての言葉は、フライヤーには定着しなかったけれど、
でも、そこに『avec Toi』はあるのだから、と。この文字とビジュアルが全てを物語っているのだから。
そこにはたしかに、馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいるのだから、と。

ある夏の一日に起きた、なんだか不思議なその出来事は、言葉について考えあぐねるTに、
ますます多くの示唆を与えることとなりました。

フライヤーの実物を手に入れることができた方は、そこにしか感じることのできない(たぶん)、
馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいるを颯爽と吹き飛ばしてしまった風を、感じてもらえたら幸いです。
データでダウンロードできない限定版なので、いつか、プレミアのつく日がくるかも?

(つづく)

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