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どんな夢を見るの?教えてよ 僕がそれ唄うよ

ようやく逢えたね もうダメかなと思ったね…
けど あなたがいるからぼくがいる
すれ違っても この街に生きる
どんな夢を見るの?教えてよ 僕がそれを唄うよ
何気なく出会っては別れ じゃぁまたね

マタ逢ウ日マデ - RIP SLYME(PES バース)より

 いやあ、すごい。何度聞いても感動してしまう。この歌詞が頭に思い浮かんだのは、また僕が生き返ることができたから。いったい何度目のリボーンなのか。

 ぼくは「山田大介」として、また音楽を最初から始めている。何かアクションを起こした時に届く射程がJABBAの時とは明らかに違うことで、それを実感する。比較できるものが自分の内側にあるってのはいいことだ。ちゃんと始め直せている。しかし、たまに(というか、なかなか頻繁に)自分のやっていることは誰にも届いていないんじゃないか?という落とし穴にハマる。いくらつくっても、いくら声をだしても、いくら練習しても、この向こう側には誰かいるんだろうか?と自分の吐く息が自分を傷つける。そんなことを考えても仕方ないと頭で分かってはいるけど、ありもしない安心を求めて心の炎は揺れる。

 先日の「直感 その2」JABBAの頃からのお客さんが見に来てくれた。名古屋から。ラジオで出会ってくれたお客さんも見に来てくれた。神奈川から。どちらも最初に出会っているのはJABBA DA FOOTBALL CLUBのノルオブ。それは、個性溢れる四人組のうちの一人の時の僕で。FMヨコハマっつー伝統あるラジオ局の番組で話している時の僕。同じ人間だけど、完全に別物。なんなら周りあっての僕。だから「山田大介のライブに行く」という選択肢を持つことがどれだけ凄いことなのか分かる。

 でも、遊びに来てくれたんよ。山田大介のライブに。こんなに嬉しいことはない。時間はいのちだ。それをつかって僕を選んでくれた。これは存在してもいいんだよって言われてるのに等しい。正真正銘、僕のために来てくれるんだぜ?!やばすぎるだろ〜!本当にすごいことなんだ。そんな瞬間が訪れる度、揺れて小さくなっていた心の炎は、息を吹き返しまた燃え上がる。

 大阪、札幌、仙台、福岡、熊本、岩手、広島、島根……パッと思い浮かべるだけも僕の活動をチェックしてくれる人が日本各地にいてくれる。地名が多いから、そんなに人数いるのか!?と思うかもしれないが、しっかり指で数えられる人数だ。胸を張って言うことでもないか。

 その人たちとは、一年に一度会えればいい方。当たり前だけど、時間が経てば皆変わる。音楽との距離が離れた人もいれば、また近くなった人もいる。そんな中でも、タイミングが合えばライブに来てくれたり、SNS上でリアクションを来れたり、通販でグッズ買ってくれたり。ぐるぐると公転と自転繰り返しながら、山田大介に触れ続けてくれてる。いろんな形で、生き返らせてくれている。すげえ話だ。

 僕は、誰に頼まれたわけでもなく勝手に音楽をやっている。それなのに、突然不安になったり、歓びに包まれて息を吹き返したり、訳がわからない。無茶苦茶だと自分でも思う。でも、コレに時間を使う価値はあるとも思う。いのちを使う意味もある。これでしか伝わらないことがあるし、何より楽しい。まじやべーんすよ。その勝手にやってる音楽があなたに届いて、喜んでもらえたりした日は、とんでもない。この世は超ワンダーだと確信する。

 きっとあなたは、僕を生き返してるなんて思っていないだろう。ただ見たいから来てくれてるはずだし、聴きたいから聴いてくれてるはずだ。その関係は、とっても心地よい。どちらも自分のためにやってることが、意図しない効果を生んで素敵な循環になってんだな。○○のために!ってなっちゃうと、段々しんどくなってきたりするよな。 

 あなたの気分やタイミングが合う時でいい。ライブに遊びに来てくれ。多分、僕は何度も生き返り続けて、大きな声を出していると思う。そん時は、最近あった良いコトとか、しんどいコトとか教えてくれよ。それ唄うよ〜

 今年はアルバムを出して、ツアーをしようと考えている。一緒にツアーしたい人もいる。明日は新曲のビデオを撮る。やることがあるってのはいいことだ。コツコツやってく。じゃ!マタ逢ウ日マデ!

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