見出し画像

【母が残した家計簿】⑦追風!新たな転機。

昭和〜令和を生き抜いた母が
65年間書き溜めた

【日記付き家計簿】

を元にしながら
ファミリーヒストリーをたどって行きます。


ーーーーーーー

1962年昭和37年です。


戦後16年たっているこの年は、すでに経済的高度成長期に入っていました。
どんな時代であったかを知る上で、私は、二つのことに注目しました。


一つは、
『リポビタンD』の誕生です。

リポビタンDは、
昭和30年代は経済が急成長し、町や暮らしに活気と希望、そして元気があった時代。
そんな人々の元気に後押しされて好評を得ました。
ちなみに発売当初、リポビタンDの価格は150円でした。
昭和30年代の物価は、牛乳1本が18円。タクシーの初乗りが80円。
1本150円なんて決してお手頃価格ではないのに人々に受け入れられました。価格に驚きましたが、高度成長の中、必要とされて伸びた商品だと想像できます。
自分の両親を見ただけでも残業副業内職、当たり前で、バンバン稼いでいこうとしている時代だったと思います。



それから、二つ目は
日本のテレビ普及率が48.5%

テレビは国民の身近なものになっていこうとしていました。
その時代をいち早くキャッチしたように、ジャニーズ事務所が創業されました。
ツイストダンスも流行しました。テレビ映像を通して、歌って踊れるアイドルが望まれる時代になっていきました。
創業2年後にはじめてのジャニーズという最初のグループがデビューしています。『カッコイイ』という言葉が生まれたのもこのころのようです。新しい言葉ができるほどの時代の変化だったと思います。


映画の時代から、日常の娯楽であるテレビ放送の時代へと変わって行っています。
東京の人口が1000万人を超え、自動車の普及でスモッグが問題になりました。
いろんな問題を抱えながらも、日本経済の急速な発展の勢いに押されて人々が動いていった年であったのではないかと思います。


さて、母の家計簿を覗いてみます。

1月

  • タドン…250円


タドンの記録はこの時が初めてです。
どれくらいの量かは記録されていませんが、母に聞くと、炭の関係はひと月分まとめてお店から配達されていたので、その時にまとめて支払っていたということでした。
日本では古くは平安時代から、戦後、石油やガスなどへ燃料が転換する高度成長期頃までの長期にわたり、産業分野や一般家庭でも普通に用いられる燃料だったそうです。
私が幼いころの記憶では、父の実家は練炭の掘りごたつでした。
炭の粉を固めたタドンは料理用の七輪に燃料として使っていました。ご飯やお湯はかまどで薪でたいたり沸かしたり。
祖母だけは専用の火鉢があり、木炭を使っていました。冬の来客にも火鉢を出していました。父の実家はこの頃は練炭・炭団・木炭・薪を使い分けていて、まだまだ燃料転換の兆しは無かったようです。



2月は弟Kenneyの1歳の誕生日。
料理と新しい服を買ったのでしょう、まとめて2000円と書かれています。
当時の裸ん坊の写真がありますが、Nollyの1才に比べたらまだまだ痩せています。

Kennyは平均的ですが立派な大人に成長しました。
それでも母は還暦を迎えた息子を前にしても自分の栄養が足りなかったと今でも悔やんでいます。
気苦労と栄養不足で小言の一つでも言いたいけれど、言っても気分が晴れるわけでも無く、当時はただただ黙々と頑張ったのではないかと思います。



3月になると、ひと月の生活費の予算が、13000円に上がっています。
それまでの10,000円から3000円のアップは、やはり同居している高校生の姪の学費などが加算されたのだと思われます。
広げるだけの収入があったのかというと、その内訳は家計簿の後半に詳細が記録されていました。

1957年昭和32年新婚当時の父の月収は、12000円でしたが、
1962年この年昭和37年には18000円になっています。

5年で6000円の増額。

単純に計算したら、1年間に1000円のベースアップ。
1960年池田内閣の10年間での所得倍増計画でしたが、夢ではなさそうです。
借金返済をしなければならなかった両親には追い風となり大変いい状況でした。


6月になると両親はまた大きな転換を迫られました。
実家の立て直しに4年間挑んだ両親でしたが、父は異動の辞令があり転勤となりました。実家からの通勤ができなくなり、実家から引っ越しをすることになったようです。生活が変わるので、それで家計簿も新たに作り直しています。


私たち家族が引っ越した後、父の実家には、父の2番目の僧侶の兄が跡取りとなってまた住むようになりました。
この時には、叔父は庭に念願の大御堂を建てて仏像を安置して本格的に浄土真宗のお坊さんとしてお勤めしています。
生涯ここで僧侶としての人生を全うしました。


7月から新しい家計簿が始まっています。
表も裏も表紙がとれてしまって、私の落書きも絶好調のようで、かなりいたずらをしたのだと思います。
出版社は分かりませんが、たぶん主婦と生活新年号についていた付録の『日記兼用暮らしの家計簿』だと思われます。
この年からずっと…途中何冊かは他の出版社のものもありますが…ほぼ同じシリーズを使い続けています。

この家計簿は日記兼用で、それだけでなく後ろのページにはいろんなお役立ち情報も乗っています。
この年の分には、家庭の医学のような病気についての情報。
株式や内職についての情報。
人間関係のエチケットなどについて特集があります。
今と少しことば使いは違いますし、今はない商品のPRもあります。興味深くて、読んでいると面白くてつい時間が経ってしまいます。
これはまた、別の機会があればまとめたいと思います。



母の家計簿に戻りますが、
この年の後半だけは、何故か父が家計簿をつけています。

達筆過ぎて、何と書いているのか分かりません。

数字はハッキリと分かりますが、母とはかなり違う記録になっています。
項目を細かくナンバリングしていて、どうも統計を取ろうとしている感じです。
番号と数字ばかりで、これには、私の妄想は働きにくいのですが、あえて言うなら、家計簿を自分流にカスタマイズしているようです。


父なりの夢が詰まった家計簿だったと思います。



6月まで実家に暮らしていましたので、親子四人で暮らすというのは初めてのことでした。
環境の変化もあり、今までの実家の借金は払い続けるものの、家計の状況は大きく変わります。
その変化については、どうしてもリセットという意味もあるのでしょうか、新たな始まりという意味もあるのでしょうか、借金返済をしながら生活が成り立つのか…


シュミレーションとしての綿密な計画書のような家計簿になっています。

親子四人の新しい生活が始まります。


続きは、また次回にお送りします。


Nolly


Spotify、ApplePodcastでも聴けます↓

▼ Nolly channel

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?