生きるとはかくも難しく

生きている意味ってなんだろう、という問いだとか、あるいは生きていればいいことがあるとか、そんな言葉は巷にあふれているけども、それらの言葉や認識はすべて生きることを良いこととする前提のもとに成り立っている。結局は生きることに目的を見出している、あるいは動物的な生存本能に支配されることを良しとする人たちが同じような人たちに向ける励ましの言葉に過ぎず、その熱情を死に向ける人にとっては大した意味を持たないのである。
そこまで死を希うにも関わらずまだ生きているのは、それでも何らかの希望を見出しているから、あるいは責任、例えば親や環境への責任感によって辛うじて生存という労働にその身を投じているからであって、前者であればまだ救いはあるけどもそれすらも諦めきった後者は身をすり潰して生きていくことを強いられている、そしてそういう人たちは社会がずっと見過ごしてきたものなのだ。
まあ、個人レベルでの話では少しでもやりたいことがあるならそれに縋る(前者)しかない、認識を変えるのはやはりずっと難しいものだから、根本的なところまで変えられないとしても迫りくる恐怖や責任感の避け方を学ぶしかないのだろう。まあ責任感の避け方を知ってしまえば、希望が潰えたときに生存をやめるハードルも下がってしまうのだが。

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