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『THE FIRST SLAM DUNK』感想

あけましておめでとうございます。さがのです。
「新年の挨拶が今かよ」というぐらい社会性を投げ打ってこの年末はスラムダンクの世界に耽溺してました。

THE FIRST SLAM DUNK絶賛、もしくは深く理解したい」
というスタンスの感想です。
どういう立場から見た感想か、というのを以下に整理しておきます。

私とスラムダンクの関係

<原作>

まさにスラムダンクを読んでバスケを始めたスラダンキッズ(中年)
スラムダンクのせいで中学バレー部から高校ではバスケに転向。
身長が低いせいでガードをやらされていたけどドライブインのスキルはさほどなく、絶妙なパスができるほど視野も広くなかった。スタメンではなく6、7番目くらいの選手でとにかく毎朝3Pシュートを練習していた。

異性として最初に落ちたキャラは水戸洋平
作品で好きなキャラは三井寿
プレイヤーとして一番感情移入するのは宮益義範

<アニメ版>

観ていたし主題歌もそこそこ歌えるけど最終回まで完走はしていない。

<THE FIRST SLAM DUNK>

3回鑑賞済み。
『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE読了。
映画の公式サイトの「court side」の現在公開されているインタビュー分は読了。

という前提の感想です。

※以下、ガンガンネタバレしてます



『THE FIRST SLAM DUNK』感想

【宮城リョータの性格】

映画のイントロ部分。
強気で陽気なキャラクターの印象であったリョータに重い過去があったことにで驚きはあった。見終わる頃には受け入れていたけど。
でも原作を読み直してみると、原作でのリョータと映画のリョータが一人の人間としての整合性は取れているなと思えるエピソードが沢山あった。

•本名の女の子がいるのに他の女の子に告白する
•フェイクが上手い(フェイクは演技力)

つまり「めいっぱい平気なフリをする」

これって本音を押し殺す習慣がついていたってことなんだろう。
中1で転校して人と喋るのが苦手な描写。やりたいはずの1on1を中断。
高1入学してアヤコに一目惚れ。やらないはずだったバスケを続ける
高1でゴリに「喋れ」と言われる。
冬に三井にボコられて事故からの沖縄。心を解放して部に復帰。
高2花道と分かり合い、三井に「いちばん過去にこだわってんのはアンタだろ…」という痛烈な一言を食らわせる。
山王戦直前に気持ちを伝える手紙を書くまではおそらく母に本音を話せることがなかったんだと思う。
その間、バスケ部では和気藹々とし明るい顔を見せていたことを思うと宮城リョータにとってバスケが自分を解放できる本当に心の拠り所だったんだなと。
ぐぅ…どれだけだよ、宮城リョータ。
最後に母カオルに向かって「怖かった」って本当の気持ちを話すところ、ほんと「良かったね」っていう気持ち。

【OP】

曲 The Birthday:「LOVE ROCKETS」

「ワルモノ見参!!」

山王戦の湘北にピッタリすぎる。
原作の中でたぶん、木暮さんが言ってた
「バラバラの個性の5人が機能したら強い」っていうのをイントロの各パートが一つずつ重なっていくので表してたんだと思う。
それにはバンドである必要があったし、悪そうな必要があった。
ピッタリすぎる…!
「イントロの各パートが一つずつ重なっていく」というのは井上監督のオーダーだそう。監督の目論見通り、音楽と映像がマッチしすぎてて興奮で脳が焼き切れそうだった。

歌詞の意味がバスケと無関係なのがむしろ素人花道っぽい。
パッと見、パッと聴き、悪そうなんだけど実は歌詞に可愛げがある。
チバはスラムダンクをまったく知らないで歌詞を書いたらしいけどそこにこそ
「バスケ素人」感が出ててる。
今作は「花道が主人公じゃない」と言われているけど別に花道が主人公で積み重なってきた物語の湘北を捨ててるわけじゃないよね。この「問題児軍団」が湘北のカラーじゃないか!

イントロの宮城家過去エピソードの後、何も説明なく試合が始まるのに曲と映像だけで「この湘北はこの感じ」「山王はこの感じ」っていうのが伝わるのがすごい。ミリしらの人の初見感想を漁っても挑戦者と王者というのはわかったって言ってた。印象を伝えるのに大成功してると思う

【試合の間に回想をはさむ構成】

試合だけ連続で観たいという感想を見かけたけど、流川か!
ドライブ(スピーディな試合)だけでは感覚が慣れちゃうんだよ!
パス(場面転換、回想でのゆったりした時間感覚)があるから
ドライブが生きるんでしょうが!多分ね。

一度映画を通しで観た上で試合だけもう一度観たいはわかる。
でも試合を通しでやったところで残り1分くらいから最後にかけてのスピード感は同じ映像でも前後の比較であのスピード感が目減りするんじゃないのかな。

漫画という媒体だとページ数という概念で、過去回想の分量と、試合中の分量はページ数での比較になるし試合と回想のページをめくるスピードは大差ないはず。
でも、映画は時間経過だ。
試合をリアルなスピードにしたから、対比して生活や心情のシーンがゆっくり流れる。つまり長く時間を使っているように感じる。
作中のチェンジオブペースが試合のスピード感を増している気がする。
実験はしてないので知らんけど。

映画観た後に原作を読み返した。
実は原作でも試合の途中に過去回想という構成はとっていた。
「試合の展開でピンチを迎える→このプレイヤーが活躍するれば流れが変わる、その活躍の原動力エピソード」
というのがセットになっていて回想は不可分だったのかなと思う。
パーソナリティを知らない選手の試合でも接戦を見ると熱くなる。
パーソナリティを知ってたらもっと興奮するでしょ?
彼がピンチを突破する原動力となったモノが知りたいでしょ?っていう。

それにスラムダンク初見の人に配慮しての構成でもあると思う。
何度も何度も原作を読み返した人はキャラのバックストーリーと試合でのプレイを目にするまでの時間が離れていても脳内で結べるけど、初見の人には試合でのプレイとその人となりが直近にある方がわかりやすいはず。
初見の人感想を漁っていると、湘北の方はだいたいキャラクターが理解できたから楽しめたという感想を目にすることが多かった。

私も本当は初見の時、二度目のゾーンプレスで回想が入った瞬間には勢いを殺がれた感覚はあった。
でも、その後のリョータの突破からの試合終了が怒涛の勢いだったから…!
抑圧からの解放が気持ち良すぎて、あの回想は絶対必要だったと改めて思った。

【リョータ視点の山王戦】

re:SOUCEで井上雄彦本人が語っていた。

•原作と同じことをなぞってもつまらない
•リョータのバックストーリーを描ききれなかった心残り
•リアルなバスケの動きを表現する(希望でなくて義務)

インタビューを読むと、制作にかけた時間と労力が異常なので、
はなから映画をシリーズで作るなんて考えてなかったんだろう。
そう考えると映画化に山王戦を選ぶのは必然かなと思った。

リョータの人生と山王戦を組み合わせていく。
さらにほかのキャラクターの回想も組み合わせる。
これは視点になるリョータのポジションがガードだったからこそ2時間の映画で湘北メンバーも紹介することが可能だったのではと。

あとですね、これもポイント。ポイントガードというポジションは、「他のメンバーを一番よく見ている」ポジションなので。宮城リョータの視点から、いろんなメンバーのエピソードにも、行きやすいんですよ……ボールのごとく。得点に直接絡まなくても、(ポイントガードの視点を主軸とすることで)そういうことができるわけです。

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」

この感想を聞いた時に「それそれ!」と深く唸った。

井上先生の「リョータをもっと描きたかったと」いうの中での1つとして、山王戦ではこのプレイの部分かなと想像してみた。

深津と沢北の2回目のゾーンプレス。

チビの意地ってことで突破するけど、原作ではそのプレイの終わりがアヤコにデレデレするギャグ処理だった。当時はまったく気にならなかったけど、読み返してみるとかっこよく突破したのにちょっと物足りない。
でも当時はアヤコネタ以外、リョータを掘り下げられてないから仕方なかったのかもしれない。

映画を作るにあたって、単にチビの意地だけで突破させたことに今の井上先生の中できっとリアリティが無かったのかなと想像した。
リョータがチビで早いことなんて山王は研究しているんだしそんな描写じゃ、深津と沢北の凄さが軽くなる。

あそこにリョータが力を爆発させる個人的なモチベーションがあったから、実力で上回る相手を突破したことに説得力が出た。
兄不在の鬱屈、兄の夢の打倒山王っていう思いをエネルギーにして爆発させた突破シーン。転びそうになる動き、表情、音楽が全部重なって本当に痺れた。泣いた。

リョータのストーリーが暗いという感想も見たけど、最後にめちゃくちゃ希望のあった話だと思う。
父と長男を亡くしたシングルマザーの家庭で育った、背の取り立てて高くない公立校出身のバスケ部員がアメリカでプレイする。夢がある熱い展開。
リョータがアメリカに行った件に関して「そこは流川じゃねーのか」との感想も見かけたけど、流川だって行ってるんじゃないのかな?
流川という天才キャラは余白になってる方が妄想し放題で楽しいと思う。
たまたま、リョータ視点の物語の終わりには出てこなかっただけで。
それにリョータだって山王戦で経験値爆上がりでしょう。
さらにリョータがアメリカでプレイすることにリアリティをもたらすのが
現実社会で実際に「スラムダンク奨学金」が存在していること。

もうね、言葉にならないよね。
宮城リョータの希望の物語だったよ。

【母カオルとの軋轢】

感想を漁っている時に「しょーもない母親にちゃんと育ててもらえなかった」という趣旨のものを見て「マジか…そうか。そう見えるか」と思ったので、うろ覚えのとこもあるけど母視点の流れを書き出してみる。

•おそらく包容力のあった夫が亡くなる
•夫亡き後、自分を支えようとしてくれていた長男ソータが若くして亡くなる
(遺体回収できず)
•働いているので忙しく、次男リョータのバスケの試合になかなか見に行けない
•久しぶりにリョータのバスケの試合を見に行くタイミングがあった
•同じ番号のユニフォームでプレイする次男に長男の姿を重ねてしまう
•「兄貴の代わりにはならない」という外野の声に、二人を重ねて見ないようにしなければと思う
•ソータの部屋を片付けようとすると、リョータに激しく抵抗にあう
•リョータはリョータだと向き合うためなのに、本人に理解されない
•ソータの気配が辛いカオルと、ソータの気配がないと辛いリョータの二人の間に軋轢が生まれる
•引っ越す
•リョータは内向的になり、自分の気持ちを話さなくなる
•たまに怪我して帰ってくるが何があったか言わないリョータ(多分)
•リョータ事故の知らせ。夫、長男に続き次男も失うところだった。無事がわかり安堵の涙を流す。
•リョータがバスケIHに出るらしい
•長男次男共通の誕生日に長女アンナからソータの写真を飾ろうと言われる
•ソータの試合のビデオを見る
•「お兄ちゃんみたいになれる」という言葉に満面の笑みのリョータ
(※ソータとリョータを分けねばならないと思っていたけどリョータは本人はお兄ちゃんの後を追いたかったとここで気づいたのでは?)
•玄関にソータの幻を見る
(※ソータを思い出すことを自分に許したのかな?)
•リョータの手紙「昔試合を見にきてくれたことが嬉しかった、ソーちゃんが立つはずだった場所へ立つ」
•リョータの試合をこっそり見に行く
•行けリョータと叫ぶ
•試合から帰ってきたリョータ。山王は強かった、怖かったと自分の気持ちを話してくれるようになった
•リョータにおかえりと言う
(※軋轢が生まれる前の親子に戻ったってことかな?でも思春期らしい距離感)
•ソータの写真を飾る
(※ソータに起こったことを受け入れた)

ソータの気配が辛いカオルとソータの気配がないと辛いリョータ。
どっちも悪くないじゃない。
どうしても譲れないのがそこだから上手く向き合えないだけで愛情がないわけじゃないじゃない。
バスケをすることは否定しなかったって、リョータの唯一ソータと繋がる手段だってことは理解してる。

幅広い年代が見ている映画なので子供視点ではそう見えて、そういう感想が出ても非難することはできない。自分が子供の頃は、親の支えがあることが当然だと思っていたというか意識もしてなかったし。
ただ、毒親扱いはあまりにもカオルが気の毒なので書き留めておこうと思った。

【山王戦の勝利と宮城家の浄化】

re:SOUCEのインタビューを要約すると、
連載当時はまだ若く、勝ち負けの価値観だけで描いていたのを今の井上雄彦が描くならば弱い者や傷ついた者が痛みを乗り越え一歩踏み出すということを描きたかった、とのこと。

『THE FIRST SLAM DUNK』が感動的なのって、主人公校である湘北が王者山王工業との接戦を制した勝利の高揚だけではなく宮城家の浄化も同時に起こっているからなんだと思う。

山王戦に勝つことは、
単に勝利者になるというだけじゃなく兄の悲願を達成すること。
それが叶ってから、ようやっとリョータが兄の後追いから自分の道を歩み始める。

「霞んで消えた轍の先へ それが最後になる気がしたんだ」
「手負いの夢を紡ぎ直せば それが最後になる気がしたんだ」

10-FEET - 第ゼロ感

ということだよね。
特別な存在であった兄ソータという人生のガイドを外して自分自身で歩いていく。
で、リョータが海外でプレイしてるのがめちゃくちゃいい。
自分で選んだ道が、眺めていた海のその先を越えて行くというのが良すぎる。

【三井寿という罪深い男】

原作でファーストコンタクトした時には、
「大事な湘北の戦力に何してくれてんだこのロン毛」
「いいぞ!水戸くんやっちゃえ!」

という感想だった。
そのあと、騒動に巻き込んだ全員の前で泣き崩れて本音を吐露して
髪を切って部に復帰したあと大活躍する姿を見て「ヤダ好き」ってなってしまうのですが。

改めて考えると、情けない姿を晒した上、迷惑をかけた場所に復帰して萎縮するどころか当然先輩という立場で振る舞うあたり、心臓が強いというか。
「自分は受け入れられない」とは微塵も思ってない感じが相当なコミュ強。
良い方にも悪い方にもコミュニケーションとりたがり、「俺は今こういう気持ちなんだ」ということを隠さないで生きられる男。
それが三井寿。
映画において、リョータと真逆の男じゃない。

原作の時点でだいぶ、リョータに対して罪深い行動をしているけど
映画ではその罪深さを1つ上乗せしましたね。

1on1の件だよ!

孤独にバスケの練習をしている少年に1on1しかけるってことは、
心の領域に入ってくるってことなんだ。
自分からリョータの心の領域に入っておいてからの、あの高校での所業。
高1で絡まれた時、リョータは「あの時の人だ」って気づいてるのに三井は「赤木に期待されている」っていうので反応してるからおそらく気づいていない。
バスケでコミュニケーションを取ってきた相手がバッシュを足蹴にしてバスケを否定する。

この映画で三井寿が託された役割。
リョータの兄の面影と母の面影を背負うことでしょう。
1on1の相手をしてくれた綺麗な三井。
バスケをするリョータが受け入れられないサラサラヘアかきあげ三井。

兄不在の鬱屈、兄の気配を避ける母との軋轢。
その象徴の三井がボコしてくるんだ。
美しいシュートを見せ、1on1を誘って「この人バスケ大好きなんだ」って思わせてからのこの所業。
これだからコミュ強は…気軽に人をその気にさせておいてさ!

花道入部後の暴力沙汰は、リョータが沖縄で感情を吐き出して帰って来た後。
リョータはソータ不在の悲しさと向き合い、昇華させるにはバスケしか方法がないと改めて悟ったんだろう。
だからこのセリフに繋がるんじゃないのか。

「1番過去にこだわっているのはあんただろ?」

リョータと三井に対して「あの事件後に、あれだけ殴りあったのによく同じチームでプレイできるな」という疑問は当然湧いた。「まあ、男子でバスケバカだとそんなもんなのかな?」という雑な納得の仕方をしていた。

本当は、リョータにとっては三井が溌剌とバスケをしているだけで結構な喜びだったのでは?バスケを快く思わない象徴のロン毛を捨て去り、兄の面影を垣間見た時のようにバスケをしている。

自分の認識以上に宮城リョータの人生を掻き回したことに一切気づいてなさそうな三井寿。罪深いわ。好き。
リョータキャプテンの新生湘北で死ぬ気で働けよ、と思う。


長くなったので一旦ここまで。

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