とんでもない光を放って爆散したい。
太宰治や尾崎豊、彼らは天才と言われ、持て囃されていた。
それでも、自ら命を絶ったらしい。
尾崎は最期も不可解で諸説あるけど。
そう、彼らは強烈な作品を生み出し、いなくなった。いなくなったんですね〜。
あれだけの才能は誰もが羨むのに。
魅力的だから、超モテたんだろうな。そういう話もあるし。
だって「ダンスホール」を16歳で書いたなんて凄すぎて意味がわかんないでしょ。
どんなに名や作品が売れても、行き過ぎた感受性がそうさせてしまったのだろうか。
尾崎はBPD(境界性パーソナリティ障害)やADHD(注意欠如多動症)の気があったと尾崎の父が語っているし、太宰もADHDであったと言われている。
ついでに私もADHDと診断されている。たぶんBPDもある。
ほとんどの場合でADHDだけASDだけという診断はなく併発型がほとんどだ。太宰や尾崎もおそらくそれだ。
太宰は借金して周りの人間に怒られてまでクスリを使い、強烈な作品を書いていた。
尾崎が好きな私の父曰く、尾崎はキメてたときの方が曲が売れていたらしい。その逆は…
一般的に使用してしまったら、まともな判断ができず生まれる作品も駄作になる傾向がある。
芸能界でも、アーティストが捕まることが度々ニュースになるけど、どうやらそれを使っていた時期に生まれた作品は、良い作品ではないというのが定説としてある。
だからこそ、その逆を行く尾崎は良くも悪くも枠には嵌まらないような、ブッ飛んだ人間だったのだと思う。自分も後遺症や副作用を加味しないのであればキメてみたいなと思うことがある。
自分は、周りの人より絶望感を味わってきた方ではあると思うのだけど、命を絶つ勇気は無かった。ビビリだ。おクスリもキメてみたいけど、やらない。ビビリだ。ビビリ野郎だ。
天才たちとの共通点はあるものの、何の作品も生み出していないし、何者でもない。まだ。
なぜ、ここで「まだ」と付けたのか。
それは、何者かになりたい、何者かでありたい。
最近でこそネットを通じて、ラジオトークで成人男性のリアルを届けたり、こうしてnoteを書くと、お友達が聞いたり読んだりしてくれる。その声も届けてくれる。
それはそれで良い。とても嬉しい。
それでも、もっと多くの人に評価されたい。
おもしろいって言われたい。
チヤホヤされたい。
素敵だって言われたい。
バズって有名になりたいというより、人(にん)の部分で見られたい。
そう思いながらも何もできない。していない。
ラジオトークの配信で、いつもより反響があったことで、人の心を動かせたという実感もあった。
人の心を動かしたという実感は、自信になった。
とてもじゃないけど良いものとは言えないアーカイブはこちら↓
おそらくこれから反響があればあるほど、どんどん思想モロ出しになる。
そうして調子に乗り、過激な発言をしてTwitter等ネットで炎上した芸能界やインフルエンサーもいっぱい見る。しっかり気をつけていきましょう。
何者でもないクセに。何言ってんだろう。
今、私は愛知県で働くサラリーマンです。
それ以上でもそれ以下でもなく。有象無象の中のひとりだ。しかも求心力のある人間ではない。
私が天才だと仰ぐ人が何人かいる。
名前って出して…いいのかな…?
別の記事にしよう。これも長くなってるはず。
あと前回書いた、国語の先生のことでも思い出すことがあったしな。それも書こう。
その天才たちに近づきたい。
とんでもない光を放ってみたい。
それは大バズりなのか、なんなのかわかりません。
めちゃくちゃ恥ずかしいことを言いますね。
自覚あるんで許してください。
自分はとんでもない存在になりたいです。爆散したら笑ってください。
以上です。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
お疲れ様でした。また遊びに来てください
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