創作にコクを出す為のリアリティ

「めんつゆの木」、という面白いネタ話がここ数日ツイッターで流れている。

ざっくり言うと「めんつゆの木からめんつゆが採れる」というような内容で、現在様々なツイートが流れているため、詳しい話は割愛させていただく。けれど、うっかりすると信じてしまいそうなくらい、リアリティのあるネタ話がいくつも拡散されているのだ。

それを面白く読んでいるうちに、「創作のリアリティとはこういうことではなかろうか」とふと思った。

そこで、私なりに考える「創作のリアリティとは何か?どうやったら生まれるのか?」ということをツラツラと書くことにした。

先に言い訳させていただくと、私は世界観を練り込むのが得意なタイプでは無いので、でっかちの割りにミソが詰まってない頭部(——これがカニならばガッカリ案件である——)から必死に搾り出す様を微笑ましく眺めるくらいの気持ちで読んでいただければ幸い。


”リアル”と”リアリティ”は違うもの

言葉のあやではなく、この2つは全くの別物だと私は考える。

まず、ここでいうリアリティは「本物っぽさ」というニュアンスで使用したいと思う。事実・現実(=リアル)と異なっている過剰演出や嘘であったとしても、見る側が「リアルだなあ」と思う、それがリアリティなのではないだろうか、ということだ。

アクションなどが分かりやすいと思う。例えば刀で斬られた人間から血が噴き出るシーン。医療系の人が見れば「ここを切ってもこんな風に血は出ないよ!」と思う部分があるかもしれない。つまりそれは「リアルではない(現実とは異なる)」ということなのだが、そこでリアルを優先すると、絵面的にはショボーくなってしまうことがある。

ブシャーっと血が噴き出て、派手な画面になった時、「生々しいなあ(リアリティがある)」と思うのではないだろうか。ただ、やりすぎると「嘘くさいなあ」と思わせてしまうかもしれない。そこは演出のさじ加減だったり、ジャンルだったり、ケースバイケースだろう。

勿論、徹底的にリアルを優先した場合、マニアックな人達やその分野の専門家達から「わかってるな!」とアツイ支持を得られることもある。自分の作品がどちら向きなのか、このシーンではどちらを優先すべきなのか、どのような読者層から支持を得たいのか、等などを考えてみるのもいいのかもしれない。


冒頭の話に戻ろう。「めんつゆの木」とはリアルではない。しかし、「ありえそうだなあ」と思わせるリアリティがあるのだ。これはとても重要なポイントではないだろうか?

ファンタジーとは、あえて乱暴な言い方をすると、現実ではない=「嘘の話」である。ファンタジー作品を「これはノンフィクションだな」と思いながら鑑賞する人は殆どいないだろう。漫画や小説のキャラクターも同様、現実には存在しない人物である。

それでも、私達は物語を見る時、キャラクターに命を感じ、現実には存在しない世界からリアルを感じ取ったりする。ひょっとしたら、このキャラクターや世界は、どこかに本当に実在しているのかもしれない、そう思うことすらある。そういう作品には、リアリティがあるが故に、リアルを感じるのではないのだろうか?と思うのだ。


「ファンタジーは、地球をもう1つつくらなくてはいけないから難しい」

昔、担当氏から言われた言葉である。

どういうことかというと、ファンタジーとはつまり別世界。その世界が誕生してから今に至るまでの歴史があり、場合によっては、(現実世界と酷似した)海や大陸、山や砂漠といったものがあるかもしれないし、その世界独特の地形や気候もあるかもしれない。人類がいるなら、その歴史、神話や信仰、学問、政治、物々交換でないなら通貨もあるかもしれない…等など つまり「世界観の設定」を詳細まで考えていくなら、地球1つ分考える必要があるということである。

この設定のつくりこみが必要か否か?それは表現したいストーリーによって答えは変わってくるかもしれない。そういうものを全く考えなくても成立するストーリーもあるだろうし、そういう緻密な設定があるからこそ活きて来るストーリーもあるだろう。

ただ、設定が詳細に作りこまれているからこそできるストーリー展開や、キャラクターらしいセリフが生まれることもある。

そして、それこそが創作に"コク"が出るリアリティの出し方なのではないかと思う。


そろそろ長くなってきたので、今回はさわりにとどめておこう!次回はもう少し掘り下げて語っていきたい。


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