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誰もがいなくなる世界で

坂本龍一さんが亡くなった。私という人間は、楽譜は読めないわ、音程は取れないわ、リズム感は皆無だわで、一切の音楽的センスを母体に置いてきたような可哀想なヤツなのだけれど、そんな私でも音楽っていうやつには一方的に好意を寄せていて、いっとき『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲を狂ったように再生していた時期があった。


これは誰もが知る名曲だから、今更力説する必要もないわけだが、とにかく美しく、そして感傷的な曲だ。聴いていると心が浄化されるような気がして、仕事の帰り道に無限ループで聴きながらトボトボ歩いた日のことを思い出す。



しかし今は私の個人的な思い出話なぞはどうでもよい。そんなことはどうでもよくて、何が言いたいのかというと、そんなすごい曲を生み出すような才気溢れるお人でさえ、最後は亡くなるんだということだ。老いて、病気になって、気力も体力も無くなって、そして死ぬ。坂本龍一でさえ死ぬ。お金と才能とに恵まれ、世界の、という形容詞がもはやそれ込みで固有名詞のように使用される男でさえ死ぬ。


それを思うと、なんとも言えない気持ちになる。みんな死ぬのだ。誰もが、いずれは。たまたま有名人だからという理由で勝手に名前を挙げさせてもらうが、たとえば浜崎あゆみだって木村拓哉だって死ぬ。ホリエモンやひろゆきだって死ぬ。あのちゃんや幾田りらも死ぬ。みんな死ぬ。ほぼ間違いなく、百年後の世界には、いまこの地球上に生きている人のほとんど全員がいなくなっているだろう。


アラフォーの私は最近、顔の老化が著しい。寝起きの顔なんてほうれい線のあとがくっきりと濃くて、まぁひどい。「あぁ、こうやって少しずつ、人は老いていくんだなあ」としみじみ思う。一歩一歩確実に、死に歩み寄っている。そこに休息はなくて、こちらが寝ていようが働いていようが、イチャイチャしてようが涙で枕を濡らそうが、勝手に近づいていくシステムだ。別にそこを目的地にしているわけではないのだけれど、毎日薄らぼんやり「あ〜死にてえなぁ〜」とか思ってる私にとっては、やはり目的地といってもいいのかもしれない。


いきなり話は変わるのだが、最近リアルの世界で推してるイケメンがいて、まじでかっこよくて、見るたびに「なんてかっこいいんだ…」と思ってる。もし、1等の景品が「彼と付き合えるかもしれない未来」である1番くじが売ってたら買い占めるのに。



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