美しくて泣いてしまうし、空を眺めてしまう
洗面所で顔を洗っていたらふと、
5年前に亡くなったひいおばあちゃんのことを思い出した。
棺の中で安らかに微笑む彼女のしたたかさを思い出していた。
お葬式で棺に入った彼女は、彼女の微笑みは、
それはまるで生きてるみたいで
皮肉にも美しくて美しくて、
今まで見たひいおばあちゃんの中で一番、美しかった。
それで私は泣いてしまったんだ。
当時の私は自分の感情なんてあえて言葉にしなかったけど
それはきっと悲しみよりも愛おしさが溢れて泣いてしまったんだ。
長い人生をやり遂げた達成感みたいなものを感じてしまって、
悲しみではなく誇りに想う気持ちだったんだなあ。
あいみょんの歌詞みたいになってしまったなあ。
それにしても、大切な誰かが、大切な人の大切な人が
亡くなったと知る時の衝撃は、とんでもなく強い。
それが知らされた時
自分はどこにいて何をしていたのか、誰から伝えられたのか、とか
全部全部鮮明に覚えている。
私に伝えてくれるのはいつも母。
ひいおじいちゃんのことを知らされたのは小学3年生の夏の日の朝、
学校に行くのがだるくて眠くてソファでグダグダしていた時。
まだ子供だったからそれしか覚えていない。
おじさんのことを知らされたのは大学4年の初夏の夜、
友達と居酒屋でくだらない恋愛話なんてしていた時だ。
聞いた瞬間、私の時間は歪んでゆっくりと流れた。
聞こえていたはずの居酒屋のガヤガヤしたうるさい雑音は何も聞こえなくなっていた。
正直、おじさんとは1年に1回会うくらいで会話も特になくて接点がなかったが、
癌によって自分よりも早くいかれてしまった弟を想う父の気持ちを想像して胸が痛い、と泣く母の気持ちを想像して。
私は泣いてしまった。
父は覚悟していたんだろうか。父の涙を見たことがない私は、父がどんな気持ちで何を思っているのかとあれやこれやと想像して泣いてしまった。
共通して思うこと。
それは、大切な人が亡くなってしまっても
時間は止まらないし、
7日後にはまた月曜日が来るってことだ。
”それ”を知らされた瞬間から世界が違って見える。
でも、電車は止まらないし、
相変わらず世の中の人はスマホを見ながらせかせか歩いているし、
居酒屋のキャッチはひつこい。
「そんなことしていないで早く大切な人を抱きしめにいって!!」
と、叫びたくなる。
人間たちが騒ごうと何だろうと地球は今日も回ってる。
小さい頃に、
死んだら人は星になるとか、天国で上から見守ってくれてるとか、
絵本で読んだり人に聞かされたりしたから、
何かと空を眺めてしまう。夜空で星を見つけるのをやめられない。
道ですれ違う人も、コンビニの店員さんも、お散歩しているおばあさんも、映画の中の通行人AもBも、
みんなみんなそういう経験を乗り越えて歩いているんだろか。
そんな今日は大好きな母の誕生日だ。
ひとり暮らしをしていて会えなくても毎日連絡を取り合っているから、
ハートマークを付けて「おめでとう♥」と送っておいた。
手紙とプレゼントも郵送済みだ。
お天気がいいから、お散歩がてら神社にお参りに行ってこよう。
なんだか、ひいおばあちゃんと繋がれる気がするから。
こうゆう話は神聖な感じがするからタグとかは付けたくないんだよな。
今日もたくさんの些細なことに感謝しましょうかね!ニコニコ
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