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改めて、自分は何を思って音声配信してるんだろう。って

新居にインターネット回線が開通したおかげで、ようやく収録スタジオが完全稼働するようになりました。(いぇい)

今回の収録が第31回、ということで、ちょっとキリがいいかななんて思って、いやほら、素数だしさ、1日1本聞いても1ヶ月かかるってことだしさ、なんかこう、30で一区切りついて、さぁ次のステージみたいな感じあるやんね。

まぁ"キリがいい"ということにして、さらに新環境ということですから、これも何かの機会ということで、掲題の件でございます。


音声配信を始めてもう半年が過ぎ、聞いていただいている方々からの評価はどうあれ、話し手としては少し"板に付いてきたかな"と思う今日このごろ。総計すると100本くらい収録したんでしょうか。そら板にも付くわ。

友達が聞いてくれていることは把握しつつ、そうでない、未だ見ぬ皆様がどうもチラホラといらっしゃるような気配を感じつつ、とは言え明確な反響や反応があるワケでもなく、同時に渇望するワケでもなく、ただ粛々と続けているのはどういうことだってばよ。というお喋りが今回です。


いつもはケチケチせずに内容をテキストでも軽くまとめるんですが、今回ばかりはちょいと無粋な気もして、このくらいで。

なんせ、聞かずとも、特に損をするようなものではありません。
世の中にはたくさんのコンテンツが溢れています。
エンターテインメントも然り、学びも然り、エンターテインメントを通して学べることだってありますし、学びがエンターテインメントになることだってたくさんあります。

なんもわざわざ僕のPodcastを聞くために、人生の貴重な時間を使うことなんて、誰にもそんな義務は無いのです。
同じ時間を他のことに費やしていただいた方が、よっぽど生産的なことに繋がったっておかしくはないのです。

これはつまり、だから好き勝手にやっていいと思っているワケではなく、むしろ、時間を共にしていただくことに対しての責任があると思っているからこそです。

とかって言っていると、何もできなくなってしまうので、そこの折り合いを付けるためにどんなことを考えているのか、みたいなことです。


分かりやすく有益なことやら、人の感情を上手にくすぐるようなことを発信する器用さはありません。

どこか残念に思いつつも、もう片手では、それで良かったと思っている節もあります。

必然性を産まない音声配信には、合理的な存在意義はありません。
つまり、納木まもるという存在も同じことです。

この非合理な存在に合理性を生み出してくれるのが「繋がり」なのだと思っています。

人の繋がりとは、こういうことなのだな、と改めて想いながら、話す先に誰かがいることの有り難さを感じながら、まずは自分自身のために粛々とやっていく所存です。

あれ、結局Podcastの内容をそれなりに書いていないか?
しかも本編よりいい内容にしようとしているだろ。
ダメダメ、あとは聞いてのお楽しみだ!
こんないい話っぽいことはしてません!


それでは、引き続き、どうぞよしなに。

末尾ハンコ


読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。