誰かの物言いにイラッとした時の対処法を書いてたら"分かりみ"への分かりみが深まった話
「何その言い方?」
から始まる、本題からズレた闘い。
悲劇以外の何物でもないですが、ついついやりがち。
何を隠そう、僕も人の言い方がかなり気になるタイプです。
noteには同じタイプの方が多いかもしれませんね、文字や言葉を大事にする方々はこの傾向ありそうな。
組織あるところに"言い方問題"アリ、とでも言えるくらいに避けがたい日常のストレスですね。家族が一番多そうだけど笑
少しだけ気が楽になる捉え方に気付いてから、生活がまろやかになりましたので、ポロリとこぼしてみます。
皆さんがどうやり過ごしてるのかも気になりますね、もしよければコメントやらTwitterやらで教えて下さい笑
あ、タイトルの後半についてはおまけにて触れていきます。
と、先に冒頭の言葉について。
書き出しで使っておいて、アレですが
「何その言い方?」が出てしまいそうになる時は、既に感情が動いちゃってます。そこの制御はアンガーコントロールの領域で、ちょっと僕の書きたいメッセージから離れてしまうので、別途の情報収集で補ってくださいませ笑
5秒(7秒?)待つとか、そういうアレですね、簡単なとこだと。
その場は流したけど、後からじわじわ違和感が、、、とか、
自分に向けられた言葉じゃないけど、ちょっと気になる、とか。
そういうぼんやりした心のモヤモヤへの対処についてのお話です。
ズバリ言うと、こちらに限ります。
言語体系が違う人なんだ、と思うこと
ポイントは以下です。
・ボキャブラリーの量は人それぞれ
・定義も人それぞれだったりする
・感情や主張を言葉に乗せて伝えるには訓練が必要
それぞれ、軽く触れていきますね。
・ボキャブラリーの量は人それぞれ
言ってしまえば当然な内容ですが、日常で意識するのは結構難しいところな気がします。自分にとって当たり前の言葉が相手に通じるとは限らないってもんですね。
人間が発言する際には、
語句選択 → 文の構築 → 発言
とプロセスを経ているかと思われますが、語句のバリエーションが少ないと、伝達にミスが起きやすくなります。
持ち合わせたボキャブラリーの中からしか選択できないので、これまた当然ですね。
そして続く項目もセットみたいな感じです。
・定義も人それぞれだったりする
同じ言葉は当然に同じ意味で使われると思いがちですが、これは結構危険な思い込みです。
女の子に何気なく「そういうとこ好き」と言われて火がつく男の子、みたいなシーンを想定してください。
「あなたはいつもそうやって」とかって親に言われたりすると、理系の僕は相当カチンときます笑
【いつも=100%】の定義でいるからで、全部が全部ちゃうやろが、と思ってしまう、と。
相手がどういう定義で使っているのか、自分が捉えていることは相手の意図を汲んでいるか、冷静になれるウチは気を付けて分析してみてください。
・感情や主張を言葉に乗せて伝えるには訓練が必要
コミュニケーションスキルの講師、なんて職業が存在するんだから、お察しです。企業の新人研修とかも、コミュニケーションに関する内容はかなり厚いです。(実はわたしも講師経験あり、です)
先程のプロセスで言うと、文の構築、に当たるところでしょうか。
日本語ってハイコンテクストな言語だと言われます。文脈を含めて判断しないと真意が捉えにくい、という特徴ですね。
研修では"曖昧な言葉は使わない"と指導されるケースが多いです。これは単語レベルの話ですが。単語レベルでなくても"事実と感想を分けて話す"など、まぁ巷の本にも書いてあることです。
教育課程でも教えてくれればいいのにね。
そう、体系立てて教えてもらう機会が少なく、しかも実は扱いにくい日本語ですから、もうほとんど全員が我流なわけです。
言語的多様性が少ない国家なので、それでも日常生活を回すには十分なくらいに均整が取れている、とも言えますけどね。だからこそ、ハイコンテクストさに不便を感じずに過ごせているのでしょう。
で、結局どうするか
そう、ここがキモですよね。
言語を用いて情報を正しく伝達する方法、を相手が体得できていないなら
言語を用いて情報を正しく取得する方法、を自ら体得していく必要がありますね。
そのための第一ステップが
他人と自分の言語体系が異なるものだ、と前提する
だと思っています。
相手の使っている語句の定義は何か
自分の定義だとどの語句に相当するか
相手が伝えたいことの真意は何か
自分だったらどう伝えるのか
と、整理していくと、相手の言葉が自分の言葉に翻訳されますので、多少受け止めやすくなるハズです。
相手を受け入れる心の余裕がある場合は
「あぁ使っている言語が違うんだから、キチンと聞いてあげよう」
と思ってください。留学生と話す気持ちで。
どうしても相手が疎ましくて貶めたい場合は
「伝達スキルの低いやつめ、仕方ないこちらが合わせよう」
とでも思ってください。やんわりね。
相手がただ感情に任せて言っているだけ、とかだと受け入れよう無いですけどね、それはまた別のお話になっちゃいますので、ご勘弁ください笑
と、いうことで本編はここまでです。
お付き合いいただきありがとうございました。
ストレスを少しでも軽減できる助けになっていれば、嬉しいです。
言語学的な専門家の方、もし不快な想いをさせていたら申し訳ないです。
言語体系が異なると、寛大に、必要に応じてご指導ご鞭撻いただけると幸いです。
なお、コミュニケーションに関わる文章を書くことで、もしこれが伝わらない文章だった場合に傷が2倍広がるリスクがあることを知りました。
どうか寛大に、、、
以下、少しおまけがあります。
付随した領域へのちょっとした考察みたいな感じの内容です。
おまけ
言い方の問題って、意外とテキストコミュニケーションの方が起きやすいのではないか、というのが僕の仮説です。
テキストには"言い方"に含まれる、イントネーション・ニュアンスとか文強勢みたいなものが排除されています。
声を出してコミュニケーションすることで摩擦を和らげてくれている面もあって、言い方のおかげで受け入れられることもたくさんあると思います。
今は亡き『Googleハングアウト』やら『slack』やら、チャットツールが日本のビジネスシーンになんとなく受け入れられにくいのはここに原因があるのかな、とか。
日常生活はLINEを主軸に、チャット中心の情報伝達へと変わってきたのがこの10年くらいでしょうか。Twitter然り、短い伝達を繰り返す生態になってきている側面があります。
僕らのコミュニケーションは、適応しきれていないまま、文字通りの内容を受け取る簡便なスタイルに落ち着いていくのかな、とも思います。
別に良いとも悪いとも思いませんが、僕がnoteを好きな理由は、この変化へのアンチテーゼとしてです。
文脈をたっぷりと取って伝える努力ができる、面倒なことをわざわざしようと思える。そんなこのプラットフォームが好きです。
ただ、ハイコンテクストを受け取る文化って、本当に凄いなぁと思って。
曖昧な言葉もそのまま受け入れる柔軟性があるし、ネットスラングも極端に短いのに用法が多様だったり、言語の変化には元の性質が大きく関わるのだろうな、と思うのでした。
"○○み"とかってほんと凄いですよね。
"○○っぽい"とも違う。"○○のような"とも違う。
しかも"○○みがある"って使ったりするじゃないですか。
"分かる"じゃない。主体は自分じゃない。
その何かに"分かりみ"がある。あくまで主体は注目している対象なのですよね。"渋み"とか"旨み"みたいに形容詞に使われていた接尾辞が、動詞にくっついている。
いや、違うか、この"み"は"味"の要素で、"悲しみ"とかの方が接尾辞か。
何はともあれ、"分かる"と主体を自分に置かず、"分かりみ"を感じている自分を客体で表現することで、ある意味では主張を和らげる効果があるのかもしれない。
「それ分かる!」と表現すると、世界が二分されてしまう。分かる人と分からない人が生まれてしまう。俺と俺以外になってしまう。
しかし「分かりみが深いわ〜!」と表すとどうだろう。あれ、なんか、婉曲的な表現になって柔らかくない?
分かりみがあるだけだもんね。その現象が分かりみを持っていると表現しているだけで、分かるか分からないかには言及してないもんね。
なんてことだ。極限的なハイコンテクストが、角を立てない柔らかな文化を醸成していたなんて。
置いていかれている世代との言語体系格差は広がる一方だけどね!
とか言いながら、結局、"分かりみ。"とかって言い切りの形で動詞的用法にしちゃったりするんでしょ。つらみ。
ということで、なんかこっちの内容の方が楽しくなってきてしまったのでした笑
ここまで読んでくれた方、本編忘れちゃってるよ!
こういう脈絡も包み込んでくれるのがnoteのいいところですよね!
お後がよろしい、かな?
読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。