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『キレる私をやめたい』は「怒られたくない人」が読むといい本でした
この本は「グッドバイブス」の本ではありませんが、そういう観点から読むととても理解が進みます。
リアリティがすばらしい本です。著者はかなり描くうえでの苦痛があったと想像します。大変にお疲れ様です。
何と言っても秀逸だったのが、次の引用する2ページ。
なるほど「キレている」人がすべて「怒っている」わけではなく、むしろ「おびえている」のだということがよくわかります。内面があからさまに表に出ているということは、こういうことなのです。
「落ち着いて」という言葉はこういう時にはむなしい気もしますが、落ち着くことは大切です(笑)
しかしこの同じ人が、「ゲシュタルトセラピー」後にウソみたいに「落ち着く」ことができるようになる経緯は、とても考えさせられます。
恐怖を増幅するのは幻想です。この方のケースでは、幻想はほとんど幻覚に近い何かのようにも感じられてしまいますが、実際に何か「声」がしたり「姿」が見えるわけではありません。元凶は、お母様なのですが。
誰だってこう言われれば「お母さんになる?」のように思うわけなのですが、けれどこの著者さんにしても
いつもいつも心の中で「お母さんになって、娘である自分を責めさいなんでいる」
のです。だから「座布団に座ったお母さんになったつもりになって」と言われたからといって急に「?」となることは、本当はないはずです。
心の中で闘っている相手はお母さんその人であるはずはなく、つねに想像上のお母さんです。それを「心の外でやってみて」いるだけなのであり、もちろん本当に「お母さんになれる」わけがありません。
ところがこれがこの人のケースではとても有効でした。「心の中のお母さんと取っ組み合いをしてもしようがない」という判断が成立したからなのでしょう。
悩みの中にいるとき、私たちはいつも「判断が不成立」なのです。今すぐやるべき仕事をいつまでもグズグズしてやらないというのは、「今すぐにやる」という判断が成立していないせいです。
心の外に仕事を出して、カレンダーなどに書き上げてみると、もはや一刻の猶予もないことが判明し、めでたく「今すぐやる」という判断が成立したりするものです。