現実に起きる可能性がまったくなければ検討に値しない
実は、私たちが抱く怒りや不機嫌さには、私たちが思っているほどのバリエーションはありません。すべては「それによって自分がなんらかの被害に遭うのではないか」と懸念する、恐れや不安から生まれているのです。
「グッドバイブス」を実践していく過程においては、けっきょくのこところ、上の引用について一つ一つ、「これはそうだ。たしかにそうだ」と確認をとっていく作業が続いています。
自分が不快な気持ちになっているときには
何を懸念しているんだろう、自分は?
と自問し、懸案事項に思い当たることがあれば、それが実現するかどうかを検討する。たいていは実現確率が、せいぜい1割というところです。そう思ったところで、だいたいは終了です。
最初は本当に、立て続けに不安になったり懸念している自分に気づき、手の施しようがないほどでした。
しかもいまとちがって、そのほぼすべてが妄想でした。実現確率が0%のことばかりだったのです。
ひどいときは、マンガを読んで、それをもとに勝手なフィクションを作りだし、そのフィクションの「結果」によって自分がひどい目に遭うということを想像していたりするのです。
出だしが妄想なら、中途も妄想で、ゴールも妄想。なのに自分が「妄想に恐れをなしている」ことは忘れ、別件に腹を立てているのだから不思議なものです。
これをやめるだけでもかなりの効用はあると、私は繰り返しています。これをやめるだけならば本当は簡単です。なぜなら妄想だからです。
現実のことなら、扱いにくければすぐには不安がることをやめなくてもいいと思います。ただ、妄想純度100%のものは捨ててしまっていいはずです。