計画を立てた先の未来がいつも明るいのはどういうわけか?
「急に具合が悪くなる」とはいったい何を意味しているのか。
「急に具合が悪くなるかもしれない」と医師が宮野さんに伝えることは、医師の対応としては一〇〇パーセント正解でしょう。でもこれを言われた方は戸惑います。
私たちは、確率という数字の中で生きているのではなく、火曜日の夕方六時から講義が始まるとか、五月一九日に学会があるとか、そういう具体的な予定の中で生きているからです。
その中に「急に具合が悪くなる可能性」を入れ込むとはどういうことなのか。
「急に具合が悪くなるといけないから」といってイベントを取りやめ、当日何も起こらなかったらどうしたらいいのでしょう。「何も起きなかったけど、もしかしたら起こったかもしれないから、やらなくてよかったね」、そう思えばいいのでしょうか。
紙しかないけど買って正解だったと久しぶりに思えたほど面白い。
これこそまさに私がグッドバイブスで感じたとおりの「未来予想を平気でやることへの強い違和感、不信感」である。
計画を立てるたいていの人は、計画を立てた先の未来をバラ色もしくはバラに準ずる色だと信じて疑わない。
しかし現在この瞬間にも
「あなたは難しい病気にかかっていて、明日にも、急に具合が悪くなるかもしれません」
などと告げられている人がいるかもしれないのだ。
このように告げられた人は、たとえどんなに「バラ色の未来に至る立派な計画を立てた」としても、計画通りに実行した先が、計画を実行できたゆえのバラ色の未来になった、というようには思えないだろう。
そのようにした結果、急に具合が悪くなったからと言って、必ずネガティブな絶望に陥ると言いたいわけではない。
私たちは決して未来を予見して生きていない。ある意味「急に具合が悪くなる可能性」だけなら、誰もが共有している。
計画を立てても未来が予見できない。ということは、計画を立て、それを実行したとしても、まったくそうしなかったのと同じように、予見できない結果が待っているはずである。
そうでなければ不合理だ。